植村隆株式会社週刊金曜日代表取締役の卑怯そのものの報道姿勢

この記事で触れる週刊金曜日令和2年2月21日号について

 元朝日新聞記者でいわゆる「従軍慰安婦」問題の火付け役となった植村隆さんは、結果として朝日新聞が記事の取消しと謝罪に追い込まれるきっかけとなった記事を執筆し、その経緯から捏造であると雑誌に記事を執筆した櫻井よしこさんと西岡力さんにそれぞれ民事訴訟を提起し、いずれも敗訴が確定しています。この民事訴訟の係属している平成30年に植村隆さんは週刊金曜日を出版する株式会社週刊金曜日の代表取締役にこのnoteの記事は、東京地方裁判所に提起した民事訴訟で原告の請求を棄却する第一審判決が言い渡され、札幌地方裁判所に提起した民事訴訟で原告の請求を棄却する判決が言い渡されたことを不服として札幌高等裁判所に控訴し、控訴が棄却された時点の週刊金曜日の記事について触れていますので、その旨ご承知ください。

肝心なものが足りない「『植村裁判』札幌高裁判決」特集

 週刊金曜日令和2年2月21号で原告植村隆、被告櫻井よしこの民事訴訟の札幌高等裁判所判決言渡の特集記事「『植村裁判』札幌高裁判決」が掲載されました。その特集記事では「裁判所がフェイクニュースにお墨付き 人生を賭けて汚名返上せんと闘う人間への答えなのか」と題したジャーナリストの安田浩一さんの記事と、「本人への取材なしに真実相当性を認める 地面まで下がった判例法理のハードル」と題した弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士の記事が掲載されています。第三者であるジャーナリストの記事と弁護団の弁護士の記事が揃っているわけですが、ここで肝心の記事が欠けています。それは原告である植村隆さん自身が自らの認識や感情に基づいて執筆した記事です。週刊金曜日で自分の関わる民事訴訟を特集する以上、代表取締役でもある植村隆さんが発言しないことは非常に不自然に感じます。

安田浩一さんの半分が無駄な記事

 安田浩一さんの記事は例によって大仰な情景描写で始まります。

開廷を前にしてテレビカメラによる冒頭撮影、いわゆる”頭撮り”が行われた。植村裁判では初めてのことである。
カメラが回る約2分間、時が止まった。風景が固まる。法廷を沈黙が支配する。

 そして、植村隆さんが札幌高等裁判所の判決言渡の法廷の原告席で裁判官の表情をメモしていたことを植村隆さんに聞いたことに触れます。

「裁判官の顔には緊張も動揺も浮かんではいなかった。淡々とした表情だった。それを確認したとき、一瞬、勝てるんじゃないかと思った」

 さらに、植村隆さんに聞いたと思われる裁判官の表情を引用し、さらに大仰な表現が続きます。

前回(札幌地裁)判決時、裁判官は明らかに「緊張も動揺も」隠せないでいたという。手術の失敗を患者に告げる医師のように、脅えの色が顔に浮かび上がっていた。ところが、今回は違った。憂いを放り投げたような、さばさばした表情は、これまでとは違った展開を予測させた。私もまた、その瞬間までは医師の顔色をうかがう患者のような気持ちで、待った。祈るような気持ちで耳を傾けた。

 札幌地方裁判所で裁判官の表情をしっかり確認したわけでもなく、文脈から考えるに札幌高等裁判所での判決言渡後に植村隆さんから聞いた内容をもとに、裁判官の表情に関する植村隆さんの認識をあたかも安田浩一さん自身もはじめから持っていたかのように書く文章力は評価しますが、これはジャーナリストがなすべき仕事ではなく小説家のなすべき仕事ではないでしょうか。安田浩一さんの記事のうちの半分は、

植村氏の視界が捉えていた開廷前の裁判官の顔つき

に関するものに費やされます。更に、民事訴訟の判決言渡では主文の朗読で終わるところ、判決主文に続けて判決理由の骨子を述べたという札幌高等裁判所冨田一彦裁判長の極めて異例の配慮にも次のような主観的な表現に終始します。

冨田一彦裁判長の声には何の躊躇も感じられなかった。続けて読み上げられた判決理由の骨子も、素っ気ないものだった。
・櫻井論文の記述中には控訴人の社会的評価を低下させるものがある。
・しかし、それを真実だと信ずるに相当の理由がある。

 ただ、このような表現をなした安田浩一さんを責めることは適切ではないかもしれません。なぜならば、この文章は本来であれば原告兼控訴人という当事者であるとともにジャーナリストであるはずの植村隆さんが書くべきものであるからです。安田浩一さんには株式会社週刊金曜日代表取締役であり週刊金曜日の発行人である植村隆さんに記事でこれほど媚びるのはいかがなものかと批判することはできますが、安田浩一さんがこのような感情を書き散らかしたような無駄な文章を書かなければならなくなった責任は、自らが持つメディアである週刊金曜日において、自身の言葉で自身が当事者となった民事訴訟について書かずに出入りの執筆者に書かせる発行人の植村隆さんに帰すべきものだと私は思います。

安倍晋三元総理大臣に抗議の内容証明郵便を送ったことを報じる週刊金曜日オンラインの記事

 その後、原告兼控訴人の植村隆さんが最高裁判所に上告(おそらく上告受理の申立もなしているものと思います。)し、最高裁判所が上告審として受理しない旨の決定をなすことになるわけですが、この決定を知った安倍晋三元総理大臣が下記の産経新聞の記事をリンクし、フェイスブックで「捏造が確定した」旨のコメントを公開し、植村隆さんの代理人の弁護士から内容証明郵便で警告がなされコメントを削除することになりました。

 そのコメントをめぐり植村隆さんは自身の言葉や内容証明郵便を送付した代理人弁護士の発表という形で語ることなく、出入りの報道人と名乗る徃住嘉文さんが週刊金曜日オンラインで植村隆さんの主張をそのまま書くという形で反論することになりました。

 記事を掲載するメディアの代表取締役兼発行人である人物の民事訴訟やその前提となる内容証明郵便送付に関して出入りの執筆者がどのように客観的な記事を執筆したとしても公平性に欠けると受け取られるのは仕方ない面があるといえます。だからこそ当事者である植村隆さん自身か代理人弁護士が署名記事で自らの主張を述べる役割を負うべきだと思うのですが、ここでも植村隆さんも代理人弁護士も何も述べず、徃住嘉文さんが内容証明郵便に関する植村隆さんの主張を代弁したかのような記事を執筆する役割を負わされています。ジャーナリストでもあるはずの植村隆さんはそのような形で自らの民事訴訟や内容証明郵便送付に関して報じることに疑問を抱かなかったのでしょうか。ジャーナリストとして極めて不誠実で卑怯な姿勢であると私は思います。

週刊金曜日側の札幌高等裁判所判決に対する認識の誤り

 さらに述べれば、札幌高等裁判所で言い渡された判決に対する安田浩一さん、弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士、徃住嘉文さんの認識は完全に誤っています。
 判決文では、植村隆さんの記事について「義母の訴訟を支援する目的だったと言われても弁明できない」と櫻井よしこさんが書いた部分について次のように評価しています。

控訴人X(植村隆さん)は、原判決別紙主張対照表1(2)の記述について,「言われても弁明できない」の部分は婉曲的な表現にすぎず,同記述は義母の訴訟を支援する目的で控訴人Xが本件記事Aを捏造したとの事実を摘示するものであると主張する。しかし,「義母の訴訟を支援する目的だったと言われても弁明できない」は,まず,その表現ぶりから見て,事実として断定しているとはいえず,論評であり,同記述の内容は証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項であると解することはできない。文脈に照らしても,被控訴人Y(櫻井よしこさん)が同記述を含むY論文アにおいて控訴人Xと義母との関係について触れているのは,同記述部分及びGの主張の引用部分のみであり,Y論文アの全体からみても,同記述部分が,控訴人Xが義母の訴訟を支援する目的で本件記事Aを捏造したとの事実を摘示するものとは認められない。したがって,この点に関する控訴人Xの主張は認められない。

つまり、この部分に関して植村隆さんが義母の訴訟の支援のために記事を執筆したという事実を摘示しているのではないと評価しています。
 また、櫻井よしこさんの論文の「意図的な虚偽報道だと言われても仕方がない」の部分についても同様に評価しています。

控訴人Xは,原判決別紙主張対照表2の記述について,「意図的な虚偽報道だと言われても仕方がない」の部分は意見ないし論評ではなく,控訴人Xが意図的に虚偽の報道を行った事実を摘示するものであると主張する。 しかし,「意図的な虚偽報道だと言われても仕方がない」は,まず,その表現ぶりから見て,事実として断定しているとはいえず,論評であり,同記述の内容は証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項であると解することはできない。原判決別紙主張対照表2の記述の前後の文脈をみても,同記述は,1 控訴人Xが,慰安婦とは無関係の韓国の女子挺身隊と慰安婦とを結び付けて日本が韓国人女性を女子挺身隊として強制連行したという事実と異なる本件記事Aを執筆したとの事実 (裁判所認定摘示事実2),2 控訴人Xが韓国語を操り,控訴人Xの妻が韓国人であるとの事実,3 控訴人Xの義母が慰安婦問題で日本政府を相手どって訴訟を起こした本件遺族会の幹部であるとの事実を前提に,控訴人Xが意図的に事実と異なる本件記事Aを執筆したと言われても仕方がないとの意見ないし論評と解するほかない。また,「意図的な虚偽報道」との 見出しは,この意見ないし論評の要約というべきである。控訴人Xが指摘 する点を考慮しても,同記述について,間接的ないし婉曲に,あるいは, 黙示的に,控訴人Xが意図的に虚偽の報道を行った事実を摘示するものとはいえない。したがって,この点に関する控訴人Xの主張は認められない。

 そして、櫻井よしこさんが金学順さんに取材をしていないにも関わらず、札幌高等裁判所が論文の真実相当性を認めたと主張する小野寺信勝弁護士は、週刊金曜日令和2年2月21日号「本人の取材なしに真実相当性を認める 地面まで下がった判例法理のハードル」について次のように述べています。

櫻井氏は、金学順氏は人身売買により「慰安婦」になったにもかかわらず、植村氏は女子挺身勤労令に基づく女子挺身隊と「慰安婦」を関連付けることにより、金学順氏を強制連行の被害者であるという「捏造」記事を書いたと主張していた。ところが、櫻井氏は植村氏の記事を「捏造」といいながら、本人に取材はおろか申込みさえしたことがなかった。従来の判例法理に照らせば、本人への取材なしに真実相当性を認めるのは困難である。

ただ、判決文では櫻井よしこさんの主張を認め、論文について捏造であるとの事実を摘示したものではないと評価していますから「『捏造』記事を書いたと主張していた」というのは植村隆さんの弁護団事務局長という立場を考えても不適切な表現であるといえるでしょう。また、本人への取材なしに真実相当性を認めることが困難であるとの従来の判例法理について私は存じ上げませんが、他の事実を抜きにして本人への取材を行っていないから真実相当性を認めたという最高裁判所の判例でもあるのでしょうか。更にいえば、著述家の菅野完さんの「日本会議の研究」をめぐる民事訴訟においては、被告の菅野完さんは原告の安東巖さんへの取材を行っていないにもかかわらず書籍の表現に真実相当性を認めた部分がありますが、これは従来の判例には含まれないのでしょうか。
 小野寺信勝弁護士は更に続けます。

ところが、今回の判決は「推論の基礎となっている資料が十分ある」として植村氏本人への取材は不要であると判断した。ここでいう「推論の基礎となっている資料」とは、1991年8月15日付『ハンギョレ新聞』、同年12月6日に金学順氏が日本政府に戦後補償を求めた訴状、『月刊宝石』92年2月号に掲載された臼杵敬子氏の論文「もう一つの太平洋戦争」である。しかしながら、前記資料には金学順氏が人身売買により「慰安婦」になった記載はないばかりか「養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」(前記臼杵論文)など、日本軍による武力により「慰安婦」にさせられた経緯が詳細に記載されている。つまり櫻井氏が依って立つ資料によっても金学順氏は強制連行の被害者と読むほうが自然である。

この記述はよくわかりません。なぜならば判決文ではハンギョレ新聞や平成3年の民事訴訟の訴状について次のように触れているからです。

被控訴人Yは,本件各論文を執筆するに当たり,資料として,平成3年8月15日付けハンギョレ新聞,平成3年訴訟の訴状及びD論文を参照した(原判決第3の2(1)ケ(ウ))。そして,C氏が慰安婦になった経緯について,上記ハンギョレ新聞は,C氏の共同記者会見の内容として,「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあったキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終えたCさんが初めての就職だと思って,検番の義父に連れられていった所が(中略)華北のチョルベキジンの日本軍300名余りがいる小部隊の前だった。私を連れて行った義父も当時,日本軍人にカネももらえず武力で私をそのまま奪われたようでした。」 と報じており(原判決第3の2(1)ウ(エ)),平成3年訴訟の訴状には,原告の一人であるC氏について言及した部分として,「そこへ行けば金儲けができると説得され(中略)養父に連れられて中国へ渡った。(中略)「鉄壁鎭」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた。Cらは中国人の家に将校に案内され,部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めて「しまった」と思った。」との記載があり(同エ(ア)),D論文には, 「17歳のとき,養父は稼ぎに行くぞと,私の同僚のHを連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて,...(後略)」との記載がある (同カ)。上記ハンギョレ新聞は,C氏が慰安婦であったとして名乗り出た直後に自身の体験を率直かつ具体的に述べ,これを報道したもの,平成3年訴訟の訴状は,訴訟代理人弁護士がC氏に対し事情聴取をして作成したもの,D論文は,DがC氏に面談して作成したものと考えられ,それぞれ一定の信用性があるということができる。これらの記載の内容を総合考慮すると,被控訴人Yが,これらの資料から,C氏が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊として日本軍に強制連行されて慰安婦になったのではなく,C氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと信じたことについて相当な理由が認められる。
 この点について,控訴人Xは,上記の各資料からは,C氏が日本軍人により強制的に慰安婦にさせられたと読み取るのが自然であると主張する。 しかし,上記の各資料は,C氏の述べる出来事が一致しておらず,脚色・ 誇張が介在していることが疑われるが,検番の義父あるいは養父に連れら れ,真の事情を説明されないまま,平壌から中国又は満州の日本軍人あるいは中国人のところに行き,着いたときには,日本軍人の慰安婦にならざるを得ない立場に立たされていたという趣旨ではおおむね共通しており,上記ハンギョレ新聞・D論文からうかがえる日本軍人による強制の要素は, C氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父からC氏を奪ったという点にとどまっている。そうであれば,核となる事実として,日本軍がC氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で,日本軍が強制的にC氏を慰安婦にしたのではなく,C氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと読み取ること,すなわち,いわば日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取る ことが可能である。被控訴人Yが上記の各資料に基づき上記のとおり信じたことについては,相当性が認められるというべきである。

 この弁護団に加わっている弁護士には、意図をもって質問する当事者尋問の場以外に大学院生リンチ事件で被害者の大学院生に事件について聴き取りをしていないにもかかわらず、在日女性の大学院生に対する有形力の行使について疑問を投げかけていた方がいらっしゃるはずですが、小野寺信勝弁護士の論理によれば本人への聴き取りをしていないからこの弁護士の主張に真実相当性が認められないということになるのですが、これでいいのでしょうか。

植村隆さんの朝日新聞記事の最大の問題点

 私は、植村隆さんが執筆した朝日新聞記事の最大の問題点は、金学順さんに聴き取りを行った内容を歪めて記事にしたかどうかではなく、当事者の証言は当事者の狭い視野や認識に基づくものであって記事にするためにはその裏付けを取って客観性を保つことが欠かせないにもかかわらず、その裏付けがなされたとは到底評価できない記事となっているということだと思います。そのような記事を執筆したことに対する批判に対し民事訴訟で対応するのは自由ですが、その民事訴訟の評価について自らの言葉で公表せずに、週刊金曜日の出入りの執筆者が自分よりの記事を書き、提灯記事なのではないかという批判を受けさせるような状態に置いているのはどうかと思うのです。