エルネスト金こと金良平さん、ヘイトスピーチ三昧前に退任した在日特権を許さない市民の会元副会長の責任追及
エルネスト金こと金良平さんのポストとそれに関する私見
エルネスト金こと金良平さんが、在日特権を許さない市民の会の副会長であった新井知真さんに言及しています。
エルネスト金こと金良平さんの見解にはまったく賛同することはできません。新井知真さんが副会長であった時点の在日特権を許さない市民の会は、桜井誠こと高田誠さんが朝鮮人の殺害をシュプレヒコールとしたその後の姿とは異なり、思想的なサークルという形態にとどまっていました。この時点で在日特権を許さない市民の会や桜井誠こと高田誠さんがそのように変貌すると予見することができる者はいなかったと言ってよいでしょう。
例えば、平成20年に発生した東村山駅前のブティックに対してなされた街頭宣伝活動において、桜井誠こと高田誠さんが参加して罵声を飛ばしていたのは事実ですが、西村修平主権回復を目指す会代表、槇泰智政経調査会代表、黒田大輔日本を護る市民の会代表などと異なり、在日特権を許さない市民の会や会長の桜井誠こと高田誠さんは東村山問題から完全に距離を置くようになりました。その動機が深入りすると不利になるという計算であったとしても非常に理性的な判断であると言えますし、行動界隈を注視していた者が主に批判対象としたのは、西村修平さん、槇泰智さん、黒田大輔さんであり、彼らを東村山問題へと導いた瀬戸弘幸維新政党・新風副代表(当時)でした。したがって、この東村山問題が発生する前に在日特権を許さない市民の会を去っていた新井知真さんがその後の在日特権を許さない市民の会の変貌を予見することができる可能性は皆無であると言ってよく、その後変貌したことをもって新井知真さんを批判するのは筋違いであると言えます。
更に論考すれば、北新地大学院生リンチ事件において大学院生をリンチした主犯格の男性は、もともとは彼の所属していた友達守る団の代表に代わって京都朝鮮学園の児童から花束をもらったことをもって自身の言動を正当化しながら殴り続けていたわけですが、友達守る団の最年長であるあらまー。さん、カウンターの最前線に立っていた被害者の大学院生ではなくその主犯格の男性が花束を受け取ることができるように動いていた人物がいらっしゃったと聞いています。ただ、その人物が主犯格の男性がその後変貌して北新地大学院生リンチ事件というヘイトクライムを発生させると予見できるはずもなく、新井知真さんと同様にそのことをもって責任を追及することなどできないと私は思います。