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ジオラマの境界線

 工務店の狭い事務所に響いた「ジオラマ」という四音を、私は聞き逃さなかった。デスクで夕刊紙をめくりながら、従業員たちのお喋りに耳を向ける。
「廊下を通ったときに襖が半開きで、婆さんが閉める前に見えたんすよ。山とか道とか、小さい建物とか」
「あたしご近所だけど、壇原さんって不愛想で付き合いがないのよね。出戻りした娘さんと二人暮らしだから、娘さんの趣味かも?」
 どうやら今日、柴本くんをボイラー修理に行かせたときの話らしい。人口が五千を切ったと騒ぐこの田舎に、同じ趣味の人がいるのか。
 作品を見てみたい。
 しかし中学で心に傷を負って三十年、隠れジオラマニストを貫いている私がどうやって――。

 一夜明けて出社した私は、おそらく朝一番に鳴るだろう電話を待っていた。関さんは現場、裕子さんは法事。残る柴本くんが無断遅刻とは珍しいが、嘘をつく手間は省けた。
 時計の針が九時を――着信。
「中沢工務店です。はい。またボイラーの調子が。ええ、すぐに伺います」

 東端の集落まで車で三十分、平屋の壇原宅は夜に見るより大きく感じる。セメント舗装された広い前庭に乗り入れると、腰の曲がったお婆さんが玄関先で待っていた。
「社長の中沢です」
 細工したのは外の灯油タンクなのだが、無口なお婆さんに付いて三和土にあがる。薄暗い廊下を進んでいると、ドアに混じって襖が一枚。微かに線香の匂い。襖からほど近い脱衣所に、据置きのボイラーがあった。
 では、と作業をはじめても、お婆さんは一向に動かない。仕方なくツールバッグに手を突っ込み、忍ばせておいたスマホを操作する。遠くで家の電話が鳴って、彼女は音の方へ消えた。急いで廊下を戻り、襖を引いて忍び入ると、巨大なジオラマが和室を占拠していた。山林に囲まれた東西に細長い地形――この村だ。細部まで精巧に、いや、"縮小された実物" とでも言うべき……役場、工務店、私の家も。関さんの。柴本くんの新居は――全焼している。

(続く)

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