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【路傍ノ戀】失われた人を求めて

「稜威」という字は読めるであろうか。

PCの変換機能に出てこなかったから、これも失われた言の葉なのかもしれぬが「いつ」と読む。昔の日本人はこの稜威をよく心得ていた。路傍の戀愛をするならば、やはり今でも稜威がわかる方がよいであろう。

稜威は説明しにくいけれども、云うなれば靈的なものの傍らに居ようとする姿なのかもしれない。花を活けるのでも、暮らしの美しさのためだけに活けるのではなく、今ここで彼岸を感じて活けるのが稜威である。それは人にも云えることで、お相手の背(そびら)に奉げることが稜威になる。

それ故、稜威なき路傍はもはや路傍ではない。

昔の人に稜威がわかる方が多いのであれば、こちらも旧い人になればよい。時には手書きで日記を認め、古風にお茶を点て、着物姿で月でも眺めては如何であろうか。

肝要なのは、稜威をスピリチュアルとして扱わぬことである。

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路傍ノ戀

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古くさい考えで戀愛をテーマに随筆を草してまいります。モテ方等の近代的なものではなく、人としてのあるべき戀愛を書いていきます。不定期ではござ…

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