見出し画像

秋の夜長に菅野完さんの負け惜しみを読む

菅野完さんがフェイスブックに投稿したコメント

 菅野完さんの著書「日本会議の研究」について、生長の家元幹部の安東巖さんが名誉毀損に基づく不法行為を理由として損害賠償及び出版差止め等を求めていた民事訴訟が菅野完さんの敗訴という形で終結しました。

 これに対して、菅野完さんがフェイスブックでコメントしています。

賠償額の110万円は「大幅減額」として喜ぶ成果なのか

 コメントの中で菅野完さんは110万円の賠償額について裁判所が菅野完さんの主張を認めた成果であるかのようなコメントをなしています。

地裁、高裁、最高裁の三審とも、原告側が求める「3000万円の請求」と「出版差止めの請求」を見事に退け、「賠償金100万円への大幅減額」「今の形のままでの出版継続」という結論になりました。

 ただ、菅野完さんのコメントを額面どおり受け取ることはできません。
 名誉毀損を原因とした不法行為について、淫行勧誘罪で逮捕され不起訴となった者に対し、逮捕容疑でないアダルトビデオ出演強要などという行為をなしたとツイートした伊藤和子弁護士に対して東京高等裁判所が命じた賠償額は20万円でした。
 また、在日コリアンのコミュニティの圧力をちらつかせて日本人である被害者の大学院生に味方する者などいないなどと言いながら1時間以上傷害行為を続けるというリンチ及びヘイトクライムをなした金良平さんに大阪高等裁判所が命じた賠償額も大阪地方裁判所の判決から上積みされて100万円を超えることとなりました。
 さらに述べれば、記憶に新しい菅野完さんの性的暴行を原因とした民事訴訟で、裁判所が菅野完さんに命じた賠償額は110万円でした。
 このような判例でなされた損害論の判断を見ると110万円の賠償額はかなりの高額であるといえます。

表現の公共性、公益目的が認められたのは誇るべき評価なのか

 菅野完さんはさらに次のように述べて民事訴訟の成果を誇ります。

さらには、表現について公共性、公益目的を認めたことは、私の取材活動の正当性に対する裁判所の評価だと考えています。

 ただ、ご存じの方もいらっしゃるように表現の公共性や公益性を認める基準は間口が非常に広いのが動かぬ事実です。日本第一党を名乗る政治団体の街頭宣伝活動で日本人拉致問題を絡めるだけで表現の公共性や公益性が認められていることがそれを証明しています。

取材源の秘匿を守りながら攻撃防御をなしたというのは本当か

 また、コメントの中で菅野完さんは取材源の秘匿に留意しながら民事訴訟を戦ったことが敗訴の一因となったかのように述べています。

 執筆に際し私は、取材を可能な限り尽くしました。裁判では原告である宗教家側から、インタビューに応じてくれた取材協力者の氏名、属性を明らかにするよう執拗に迫られましたが、そのような要求に応じ、法廷で取材者に関する証言をすることは物書きの基本である「取材源の秘匿の原則」に鑑みて出来ませんでした。法廷において私が被告本人として出廷のうえ直接供述した際にも、再三にわたり原告である宗教家の代理人弁護士からは、取材源を明らかにするよ何度も執拗に迫られましたが、私は当然のように、証言を拒みました。「取材源の秘匿の原則」の範囲内で訴訟における攻撃防御を尽くしたことは正解だと考えております。

 しかしながら、「日本会議の研究」において記載されていた「『理想世界』百万部運動によって自殺者が出たにもかかわらず、安東巖が馬耳東風であった」旨の表現について、安東巖さんが冷酷な人物であると解釈できる部分のみならず、運動によって自殺者が出たという事実の部分すら取材メモ等から事実とは認められないと完全に菅野完さんの主張は切り捨てられています。自殺者が出たという事実の部分すらまともな取材がなされていないと判断された書籍について、どのような可能な限りの取材の取材がなされたのか非常に疑問です。
 このようなことから、菅野完さんのコメントについては壮大な負け惜しみであると私は解釈しています。