見出し画像

信じるか信じないかは…_教祖誕生

子供の頃、よく連れて行かれたスーパーの隅にレンタルVHSのコーナーがあった。
昔だとよくあったのだろうか。
親が会計を済ませる間によくそこで時間を潰していた。

よく手に取って眺めていたのはバタリアンで、その次は伊丹十三シリーズだった。
バタリアンはジャケットの怪物が怖かったから、伊丹十三の作品はいつも親が途中からみせてくれなかったのでめちゃくちゃ気になっていたから
親の目から離れて、何かいけないものを手に取っているワクワク感があった。

恥ずかしながら教祖誕生は伊丹十三の作品かと思っていた。そのレンタルコーナーで並んでいたからかな。並んでいる景色はすごく覚えている。

__

信じるものがあることは自由だ。
信じるものが人より多いことは羨ましい。
でも信じるものは自分で決めたいし
誰かに強いることはしたくない。

陰でこういう運営だった団体であっても
信じている人がいてその人が救われているならいいかなと思うけど
そのせいで誰かが犠牲になっているのはなーと思うし
占いとかも同じだよなーと思ったり
きっとここまでとはいかなくても、裏側はとっても滑稽なんだろうなあと思って観ていた。

この頃の北野武はツルッとしていて色気があり
岸辺一徳もかっこいい。
萩原聖人は異様な毛量の前髪で
玉置浩二はめっちゃくちゃ色男。

という思ったより眼福な作品だった。
今だとこんな作品作れないのかなーとか、あれ?今なら作れる?とかそんな複雑な思いもあった。

___

ヴィーガンズハムの時も似たようなこと書いたけど
信じている物とか事がある人って、謎なゆとりを感じるのよね。

職場にザ・好青年という感じの人がいて、明るいし人当たりもいいし、前向きだし、誰にでも平等、私の薄汚いスレた仕事の愚痴を聞いても笑顔で共感し前向きなアドバイスをしてくれて。やっぱ「非の打ち所がない」からいろんな部署に引っ張りだこな人。癖が強い役員にも好かれている。
彼と出張した時、彼が週末家族旅行で某有名神社のある地域に旅行した話をしてくれた。
「某有名神社には行ったの?」と聞くと彼は「行かなかったんすよー」と返事。
私はその時なーーーーーーんにも考えず。
あそこに行って寄らないの?あれ以外どこ見にいくとこあんの?(失礼)あそこ行ってあれ行かないって珍しいねー。
なんて話しちゃってた。
後に同僚から彼がガチガチの〇〇信者と聞いた。

納得。(トムブラウンの合体の感じで)

という事があったのよね。

祖母もガチガチの△△信者で父は嫌がっていたけど、孫の私にはとても優しく懐の広い人だった(初めてかってもらった自転車に謎のシール貼られたのは嫌だったけど)。
おばあちゃんがゴリゴリの〇〇信者だった同級生のN君は、修学旅行で座禅を拒否して熱心な信者っぷりをアピールしていたが今はバツ2の薬物中毒者だ。

どう生きて、どう誰かの役に立ち、どう死んでいくかは自由だ。
占いだって、宗教だって、お金持ちになれるブレスレットだって、都合よく信じて幸せに生きればいい。
同じ十万円でもギャンブルに注ぎ込むか何の変哲もないただの石に支払うのかも自由だ。

ただ自由でも人に迷惑かけんな。
親子であってもだ。
それだけは忘れんな。

たけしはどう描いても世に蔓延る「たけしの似顔絵」になる。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?