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『古神道秘訣』荒深道齊 | 八幡書店

 鎖國主義の私のまわりには所謂、靈能力者が妙に居る。おそらく偏見がないのが佳いのであろう。中には親交が深まる方もおいでる。鎖國主義なのに。書道をしているせいか、ついでに靈符を頼まれる機会も少なくない。彼ら曰く、私は「わかっていないけれど、なぜかできる」性質の男らしく、時にはブラック企業も青ざめる数の除靈案件も舞い込んでくる。無論、こちらは商売ではないから無償だ。

 別に関心がないので、除靈も必要以上にはしないけれども、現時点では自分の周囲に舞い込んできたものに関しては、仕方なしに黙って行うようにしている。今年も新年早々、或る神社を浄めた。なぜなら以前、三百万もの惡靈をあげてくれと日本から頼まれたことがあり(その頃は海外に居た)、その際にもうひとり除靈ができる者がいたので、彼に299万9998体をお願いし、私は謙虚に2体だけにした。すると靈界に居る者にも不公平に映ったらしく、私はその晩ひどい頭痛に苦しんだのだ。以来、私は自分にかかる火の粉をふり払うくらいの除靈は営業スマイルとともにするようにしている。

 兎にも角にも、袖触れあうも他生の縁とはまったくその通りで、今ここで出逢い、かつ足を止める事象とは前世があるかどうかは識らないが、深い因縁はある。

 それは本にも云えることで、『古神道秘訣』は神保町の或る古本屋で偶然出逢った一冊になる。偶然という表現にはいささか不満があるものの、客觀的に視たならばやはり偶然ということになるのであろう。店の奥から邪氣を感じたので、人でもおいでるのかなと足を運んだら、本から邪氣がでていたのだ。

 ちなみに多くの方々が氣だの靈だのと有り難がっているうちの大半は邪氣になる。純粋な氣はもっと靜かで、微かに冷たい。

 古書と雖も中々の値であったが、妙な因縁をつけられてまた頭痛になってはかなわぬから、これを涙ながらにもとめた。書店員にはさぞ感極まった客に映ったことであろう。まだ救われたのは、中身がたしかであったことだ。例えば、大陸島ミユウ(ムー大陸)と古事記の神話が同質であるとし、宇宙創造の方法が書かれている。

 靈書の類に多いが、古事記を宇宙創造の手引きと視る場合がある。伊邪那岐と伊邪那美がまぐわう際、伊邪那美から声をかけ失敗に終わる場面も、伊邪那岐を父音(現代で云う子音)、伊邪那美を母音と考えれば、五十音にならないことがわかる。この視点で申せば、今(いま)とは伊邪那岐の「い」と伊邪那美の「ゐ」とのあいだのことである。

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私が棚に並べるのは、古風な日本人からたまたま譲りうけた古書ばかりで、元の持ち主が亡くなった方も少なくない。要は私の本棚で一時期お預かりして…

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