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沖縄県宜野湾市長選挙でオール沖縄の推す候補が惨敗 ~民主党、翁長雄志元知事、玉城デニー知事によってもたらされた普天間の惨状~

沖縄県宜野湾市長選挙でオール沖縄支援候補が惨敗

 普天間飛行場の移転問題が大きな争点となっていた宜野湾市長選挙で玉城デニー沖縄県知事などオール沖縄が支援していた桃原功候補が惨敗し、元市長であった佐喜眞淳候補が当選しました。
 なお、画像は「宜野湾」で検索してヒットした宜野湾市の公園の画像をお借りしました。

 普天間飛行場の辺野古移設に反対して普天間飛行場の全面撤去を政策として掲げるということは、反米運動のために世界一危険な基地のそばに住んでいる宜野湾市の住民を見殺しにするということなのでしょうか。それとも宜野湾市の住民にとっての普天間飛行場を移転させるという次善策を排除して宜野湾市以外の都市の住民からの支持を得たいということなのでしょうか。いずれにしても宜野湾市の住民から支持を受けることなど望むべくもないことがわかります。

橋本龍太郎元総理大臣が泉下で泣いている

 普天間飛行場の移転計画が進んできたのは、橋本龍太郎元総理大臣の熱意によるものでした。「世界一危険な基地」である普天間飛行場と周辺の住民の生活を見た橋本龍太郎元総理大臣は、普天間飛行場の移転のために心を砕き、様々な手法の検討を行い、沖縄県の地元業者が工事に参入できる埋立工事による辺野古移転が最善であるとの結論に至りました。更に基地移転に伴う振興策をも提案し、地元住民と仲井真弘多沖縄県知事(当時)の同意も得て、計画を進めるだけの段階になっていました。
 それを壊したのが民主党でした。政権交代を実現させるために何の対案もなく普天間飛行場の県外移転を公約に掲げたのです。これが沖縄県の同意をぶち壊し、自由民主党が十何年間かけて検討した流れをなぞるように案を掲げては潰れるということを繰り返して辺野古移設を最終案としましたが、ここまで無駄に振り回された沖縄県民の気持ちが伴うことはありませんでした。結局、泉下の橋本龍太郎元総理大臣と沖縄県民を泣かせることになってしまったのです。なお、鳩山由紀夫元総理大臣の辺野古移転を真っ先に支持するはつげんをしていたのが民主党国会議員であった玉城デニー沖縄県知事でした。