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ちあきなおみ~歌姫伝説~41 最後のステージへ

 歌手・ちあきなおみの生涯を顧みれば、一九六九(昭和四四)年にメジャーシーンにその姿をあらわし、アイドル路線を経て、一九七二(昭和四七)年に歌謡界の頂点に立つ。その後、ドラマチック歌謡路線がつづき、船村演歌で歌手としての低力を見せつけるも、歌の方向性の違いから、郷鍈治との邂逅を機に、業界のあらゆる障壁に屈することなく、メディアから姿を消し独自の路線を進んでゆく。ジャズ、シャンソン、ファド、日本の名曲を歌い、歌手としての定義を根本から覆し、〝歌魂〟を先の世代へと繋げてゆく。そして再びメディアに姿をあらわし、これまでとは別の角度から歌謡曲を捉え、歌い、歌い直し、カバーし、新しいちあきなおみの旋律の扉を開ける。ちあきなおみ路線は、昭和時代への郷愁と新時代への扇動を共存させながら、風を受けて回転する風車の如く、それぞれの時代のファンの想いと期待を受けながら、ゆっくりと、流麗にその翼を旋回させはじめる。

 そして、ステージの幕は上がろうとしていた・・・・。

 来月、三十歳を迎える幸恵さんが両親にプレゼントしたのはコンサートのチケットだった。彼女の父と母は昭和ひと桁生まれ世代にあり、青春時代は自由に音楽を聴くことも叶わなかった。父は歌と言えば、「旅の夜風」(作詞・西條八十 作曲・万城目正)しか知らず、なにもかも諦めて生きなければならなかった時代、この歌を聴いてわけもなく涙がポロポロとこぼれたと、よく酒を飲みながら話した。

  愛の山河 雲幾重
  心ごころは 隔てても
  待てば来る来る 愛染かつら
  やがて芽を吹く 春がくる

 幸恵さんの耳には、いまも父が歌ってくれた子守唄が残っている。
 母は戦後、宝塚歌劇団の越路吹雪に憧れ、今は亡き祖母と一緒に劇場へ足を運び、辛い思いをほんの少しだけ忘れようとしていたのだと、戸棚の奥で埃を被った古い日記帳を読んで彼女は知った。
 たった二回のお見合いで結婚した父と母は、人生観も価値観も異なり喧嘩が絶えなかったが、どういうわけか、たったひとつのクロスロードはちあきなおみだった。大きなステレオの前でレコードに針を落とし、なにを話すともなく肩を並べて耳を傾けている姿を見るのは、幸恵さんにとって幸せな時間だった。
 幸恵さんのお腹の中には、いま新しい生命が宿っている。彼女の夫がちあきなおみの「黄昏のビギン」を聴かせてくれてから一年、親子三代揃って開演を待っている。

 ひとりの男が二階席の端の席に座っていた。もうすぐ七夕だというのに、薄手のコートを羽織っていた。この谷という男は、十一歳の頃自分を捨てて家を出ていった父親に復讐がしたくてボクサーを目指したが、父親を憎み切ることができないからか、プロテストには合格したものの敗戦を重ね挫折、いまは浦安でバーテンをしている。
 一昨年の秋、父親が危篤だとの知らせを遠い親戚から受け病院へ駆けつけたが、父親はもう殴りがいのある憎い父親ではなく、痩せ細って口を利くこともできなかった。
「親父よ、頑張れよ!頑張れよ親父!」
 うんともすんとも反応しない姿を見て谷は、翌日、子供の頃よく一緒に入った風呂で父親がいつも口ずさんでいた「喝采」を病室に流した。
 ほんの少し、父親の口が歌に合わせて動いたように感じた。が、そのまま永遠の眠りに就いた。
 谷に遺された唯一の遺品であるコートの内ポケットには、あの憎い若き父親の写真が収められていた。

 親への想いを捨てることができないのは、木更津で割烹料理店を営む板前のゲンも同じだった。隣の席に座る妻と、以前修行していた東京の料亭から親方を裏切ってかけおち同然に飛び出してきてから二十年。かけおちと言っても、万年追い回しの立場に嫌気がさして、置手紙を残して夜逃げし、一週間後には所在を窺い知られ、いつでももどってこいと親方に言われるも、つまらない意地で帰ることもできず、山あり谷ありの中今日に至っている。
 巷で流行った「矢切の渡し」のように、なんだかすぐにつれもどされあっさり結婚を許してもらえるようなかけおちだったが、ゲンはちあきなおみが歌う「矢切の渡し」のように、コイツと心中してもいいと思うほど、覚悟を決めた別れだったと自負していた。
「今も俺の中に、その覚悟はあるだろうか」
 そう呟き、妻の手を握りステージを待つゲンの横顔は、心なしか疲れ、郷愁をそそられているように見えた。

  私が着いたのは ニューオリンズの
  朝日楼という名の 女郎屋だった

「朝日のあたる家」で、ちあきなおみは歌う。
「私の身の上に似ているわ」と、新宿二丁目の女装バーで歌うナオミはいかにももっともらしい顔で言った。去年、舞台で観たちあきなおみのこの歌に、ナオミは「これが、ちあきよ」と思った。
「今のちあきはちあきじゃないわ。そうでしょ?なんと言ってもちあきはシャンソンじゃない。いい、今の私は本物より本物らしく歌うことができるわ。だから、私こそちあきなおみなのよ」
 誘い合わせ会場へ足を踏み入れたママの知子さんは、ロビーの椅子で化粧を直しながらナオミの話に頷いていたが、そろそろ店をたたんで故郷へ帰ろうと最近決心し、なんだか無性に「紅とんぼ」が聴きたかった。

 化粧室から白麻のスーツにカンカン帽を被り、ロイド眼鏡をかけた永井荷風ばりの老人が出てきて、ナオミと知子さんの隣に座った。
「三枚買ってきたわよ」と言って老人にぞんざいにCDを差し出したのは、まだ二十代前半と思われる、結綿の島田髷に和服姿のうら若き女性だった。和人形のように透きとおる白さをうなじから首筋に見せ、〝ほどほどに紅をさすが美しき〟(長唄・色鹿子紅葉狩衣)といった、当節の女にはない色気を漂わせている。
「牡丹、お前が持っていなさい」
「私、ちあきなおみなんて聴かないわ。今日みたいにお天気のいい日は、コンサートより宇都宮まで足を延ばしてさくらんぼ狩りでもしたかったわ」
 不平不満を漏らす女性に、荷風もどきの老人が返す。
「それもいいが、いまさらフルーツ狩りはしんどい。今日のような日は、せめて歌の中に情趣を味わいたい」
「ホントにお好きなんですね」
「一度生で聴いてみなさい。地唄とは違うが勉強になる。三味線を弾いても踊っても、お前は見目よいだけでいけない。芸はもっともっとやさぐれなくちゃいかん・・・・」
「あら、憚り様」
 どうやらこのふたり、客と芸妓らしい、と隣で聞き耳を立てていたナオミと知子さんは思った。年配の女は心持を察しすぎていけない。この娘のようにあっけらかんとして、澄んだ空気の中に呼吸し、作為的ではない明るくみずみずしい艶をもった牡丹に嫉妬を覚えながらも、ナオミは荷風もどきの「やさぐれなければ」という言葉に、どこか懐かしいような、物憂げでわびさびのある、ちあきなおみの歌声を思った。なるほど、やさぐれたように歌うとは、ああいうことかもしれない。若い芸妓にうつつを抜かしながらも、人生の面影に情趣を酌みたいという老人の心持が、ナオミには理解できるような気がした。
 この娘の身になって考えれば、ロックやヒップホップなどのライブのほうがいいだろうに・・・・。三味線だの地歌だのちあきなおみだの、口やかましく言われてはやるせない。荷風もどきにしてみれば、歌舞伎の女形を思わせる床しい面差しを持つ牡丹が可愛くて愛おしくて、これから売れっ妓の芸妓にと手塩に掛けているのだろうが、些か時代錯誤ではあるまいか、と知子さんは慮った。しかし、扇子で老人の顔を煽ったりたばこに火をつけたりと、甲斐甲斐しく世話を焼く姿を見ていると、時代や年齢を超越した女心の綾というものを感じる。ふと、知子さんは「ねえあんた」を思った。ああいう時代には、この娘のような女が劇場やカフェ、街並みの中に、歌のように存在していたのだろう。そして、老人にとってこの娘は、そんな時代のうつし絵のようであり、まさに牡丹こそ「紅い花」ではないだろうか、と思ったりした。

 イベント制作会社の万里さんは四十歳、このコンサートの制作を担当していた。舞台裏であれこれ奔走するよりも、本当は客席で歌を体感したかったと、唇を噛んだ。
「私はバーの女でもなんでもないけど、『かもめの街』は沁みるわ。少し疲れてるのかしらね。あの、投げやり気味な歌い方、だけど膨らみと響きがあるのよ。特に歌詞の言葉尻、ああいう感じはだれにも真似できないし、これまでの歌謡曲にはなかった新しいジャンルとなることは間違いないわ」
 自分自身を投影することができるちあきなおみを、万里さんはこれからの歌手と位置づけ、今後も推してゆくつもりだ。

 演出の松原史明の仕事人生の中でも、ちあきなおみという歌手は自分を潰してしまうほどの圧倒的な存在だった。これまでにも、リサイタルや歌番組などの構成・演出をこなし、今回も自らが作詞した二曲を組み込んだ。ちあきなおみは松原史明にとって演出の対象ではなくライバルだった。
「俺はちあきなおみを〝ちあきなおみ〟たらしめることにはだれにも負けない」という意地をとおして二十年、今日のステージである。
 しかし、立錐の余地もなくファンで埋まった開演十分前の客席を眺めながら、ふと呟いた。
「今日が、最後のステージになるだろう。どう演出しても、俺は負ける」
 それは、松原史明だけが知りうる、ちあきなおみとの重い時間の量にのし掛かかられた、演出家としての直感だった。

「あ~あ~・・・・ああ~ああ~・・・・ああああ~!」
 思うように声が出ない・・・・。咳込んだ後、少し表情が曇った。これまでに一度だって、自分自身満足ゆくステージができたことはない。最後のステージ・・・・。でも、いつもそのつもりで歌ってきた。
「あ~っ!!」
 怒りにも似た発声が合図となったように付き人が部屋を出る。
 楽屋は、孤独な空間である。そこは、ひとりの女が歌手に変貌する、虚実交錯としたもうひとつの劇場だ。
 その人は静かに眼を閉じた。
 デビューしてから二三年、ここに至るこれまでのありとあらゆる場景が、まわり灯篭のように回転しはじめる・・・・。それは、懐かしむということよりはむしろ、寂しい追憶だった。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」という幸若舞「敦盛」の一節が心に刺さる。
 そうだとしても、これから私は女の一生を歌わなければならない。数え切れないほどの人生を歌ってきたものだが、私はきっと、長い長いただひとつの物語を歌ってきたような気がする。
 その人は鏡前で、最後のちあきなおみを見つめた。

 楽屋前で、門番のように直立不動に立つ付き人に舞台監督がちらっと目配せをした。付き人はどことなく悲痛な表情を浮かべ、楽屋の扉をノックし、「本番五分前です!」とちあきなおみに告げた。まるで死刑執行を告知する刑務官のような気持だった。
「このステージが早く終わればいい・・・・」と、ひとり強く願った。ちあきなおみのコンディションは最高とは言い難かった。精神的にもあらゆるリズムにズレが生じ、その身体には疲れが蓄積していた。
「やめてもいいのに・・・・」と思わず口にしたとき、扉が開きちあきなおみが出てきた。
 付き人はびくっとして苦い表情を無理に引き締めてかくした。
 ちあきなおみは穏やかな表情で、少し微笑んでいるようにも見受けられた。だが、どことなくその所作から、悲壮な覚悟らしき匂いを付き人は嗅ぎ取っていた。
「ちあきなおみは甘くない。ステージに出てしまえばだれの心配もいらない」
 付き人は松原史明の言葉だけが拠りどころだった。

 ただ一途に下手袖からステージ中央にスタンバイしたちあきなおみは、天空を見上げるように頭上を仰ぎ、大きく息を吐いた。ドレスの裾を舞台の上に整え下ろした付き人が名残惜しそうに舞台袖にはける。振り返ると、そこには幕を射貫き遥か遠くを直視する、獲物を狙うかの如くプロ歌手の姿があった。もうこの場所に、だれも立ち入ることはできない。
 さあ、ステージの幕が開く・・・・。
               つづく

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