見出し画像

ブリテンズ・ゴッド・タレントから考える表現の不自由展の不条理

とにかく明るい安村さんがチャレンジしたブリテンズ・ゴッド・タレント2023

 とにかく明るい安村さんがチャレンジしたことをきっかけとしてブリテンズ・ゴッド・タレント2023などのオーディションの動画を観る機会が増えています。このオーディションのルールでは、番組で放映されない一次選考、観客と審査員を入れて行われる二次選考、生放送の準決勝、決勝という段階で参加者がふるいにかけられますが、審査員が最も印象に残った参加者に対して一度だけゴールデン・ブザーを押すことができ、ゴールデン・ブザーとなった参加者は準決勝進出がその場で決定します。
 ブリテンズ・ゴッド・タレントのゴールデン・ブザーの対象となった演技が動画にまとめられていました。

 ブリテンズ・ゴッド・タレントでは、メッセージ性の強い演技が審査員の琴線に触れる傾向が強く、ウガンダから来た孤児院の子どもたちで結成されたゲットー・キッズ、非常に強いメッセージを歌詞に込めた楽曲を披露したチキン・シェード、多様性を求めるメッセージをダンスで表現したユニティーなどがゴールデン・ブザーを獲得して準決勝に進みました。そして、この動画を観たときにあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」を思い出さずにはいられませんでした。

ブリテンズ・ゴッド・タレントと表現の不自由展の違い

 ブリテンズ・ゴッド・タレントもあいちトリエンナーレもハイレベルな芸術性が求められるということには変わりがないと思います。しかし、津田大介さんが芸術監督を務めたあいちトリエンナーレ2019の企画として行われた「表現の不自由展」とブリテンズ・ゴッド・タレントでは大きな違いがありました。求める芸術のレベルです。
 ブリテンズ・ゴッド・タレントのゴールデンブザーとなった演技について、私個人の感覚としてゴールデンブザーに相当する演技なのだろうかと感じるものもありましたが、どの演技も審査員4人が「YES」と判断する「4YES」のレベルを遥かに超えていました。
 しかしながら、「表現の不自由展」で展示された作品はどうでしょうか。慰安婦少女像は芸術の域に達せず工芸品レベルですし、もらったお土産をそのまま展示した展示物や新聞記事でつくったかまくらは小学生の夏休みの自由研究レベルであるといってもよいのではないでしょうか。津田大介さんは、あいちトリエンナーレの求めるレベルの芸術性を備えた作品を選んだのではなく、求めるレベルにまったく達していない作品を政治的なメッセージなどで上げ底評価して「表現の不自由展」に展示する作品としたとしか考えられません。
 なお、あいちトリエンナーレが求める芸術性のレベルに達する「表現の不自由展」の展示作品は、小林よしのり「ゴーマニズム宣言」で雅子皇太子妃(当時)が「天皇制反対」と叫んでパレードで爆弾を投げるシーンが問題となってSPA!の掲載を断られた「カバ焼きの日」、てんかんを持つ人への表現が問題となって教科書から削除された筒井康隆著「無人警察」ぐらいしか私には思いつきません。

厳しい芸術の世界で生き残るためだけに用いられた政治的なメッセージ

 私が「表現の不自由展」で展示すべき作品として推薦する「カバ焼きの日」にしろ、「無人警察」にしろ、作品の高いクオリティが根本にあって、メッセージはただの香辛料にすぎないわけです。非常に強いメッセージが込められたピカソの「ゲルニカ」に至ってもそうであると思います。しかしながら、「表現の不自由展」に展示された作品の制作者は政治的なメッセージがなければ見向きもされない作品しか制作することができないのではないかと私は疑念を抱いています。つまり、「芸術版ハローワーク」というわけです。