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ちあきなおみ~歌姫伝説~ あとがきにかえて

 よく、ふと思い出すひとつの光景がある。それは本番前、ちあきなおみのステージドレスの背中上部のホックを私が留める姿だ。
「ちあき君が呼んでるぞ。君の大事な仕事だ」
 いつもそう言って私を楽屋へと促したのは、松原史明だった。
 楽屋へ入ると、全身鏡前でその人が待っている。
 私は微かに震える手でホックを留める。と、その人は大きく息を吐き、ちあきなおみとなるのだ。
 本番終了後は、同様にそのホックを外すのが私の仕事だった。
 この光景が頭によみがえってくる度に、外面的ではあるが、ちあきなおみの完成と解体が私のひとつの仕事だったのだ、と感慨深いものを感じてしまう。
 思えば、最後にホックを留め、外してから三十年という月日が経過した。その間、ちあきなおみの歌声は、一切封印されたままだ。

 私は今回、この空白の期間を埋めるために、歌手・ちあきなおみと向き合おうと思ったのかもしれない。それは拙著「ちあきなおみ 沈黙の理由」(新潮社)を書いた以上、それが書き手としての筋のとおし方だと思うからである。
 しかし、どうすれば書けるのか、という絶望的な思いがあったのも事実である。
 私は歌手・ちあきなおみを辿るため、様々な場所に出向いた。だが、あまりにも長い年月に覆いかくされ、今やなにひとつ当人に繋がる足掛かりを探し出すことができなかった。
 結局は、私が本人から聞いた言葉を足掛かりにするしかない。そしてなによりも、歌を聴くしかない、という結論に辿り着いた。私は片っ端から歌を聴き込んでいった。だが恥ずかしながら、知らない歌のほうが多かった。しかしそこには、激動の時代を背景として、昭和を表現する私の知らない幾人ものちあきなおみがはっきりと存在し、新しい出逢いをすることができたのだ。そして、劇的に変化を遂げてゆく昭和時代の中で、天から授かった才能や力とともに、幼少の頃より、辛い思いや悲しい体験を豊かに経験してきたことこそが、ちあきなおみを不世出の歌手としているのだということが感じられた。
 もし、ちあきなおみ以後、という見方をするならば、この時代、どのような優れた歌唱力を持っていようと、時代を体現できる歌手は生まれないだろう。私を含め、もしもちあきなおみを追い、そこに学ぼうとする表現者がいるならば、ちあきなおみが遠くに向けた、その眼差しの先を凝視することではないだろうか。そこにはどれだけ時代が移り変わろうとも、人間が失くしてはならない不変のものがあるのだから。

 やっとそのことがわかったこの思いを、これでもか、これでもかと、私にちあきなおみを教えてくれた松原史明に伝えたかった。しかし、氏は帰らぬ人となってしまった。ちあきなおみという歌手に関して、もう頼り縋れる人はいなくなってしまった。「一日一枚書け」という氏の言葉を反復させながら、私は今、「ねえあんた」の小説を書いている。

 私は、ちあきなおみに付いていた八年間を思い返すとき、当時の自分を不憫に感じ、もしかしたら間違いではなかったか、と思うことがある。それは、夢や希望を語り合えたであろう同世代の仲間たちから離れ、大人たちのあいだで、来る日も来る日も、ちあきなおみ一色だったからだ。しかし今、同世代、さらには新世代の人たちとちあきなおみを語り合っているのだ。
 私がちあきなおみの下を離れたとき、ああ、これでやっと自由になれる、との思いが少なからずあった。その後、私はやりたかったことなどを実現してゆく過程において、やはり、自分自身を偽って生きているような、なにか心にすきま風が吹き抜けるような虚しい思いに駆られていたのだ。

 畢竟、私にはちあきなおみしかいなかったのだ。

 ここ数年、私はちあきなおみを書く(語る)ことに、大半の時間を費やした。いったいどれほど、「ちあきなおみ」と文字を綴ったことだろう。
 私にとって、「ちあきなおみ」と書く度、それはもう、ひとつの詩であり、そこから心の故郷のような原風景が立ちどころにあらわれてくる。私はその中で、もう一度、二度、三度と、ちあきなおみと再会を果たすために、これからも書きつづけてゆくだろう。
 私に冠された〝ちあきなおみ最後のマネージャー〟とは、現在進行形なのだから。

 今、ふと思う。
「私が郷鍈治とちあきなおみの下にいたことは間違いではなかった」と。

 郷さん、私は今、あなたの享年になりました。
 たった一年間しか添えなかったですが、私はあなたによく怒られました。怒鳴られると、私は映画俳優だったあなたと共演しているような錯覚に陥り、なんとも嬉しくなってしまう駄目な部下でした。
 後年、病床であなたが「古賀、・・・・古賀を呼べ」と言っていたと聞いたことがあります。いったいなにを伝えたかったのでしょうか。
 
 この「歌姫伝説」の最初の読者となり、一文字一文字を凝視し、手を取って横になっている物語を立ち上げ、書いたものに意見や感想を加え、光を与えてくださった、新潮社の岡田葉二朗氏に、この場を借りて心よりお礼申し上げたい。

 最後に、半年間にわたりお付き合いくださったフォロワーの皆様に、深く感謝いたします。またnote上にて、別の形でお会い出来る事を楽しみにしております。
 ありがとうございました。
              古賀慎一郎
                         


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