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続・山の危険と、それでも歩くことについて。

こんばんは、こえのもりです。

昨日の記事に、叔母が死亡した八ヶ岳での雪崩遭難の救助活動に参加してくださった方の記録をヤマレコで見つけた、ということを書きました。

思い切ってその方にメッセージを送り、掲載させてもらえないか?とお願いをしたところ、「遭難予防の啓蒙として役立つかもしれませんね、どうぞお使いくださいませ」とご丁寧な連絡をくださいましたので、文章とヤマレコのリンクを両方載せさせていただきます。

1982年03月21日(日) ~ 1982年03月22日(月)
「慟哭の八ヶ岳 雪崩遭難」

胸に刻まれた雪崩遭難との遭遇であった。

我々は初心者3名と大ベテランで八ッを計画、阿弥陀南稜から大同心を考えていた。
天気予報は雪、北海道出身のベテランの方から「無理は禁物」
とのことで1日遅れて直接行者に入山した。
テントを張り、その日の行動は取りやめた。昼食用意をしていると、
外で「医師、看護師は居ないか?」と声をかけて回っている。

中岳沢で雪崩が起き、多数埋まってしまったとの事だ。
もう救助は必要なく。今、掘り出され、間もなく下ろされてくる。
多くの手が必要だ。美濃戸まで搬送してほしいとの事、
ベテランに促されM君H君私でお手伝いします。と買って出る。
なんと、目の前にシートに包まれた遺体が12体も、我々はこの頃21才位
この光景に声も出ない。

遭対の方は粛々と作業を続け遺体に引き綱をセットしてゆく。
「上下に1名ずつ付き降ろしてくれ。結構長く大変だが、
頭部だけは岩に当てないように気をつけてくれ。」と言われた。

私の受け持ちは細い小柄な女性の様だ。
数時間前まで彼女も楽しく登っていたはずだ。
降ろして行くうちにヘリコプターが上空に現れた。
そりゃこれだけの惨事だ、大騒ぎになるのも仕方あるまい。
しかし、地上が雪が舞い上がって動きが取れなくなることだって解りそうなものだ。
何もコンナニ低空に来なくてもよさそうなもんだ。

やがて、暗くなった頃、美濃戸山荘に着き遺体安置所に届ける。
届け終わり行者小屋に戻る我々。
遺族の慟哭の声が山に響いた。

翌日、どこか登ったはずだが記憶が無い。
記憶に有るのは、行者小屋で降っていた重たいボタン雪だ。
かみ雪の日は気をつけなくては、とこの時の経験で身に染みた。

掲載にご快諾くださったchikutake様本当にありがとうございました。

これを読んでくださった全ての皆様のご安全を願い、山への敬愛と畏怖を込めて。

この記録を踏まえた上で、それでも私たちは地上では味わうことのできない世界を見たくてきっと進んでいく。

最初に重たい話題からスタートしましたが、安全あっての楽しさ。
いつか山で会いましょう。

KoE no MoRi-こえのもり-



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