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“自然” - 至善館 日記 Vol.2 -

自然。“自然”と聞くと、人々はどっちの意味を思い浮かべるだろう。眼前に拡がる青い海、生い茂る木々達、優しくときに激しく流れる川、陽の光にあわせて表情を変える湖。或いは、自分らしくあろう、やりたいことをやろう、というメッセージを仄めかす、自然体の自然。僕はどっちの意味でも、“自然“という言葉が好きだ。


オムロンの創業者、立石一真氏は僕が尊敬する経営者の経営者の1人だ。立石さんが1970年に出したサイニック理論という未来予測に関する理論を打ち出した。色々細かい説明は以下のURLを見て欲しいのだけれど、僕が惹かれるのは、社会が“自然社会”に移り変わっていくってこと。この理論では、人間社会は“原始社会”から始まったとされている。原始社会と自然社会は、何が違うのだろう。

サイニック理論の詳細はこちら:
https://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/vision/sinic/theory.html

https://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/vision/sinic/theory.html

未来への羅針盤「SINIC(サイニック)理論」

人類が誕生した頃、人間は火を扱うようになり、道具を作り使うようになった。この前九州国立博物館に行く機会があったのだけれど、打製石器、磨製石器、青銅鏡を通じて、人類が誕生した頃の歴史を垣間見る機会があった。博物館の外で大道芸の猿回しが催されていた。猿がデカビダの缶で水を飲む姿を見ながら、猿と人間の境目について考えたりしていた。


ぼくらの生活は随分と便利になった。戦後復興と共に、白物家電、黒物家電、自動車を持つのが当たり前になり、モノに困らなくなった。バブルが崩壊したと思ったらインターネットの時代がやってきて、1人一台パソコン、スマホが欠かせない存在になった。そして次はAIの時代。めんどくさいことはAIに任せて、人間はやりたいことに時間と頭を使おうぜ、という時代。立石さんの言う、“自然社会“に近づいているのだろうか。

オムロンのウェブサイトが言及する自然社会は下の通りだ。一つの捉え方として、「ノー・コントロール」、コントロールが無い社会を自然社会と呼ぶらしい。

SINIC理論では、原始社会からスタートした人類史の一周期は、自律社会の完成によって完了します。そして、二周期目は「自然社会」として2033年からスタートすると予測しています。これは、再び原始社会に回帰するということではありません。円錐上の螺旋階段を登っていくように、原始社会から一段高いレベルに発展を遂げた、ハイパー原始社会とでも言うべきスタートです。

既に、ハイパー原始社会のイメージについての議論も、オムロンのシンクタンクであるヒューマンルネッサンス研究所が中心となり、国内外の有識者と進め始めていますが、自然(しぜん)と対峙する人間社会ではなく、人も技術も自然の一部となった、あるがままの自然(じねん)の世界、それが持続可能で豊かな社会となる方向性が目指されます。これは、SINIC理論が理想とした「ノー・コントロール」という社会コンセプトの実現に近づく道筋にもなります。

https://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/vision/sinic/theory.html

未来への羅針盤「SINIC(サイニック)理論」

なんだか今回は話が広がり過ぎて締めるのが難しくなってしまったけど、引き続き、“自然“に想いを馳せながら、これからの生き方を探っていければと思う。

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