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高校教育の抱える入学した生徒の自由さと不自由さ

 高校教員をやっていて面白いことがある。それは人格に少しずついろいろな価値観が与えられ、生徒の性格が変容していくことです。
 中学生まででおよその性格は決定するが、それでもなお目に見えるくらいに変化していくものです。
 変化というものは環境が変わって起こっていくものであり、高校生になると大きな環境の変化がある。

知らない人ばかりの環境

 基本的には小学校と中学校、どちらにしても大きな友人関係の変化というものは生まれない。住む地域によって学区が設けられているため、もしかしたら幼稚園や保育園から中学校まで知っている人ばかりの環境だったはずだ。
 それが高校生活になるとガラッと変わる。クラスの中はほとんど知らない人たち、その環境は生徒たちに大きく左右します。中学から高校に入学する際、基本的には学力試験を行い、学力に応じて合否が判定される。
 こうやって選別されることは生徒たちにとって初めてであり、「同じような学力層」の生徒が集まったクラスで集団生活が始まります。
 その際のおよその生徒の反応は「周りと比べる」ことになります。この比べるという行為は中学時代とは全く異なる方法になるのです。初めての環境、初めての集団の中で、人と比べながら自分の場所を作っていくことが目下の課題となり、学校生活が安定するまでにはかなりの時間がかかります。

自分で選ぶことができる環境

 公立高校に入学するにせよ、私立高校に入学するにせよ、中学の時代の義務教育とは大きく異なります。大体の高校では4月当初に卒業後の進路を見据え、アンケートが取られたり、面談があったりするものです。
 中学までは何も考えなくても自動で進んでいた自分の未来が、急に「自分で舵を取りなさい」と言われます。「勉強しなくちゃいけない」ではなく、勉強するかしないか自分で選べます。「ルールを破るな」というよりも、ルールを理解し自分で判断する力が求められる。自分の行動を取り巻くありとあらゆる選択が自身に委ねられるのです。
 そしてその先に自分の進路があり、自分自身で選択して自分の進路を決定していかねばなりません。「何がしたいのか」「一体自分は何なのか」「社会に対して何ができるのか」そして、最終的には「無力感」や未来への「恐怖心」が残っていきます。途方も無い真っ暗闇に、自分で光を灯すことをしなくてはいけないのです。

頼りになる人がいない環境

 これはほとんど持論になるのですが、子供はサードプレイスが必要だと思っています。要は「家庭」と「学校」ともうひとつのことです。私は塾の講師を6年間やっていましたが、中学生や小学生の多感の時期、親にも先生にも話ができないことを相談に乗っていました。
 我々大人からすれば些細なことなのですが、本人たちにとって大きなことで、相談をするという行為はなかなか保護者や先生には言えないそうです。
 だからこそ、塾や習い事などといった他の大人と関わる機会は大事であり、生徒のメンタル面を支える大きなものになります。
 高校生になると中学生の習い事を一気に止めていく傾向があります。また、塾も高校受験と大学受験にどちらにも本気を入れているところはめったにありません。
 中学生と比べると高校生の方がより、大人と子供の狭間に悩む世代です。そして、より多感な時期に入り、保護者の方に相談するという行為はいよいよ無くなっていきます。 

自由さと不自由さ

 この3つの関係は悪い働きをするわけではありません。生徒が大人になっていくための必要なStepに関わるものです。高校によっては中高一貫校であったり、めちゃくちゃルールに厳しい学校であったりと様々です。また、これらのことは意識をしていないと「無意識に自分のことを決定している」ような人間を作ってしまう気もしています。だからこそ、教育業界は考えなければならないし、変革も時には必要です。
 学校の先生として意識していかなければならないのは生徒に自由を与え、思考を促すことと、不自由さや壁の中でもたくましく生き抜く力を養いたいといつも思っています。

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