フリー・ジャズ

最近、会社の帰りにジョン・コルトレーンやアルバート・アイラーを聴いている。

コルトレーンはカルテット時代もフリー・ジャズ時代も特に変わった事をしているワケではない。
だが、本人としてはフリー・ジャズをやっている自覚はあったはずで。

で、「フリー・ジャズって、何から『フリー』だったのか?」

と言う疑問が湧く。
『自由なジャズ』
と言う事で言えばジャズの歴史自体が音楽に対して『自由』を求め続けた歴史だし、それは初期ジャズの『バディ・ボールデン』が近代音楽としては初めて『即興演奏』をやった時に「ジャズと自由は手を繋いでいく」事は決定していたと思う。

ガチガチな理論で固められたビ・バップも「もっと沢山のインプロヴィゼイションを」と言う理由でコードを当てまくった、と言うだけである。
勿論、過去にはクラシックの先人達はコードではなくモード奏法により様々な旋律をカデンツァとして聴かせていたワケだが、それは大昔の話だから、その『カデンツァ』を復活させたのがジャズだった、とも言える。

マイルス・デイビス自叙伝には70年代のエレクトリック時代の着想を
「バッハ、オーネット・コールマン、シュトックハウゼン」
と言っているのだが(フカシかもしれないが)60年代から70年代の引退までのマイルス・デイビスは間違いなくオーネット・コールマンに影響を受けている。

アルバート・アイラーじゃないのはオーネット・コールマンの方が
「ギリギリ、旋律になっている」
と言うか歌心みたいなモノが、モード楽派としてのマイルス・デイビスにはフィットしたのかも知れない。
その集大成は60年代のカルテットと言うよりは『アガルタ』『パンゲア』だったのではないか?と思うのだが、どうだろう。

マイルス・デイビス自叙伝を読むとチャーリー・パーカーの死去以来、ジャズ・ミュージシャンにとって「Next jazz」を求める動きがあった、とある。

それがモード奏法により、それがフリー・ジャズになった、と言うか。

流石に私の世代では理解し難いがチャーリー・パーカーと言う存在は、途方もない亜流を生み出してしまう隕石のような爆発だったらしい。

マイルス・デイビスがオーネット・コールマンから触発されたモノが「美は乱調」と言うか不協和音などの音を全て使う!みたいな。
この辺は上手く言葉に出来ないのだが、例えばエレクトリック期のマイルス・デイビスはフェンダー・ローズやエレキ・ギター、ベース、エレクトリック・トランペットに、電子オルガン。
ワウペダルやリバーブ、ディレイと言うエフェクター類。
フェンダー・ローズやエレキ・ギターが「如何に新しい楽器だったか」と言うのは私には理解し難いが当時はジミ・ヘンドリックスがエレキ・ギターの新境地を開いた事によりバイオリンやピアノのような『楽器』として認知が強まった・・・のかな。

この辺は当時を生きていた人に聴くしか無いが。

何からフリーなジャズだったのか?だけども、ココに興味深い音源がある。
ジョン・コルトレーンがテープによるオーバー・ダビングによる即興演奏をしている演奏である。

恐らく、だけどもジョン・コルトレーンにとって『フリー・ジャズ』は『何から自由』と言うモノではなく、『次のジャズ』であり、それはスタジオ・テクノロジーやエフェクターと言ったモノを使った音響空間の拡張だったのではないか?と思う。

ローランド・カークも現代音楽の電子音楽の演奏に合わせて一人でセッションしている動画もある。

フリー・ジャズと言うか、90年代に生まれた『音響系』と言うモノのプロトタイプは既に1960年代には出来上がっていた、と言うか。
だから、フリーとかフリーじゃない、っていう話しではなく「新しい音響構造を持ったジャズ」と言うか。

此処で私事で恐縮だがクソ田舎から上京して、トランペットにエフェクターと言う事でフリー系のジャム・セッションとかに行くんだけども、90年代は(今もかもしれないが)
「ジャズにエフェクターはおろかマイクロフォンも使っちゃ駄目」
と言うのがあった。

ハッキリと言われた事もあった。
「マイクを使うな」
と。
これはビビった。

PAやアンプと言うテクノロジーを否定して、肉体信仰による大音量を出せ!と言うのだから「冗談じゃないよ」と思った。

確かに楽器の歴史って「どうやったら大音量になるか」と言う音響構造と言うよりは『音量の歴史』だったりもするのだが。
「でも、売れているジャズ・ミュージシャンはマイクを使っている。それは、どうなんだ?」
と聴けない雰囲気があった。
彼等にすればフリー・ジャズと言うモノは1900年頃のディキシーランド・ジャズと同じセッティングであるべきだ、と言う感じだった。

「マイクもアンプも使うな。肉体のみを信じろ。それの何処がフリー・ジャズやねん」

と思ったし、馬鹿げている、と思った。

今、思うのだけども90年代、私にマイクやアンプの使用禁止を伝えてきた人にとって『フリー・ジャズ』は何から『フリー』だったんだろうか。

未だに謎だ。

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