AIで高校教員がいらないのは本当かどうか
高校はいらない?
AIが台頭してきたことで、多くの職業が無くなるであろう。そんな言葉が高校業界にも飛び交い、指導する時に意識しています。ちなみにですが、幼稚園から中学校までの教員はAIでは置き替わらないと言われていますが、高校の教員は今後無くなる可能性が高いと言われています。
人格形成の時期は終わっており、高校では学習が主眼に置かれているからです。
私はいつも本当に?と思いながら過ごしています。
AIができること
AIが活躍するのはビッグデータから傾向を分析し、その傾向に合わせて個々の事象を捉えることができたり、効率よく判断することができることだと勝手に思っています。なので、生徒一人一人の情報をデータ化していけば、その情報をもとに効率よく教育することができるんだそうです。
うちの学校でもAIによる学習システムを導入しています。生徒ひとりひとりに合わせた出題をし、アダプティブラーニング(個別最適化学習)ができるものです。このアプリケーションは見ていて「すごいな」と思えるほど、生徒の中に浸透しています。一斉に「これをやりなさい!」と言って、動画学習アプリを学校導入していた際は、理解できる人とできない人の差は激しかったのですが、コンテンツを変えただけで生徒のほぼ全員が使用するとは思いませんでした。
確かに学習面では効率的になるんです。ただ、それが教育という面ではどう働くかはまだまだ不可解です。
高校生の生活
高校生が人格ができあがっていると言ったら私は嘘だと思います。人格とは絶えず変化し、成長するものだからです。もちろん根っこの部分の善悪等は変わりません。中学までは土の上に種をまき発芽しているもの、それをどのように伸ばしていくのかが高校では必要なのです。
新しい環境の中で自分の立ち位置を見つけていくことが高校生活では求められます。日々、人と関わりながら自分の弱みを認識し、悩んで苦しんで、それでも自分は「こうだ」というものを見つけていくのです。
私は良く、話をするときに人と比べることをしないように心がけています。そう心がけていても、生徒は「私は〇〇さんより・・・」と口にするんです。その子にはその子の強みがある。と話の中でよく話します。40人いたら40人全員が人と自分を比べています。
人と比べて自分の位置を探る。これが高校生の生活です。このときにAIが「あなたは〇〇です」なんて言われても意味はありません。子供たちは私が発するその言葉すら理解しているからです。
ある高校生の話①
いつも常に努力をする生徒がいます。その生徒はよく話をするんですが、なかなか成果に現れません。会話をしてみると
「あの子より頑張っているのにあの子の方が成果が出る」
こんな言葉を言うんです。本当にこのパターンは多いです。勉強だけではなく、部活などでもよくあります。
「あなたは努力が良くできる生徒だから大丈夫。そのままでいいよ。諦めることはしないこと。それだけでいい。周りの生徒も逆にあなたのことを、あそこまで努力できるのはすごいって言っているよ」
と良く話します。大体の返答は
「それはそうなんですけど、やっぱり周りを見ちゃいます」
です。生徒は頭の中で自分の特性をわかっているんです。それでも比べて悩みます。強みよりも弱みも受け入れられないんです。
ある高校生の家族の話②
上記の生徒と似ているのですが、本当に努力家で人当たりも良く、誰からも好かれる生徒がいました。ただ、勉強だけはできなくて、どれだけ頑張っても試験の点数でギリギリ赤点を回避するんです。
そんな生徒と保護者と3者面談をする機会がありました。
「先生うちの子はどうですか?」
「非常に前向きで、いろいろなことに努力ができて、クラスの中では欠かせない存在ですよ。本当に良いお子さんをお持ちになりましたね」
「努力だけはできるんです。それで勉強の方は大丈夫ですか?」
「何も心配することなんてありません。前向きに努力して、苦手なものでも常に努力ができているんです。文句なんて何をいうことあるんでしょうか?」
「今までの中学の面談では努力が足りない、このままだとヤバいと言われてきたんです」
「何がヤバいのか私にはわかりません。苦手なものや嫌いなことにも頑張ることができるんです。これから先、どんなに苦しい状況になっても誠実に努力ができる人になるでしょう。成果が出ないなんて、人間の得手不得手の話です。本人は勉強が苦手でも他のもので十分補っていますよ」
「そんなこと初めて言われました」
「かと言って、勉強はやめなさいと言っているわけではなく、そのままでいいということです。お母さんも理解してあげてくださいね」
「私と父親はいつもこの子に勉強しなさいとガミガミ言ってきました。時には手をあげたり、周りの子や弟はできるのに、なんでこんなにできないんだろうと悩んでいるんです」
「ここまで素直に育ったのはご両親の教育があったからです。もうそこまで抱え込まずに、本人のことを信頼してあげましょう。この子は大丈夫です」
その後、この生徒は自分の足で進路を実現し、その学年を代表するような生徒になっていきました。もちろん全てに全力であり、次の進路先では卒業式の答辞を任されたと報告に来ました。
比較をしない
当たり前ですが、比較をしてはいけません。ですが、家庭でも生徒でも、比較する対象はたくさんあって、これから未来に進むからこそ周囲が気になるのが高校生です。分かっていても比較をしてしまう。それが高校生です。その比較に負けた時、遊びに走ったり、悪いことに走ったり、立ち向かわなくちゃいけないことから逃げてしまいます。大事なのは大人がそのたびに「頑張ろう!」と声をかけて背中を押すことで、効率的に「この子はこうだから、このパターンの子にはこう!」なんて判断は愚の骨頂だと思えます。
AIと教員
高校教員も変わらなければなりません。私は公立高校出身ですが、当たり前のように放置されてきました。先生に相談したこともないです。先生は勉強を教える存在なだけでした。
その教員ばかりでしたら、AIの方がいいと思います。その高校から人間はいなくなっていくでしょう(教員も生徒も)
生徒と同じ立場に立って、一緒に悩んで、先に生きるものとしてアドバイスする。失敗しても側で見て、立ちあがろうって言うことができる。そんな教員がこれから生き残っていく教員だと思います。
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