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『悪は存在しない』色と会話の伏線

以前『悪は存在しない』のラストについての独自の解釈を綴った記事を書いた。

どうやらその記事がグーグル検索の「悪は存在しない 考察」で上位表示されているようだ。濱口監督~!見てますか~~~!!!!!

今回はラストシーンについてではないのだけど、この作品の鍵なんじゃないかなと感じる、映画の中に登場する「色」「車の中での会話」についての考察を書いていく。ネタバレ要素あり。

映画に登場する赤色の意味

映画の舞台は「水挽町」という架空の町なんだが、その名前の通り、水の綺麗さが自慢の自然豊かな場所。

『悪は存在しない』 © 2023 NEOPA / Fictive

スクリーンに映るのは空の青、水の青。主人公の巧と花の親子も青い服だし、二人以外の町の人たちも基本的には青色、緑色の服を着ている。冒頭の時点では、青のイメージがとても強い作品に感じた。

『悪は存在しない』 © 2023 NEOPA / Fictive

そんななか、この町にグランピング場を作ろうとする芸能事務所の社員、高橋と黛がやってくる。青い映画の中に突如現れる赤い上着の高橋は、視覚的にも強い存在感があった。

『悪は存在しない』 © 2023 NEOPA / Fictive

ちなみに最初見たときは気づかなかったのだが、巧が冒頭で木を切っているチェーンソーの色も赤色だった。

『悪は存在しない』 © 2023 NEOPA / Fictive

それを踏まえると、自然を表す色が青で、人間や人工物を表す色が赤というざっくりした分け方でも間違ってはなさそうなんだけど、じゃあ町の人はみんな自然で人間じゃないのか?ってなると、どうもスッキリしない。

物語中盤の煙草の火(あとで詳しく書く)、木の枝についた血の赤、ラストシーンの鼻血などを踏まえると、町に(不穏な)変化をもたらすものの象徴として 赤色が使われていると考える方が個人的にはしっくりきた。

黛はどうして白い服なのか

『悪は存在しない』 © 2023 NEOPA / Fictive

それなら、高橋と同じ芸能事務所から町の人を説得するためにやってきた黛はどうして赤い服じゃないのか。
ちょっと無理くりだけど、彼女は高橋と比べると町の人からもそこまで冷たくあしらわれていないし(うどんのシーン)、高橋と巧、高橋と町の人の間を取り持つ、それこそバランスをとる存在だからな気がする。

黛が手の怪我(ここでも血の赤が出てくる)で花の捜索から抜けることがなければ、あのようなラストを迎えることもなかったかもしれない。

車での会話(高橋と黛)


町での説明会でコテンパンにされた高橋と黛が、社長たちとのオンライン会議でその旨を伝え、計画の白紙も検討すべきだと意見する。
しかし「もう補助金もらってるからそれは無理」と一蹴され、今から水挽町行って説得してこいと無茶ぶりされる。

為す術もなく二人で町に向かう道中での会話(うろ覚え)

・黛の前職の話
・高橋の前職の話
・なんでこの業界に来たのよ
・やめちまえよこんな仕事
・高橋が叫んで黛がビビる
・高橋が気まずさから煙草を吸おうとするもやめる
・スマホのナビにマッチングアプリの通知
・高橋「結婚して田舎で暮らそうかな」
・(グランピング場の)管理人に俺はなる!と高橋

うん、なんか最後海賊王みたいになってたけど、内容はだいたいこんな感じ。一見物語の本筋とは関係なさそうな会話劇が繰り広げられるのだが、高橋と黛の人間臭い一面が垣間見える。
主役の巧と花が自分たちの心の内をほとんど口に出さないのもあって、この映画の中で最も人間の心の内が語られる場面と言える。

そのなかで二人は「心が擦り切れたとき、普通のときなら思いもよらなかったような方向に心が動く」といった話をする。この言葉が、巧が最後にとった行動とリンクしている気がしなくもない。

その点については、ラストの考察記事で書いた。

車での会話(巧と高橋と黛)


町に着いた高橋と黛が、巧と合流する。手土産のお酒を断りながらも、薪割りのコツを高橋に教え、二人にうどんをご馳走する巧。少しずつ歩み寄る気配が感じられるなかでの、移動中の会話。
(完全な台詞は覚えてないので、流れだけざっくりと)

・巧「キャンプ場の予定地は鹿の通り道」
・黛「鹿は人を襲うのか」
・巧「鹿は臆病だから襲わない、
   襲うとすれば、手負いの鹿か、あるいはその親」
・「人を襲わないなら心配ないのでは」と二人
・巧「鹿はどこへ行くんだ」
・高橋「まあ…どこかに行くんでしょう」
・巧が黙って煙草を吸う

二人が人間側の都合でしか鹿の話をしていないなか、巧は「鹿はどこへ行くんだ?」と問いかける。高橋が「まあどっかに…」と答えたあと、なんとなく気まずい空気になって、巧が車を運転しながら煙草を吸い始める。
(先述した高橋と黛の会話で「この空気で煙草吸うのはマズいか」というくだりがあるので、この場面の気まずさがよりリアルになる)

煙草を吸い始めたと同時に、巧の顔に影がかかり、煙草の火だけが赤く光る。この場面が、先述した不穏な変化をもたらす象徴の赤だと感じた。
巧が自分の思いを直接口にしないかわりに、影でその心情を表している、監督のニクいね このこのっ演出の賜物。そして物語は、予想もしなかった、あの衝撃ラストへと向かっていくのである……

おわり


映画『悪は存在しない』の青と赤の意味、車での会話の中にあった伏線についての私なりの解釈でした。正解かどうかではなく、自分の中で腹落ちするための記録。読んでくれてありがとう。



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