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週刊文春の電車の中吊り広告の終了に思うこと

週刊文春の電車の中吊り広告は本当に雑誌の象徴というべき『ブランド広告』でもあり一つの文化だったのか

 令和3年8月17日付け朝日新聞で「週刊文春、中吊り広告を終了へ 『一つの文化だった』」という記事が配信されています。

 「週刊文春」が8月26日発売号を最後に電車の中づり広告を終了する。同誌は約51万7千部(日本雑誌協会調べ)と業界トップ。首都圏を中心に通勤時の風景として定着した「中づり」はなくなってしまうのか。
 同誌の加藤晃彦編集長は「中づりは雑誌の象徴というべき『ブランド広告』でもあり、一つの文化だった」と話す。

 私は週刊文春にとって電車の中吊り広告は「ブランド広告」でもなく、「一つの文化」などでは到底ないと思います。なぜならば週刊文春には次のような「前科」があるからです。

 週刊新潮(新潮社)の中づり広告を、出版取次会社が週刊文春(文芸春秋)側に渡していた問題で、文春の新谷学編集長は18日、自社サイトで「情報を不正に、あるいは不法に入手したり、それをもって記事を書き換えたり、盗用したりしたなどの事実は一切ありません」とのコメントを出した。中づり広告を入手していたかどうかには触れなかった。
 新潮は同日発売の最新号で、文芸春秋の男性社員が出版取次会社を訪れ、一般に公開される前の新潮の中づり広告を持ち出してコンビニエンスストアでコピーしたとする写真を記事とともに紹介。2誌の発売日は基本的に同じで、中づり広告の締め切りが週刊誌本体より早いことから「週刊文春編集部は、次に出る週刊新潮の中吊(づ)りのコピーを公開前に見て、抜け落ちているネタを補完していた」などと報じた。
 これに対し、文春の新谷編集長は「編集長から読者の皆様へ」と題するコメントで「情報収集の過程で、他メディアの動向をつかむことはしばしばあります。そうした『情報戦』は、さまざまな形で新聞やテレビなどのメディアも行っています」と説明。「スクープ泥棒」とする新潮報道には「そうした事実は断じてありません」と反論した。中づり広告入手が事実かどうかには触れなかった。文芸春秋はこの日、朝日新聞の取材に「情報収集の過程については、お答えしておりません」と回答した。

 週刊文春にとって、電車の中吊り広告は特落ちを防ぐ情報源でしかなかったわけですが、いつの間に「ブランド広告」や「一つの文化」に昇華してしまったのでしょうか。