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わたしの本棚

私が棚に並べるのは、古風な日本人からたまたま譲りうけた古書ばかりで、元の持ち主が亡くなった方も少なくない。要は私の本棚で一時期お預かりしているだけに過ぎない。そのような絶版ばかり…
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#推薦図書

『靜電三法』楢崎皐月 │ 楢崎研究所

「なんでこの本がここにあるの!」 過日の茶室で或る農家がおもわず叫んだ一冊が本書になる。近代科学を読み漁っていると、妙に華を感じられなくなる時期があるが、おそらく二十世紀末に何処か生命を感じぬ方角へと人類は歩を進めたのではあるまいか。やはりそのまえの科学者の方が色氣がある。 閑話休題。なぜ讀書家の農家が騒いだのかと云えば、楢崎皐月が相似の觀点から自然を視たからに他ならない。例えば、41頁には「遠くの山と林と手前の作物、芋の葉まで相似となっている」という文とともに、農村風景

『碧眼ところどころ』野口晴哉|全生社

『碧眼録』の頁をめくられたいのであれば、西片擔雪の三巻ものがたしかであろう。まだ古書店で時折、眼にはいる。逆にところどころでよいのであれば、禅坊主に道樂者と叱られながら、本書を手にとられたい。 こちらは古書店でも最近は見かけなくなってきた。 全生社は整体協会が出版されてきた本で、文字通り生を全うするための修身がまとめられている。その中でも『碧眼ところどころ』は最も人氣がなかったのだそうだ。 概して百年さきまである書物は売れぬものだが、かえってそのために残るといった節もあ

『茶味』奥田正造|鎌倉書房

絶版と復刊をくり返してきた名著なので、もし本書とご縁があるのであれば、鎌倉書房から出された昔のものが無駄がなく、たしかである。 『南坊録』の滅後が奥田正造によって編まれた一冊で、近代化によって日本人が何を失ったのかがよくわかる。一般的には茶の心を養うために書かれたとされているものの、私には躾、つまりは修身に映る。要は明治維新以降、日本人は自身を削いできたのだ。 何を云っているかわからぬ方は、とりあえず己の身体感覚を文字通り身と体に分けられては如何であろうか。身体構造に束縛

『最後の晩餐』久米宏 │ 集英社

自分が明日逝くとわかっていたならば、最後の晩餐は何にされるだろうか。 本書はニュースキャスターであった久米宏が文字通り、最後の晩餐をテーマに対談した一冊になる。若き葉月里緒奈がいるものの、対談相手に亡くなっている方が少なくないのも感慨深い。 時には対談者のご自宅で、時にはタキシード姿でレストランにて最後の晩餐トークをされている。