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アメリカ育児のここがやっぱり好き。自由と寛容さのある世界

今日は、前回の記事で記録したアメリカの小学校での国際交流イベントに出展した出来事を通して感じたことを書きます。

結論、アメリカの学校での保護者の活動は
総じて、ゆるく、自由です。
このスタンスがとても好きだ、という話です。

完璧を互いに求めない寛容さの中で育つ子供たち

返ってこなかった質問の返事

上記のイベントで、出展をすることに決めてから、
準備をするうえで知りたいことが出てきたので、
主催者の先生にメールで聞きたいことを質問しました。

だけど、待てど暮らせど返事は来ず、
結局、自分で考えて準備をしたのでした。

”主催者が質問に答えない”という事実に
「なんて適当な!」と、憤ってもよいところですが、
こんなことはアメリカではよくあることです。

そして、結局たいした問題ではないんですよね。

返信がなくても、何とかなる。

実際、何とかなったどころか、
イベント自体も私たちの出展も盛況で
思い出に残る夜になったのでした。

相手に寛容であることが自分の心のゆとりになる

ところが、これが日本の社会ではそうではない。

日本では一人一人の質問に対してきっちりと
できるだけ迅速に回答することがよしとされるところがありますよね。

そうした日本的なサービスは一見、心地よいものなのですが、

早くて丁寧な行き届いたサービスは
回りまわって、自分が仕事として質問される側になったときに
同じクオリティを求められることになる。

そうして、日本の社会では、どこもかしこも
より丁寧で迅速なレスポンスをすることが当然となり
それが、働く人たちの慢性的な重荷となる。

日本のかゆいところに手が届きすぎるサービスは
もう少し手を抜いてもいいから
従業員の残業時間や心理的な負荷が減らせないものか、
それによってもう少し働く人が幸福になれるのではないか、と
いつも思っています。

他人に対しておおらかであることは
自分の完璧主義を和らげてくれる。

あなたも私もこんな感じでなんとかなるよね、という寛容さが
社会全体にあることは、
子供を見る目や子供に対する心の余裕にもつながると感じています。

やるからには、やりたい人が楽しくやる。

強制のない世界では、不思議なことにやる気がでる

今回のイベントは、全生徒に対して参加者を募り、
希望する家族が出展する形の自由応募でした。

すべてではないかもしれませんが、
アメリカの保護者の活動はPTAなども含め、任意であることが多いです。

そして、その任意の活動に対して精力的に参加する人が一定数います。

キリスト教の精神と関係しているのか、
幼いころからボランティアする文化が根付いているためなのか。

日本でも「PTAが任意」という地域ができてきたと聞きますが、
基本的にはまだ、全員参加必須というルールで運用されている場合が多いのだと思います。

我が家も日本に暮らしていた時は、
幼稚園の草取り、小学校の通学路の旗当番などが定期的に回ってきていました。

保護者の学校活動への参加が任意であることは
当然ながら、変なプレッシャーがなくて
それだけでもありがたいシステムです。

そして、不思議なことに、「義務がない」ということが
「タイミングさえ合えば参加してみよう」という前向きな意思につながるように思います。

実際に、今回のイベントについても
海外の自分の文化を紹介する目的ということで日本出身の我が家にはぴったりのイベント。

小学校に入って半年、数々のイベントに参加させてもらったことへの恩返しができる、
という気持ちもあって参加を決めました。

自分が特化する分野だから準備も楽しく、負担が少ない。
自分がやりたい、やれる、と思える分野で自由に参加する形式の
保護者の活動だからこそ、
参加する側には意欲があって、結果的に良いアウトプットが得られるんですよね。

反対に、といいますか、
実は最近、息子が通う日本語補習校では
全員参加必須の保護者のボランティアで
全く希望していなかった
なかなか大きな役割を与えられてしまいました。

まだ自分の中でやりたいと思えていなかったタイミングでの
苦手なタイプの役割に正直かなり苦しんでいます。


まさに、いま書いたアメリカのボランティア参加の良さの反対も同時に味わっているわけです。 

日本にも、もっと自由さと寛容さがあったなら。 
 

子供は大人の様子をものすごくよく見ていますよね。

大人同士が自主性を重んじ合って役割を担う姿からも
子供はきっと何かを感じ取っていると思うんです。

嫌な役割があたっちゃったと一喜一憂する姿よりは

このボランティアなら私達は貢献できるよね、と意欲的になる姿を

子供には見せたいと思うのです。

ただ、日本ではそれが難しい。

完璧主義から離れて
もう少し、「やりたい人がやれるだけやる」姿を
子供に見せてあげられるよう
寛容で自由な社会だったならば

子育てももう少し楽になるような気がします。


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