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子どもの躾は親の責任?

先日ネットで見つけたニュースとそれに対するコメントがずっと心に引っかかっているので吐き出させてください!

※SNSをソースとしているニュースなので、情報の詳細は不明です。


★以下、ニュースの内容を要約

「パン屋さんでパンをワシづかみしてしまった小さい子供

 親の対応がとても素晴らしく 正にお手本だった!」

子どもを3人連れた、お父さんとお母さんが来店。

2~3歳くらいの子(実際の年齢は不明)がパンをわしづかみ。

それに気づいたお母さんが「なんてことしてるの!」と怒鳴る(…と表現)

怒鳴られた子どもは泣き出し、お父さんと店外へ。

お母さんは店員さんに謝罪し、パンを買い取り。

お父さんは子どもと「なんで怒られたかわかる?」と話をし、その後戻ってきた子どもが「パンをさわってごめんなさい」と謝った。


…と、ここまでは「あるあるだなぁ~」なんて思いながら読んでいました。

お母さんが叱ってお父さんがフォローするっていう体制はとても素晴らしいいし、子ども3人連れて買い物に行くなんて、めちゃくちゃ大変!だろうな…とも思う。

一方で、2~3歳の子は、ただパンが欲しかっただけで悪気はなかったんじゃないかな?とも思うし、手で掴んじゃいけないことを知っていたのかな?理解できる子だったのかな?とも思う。

でもでも、お母さんとしても、これが何度も続いていたら怒りたくもなるだろうなとも思ったりする。


ここからが本題!

私が、この記事のどこにモヤモヤしているかというと

記事に対する一部コメントでした。 

「子どもの躾をするのは親の責任」

ネットでは、タイトル通り「この対応が素晴らしい!」と言われているけど

お母さんは、周りから「怒鳴る」と言われるような子育てがしたかったのだろうか。

私も、同じ状況で、様々な要因が重なったら

「大きな声を出してしまうことがあるかもしれない。」

でも、怒鳴るような関わりをしたいわけじゃない。

厳しくしないと周りに「甘やかしてる」「親の躾がなってない」って思われるかも…そんな不安の中、怒鳴っているとしたら、それは子どものためではなくて、周りへの「ポーズ」でしかないですよね。

社会が厳しく育てることを求めているから、厳しく育てる。

そんな構図が見えた。

それじゃあ、子育ても疲弊していくし、親子の信頼関係って育まれるのかな?

ここ最近、子育て中のお母さんたちから話を聞いていると

「小さいときから甘やかしたら、わがままになるんじゃないか」っていう心配や「人に迷惑をかけない子に育ってほしい」という話をよく聞く。

2~3歳くらいの子が「わがまま」「我がまま」「自分のまま」だっていいじゃないか。

みーんな誰かに迷惑をかけながら育ってきたのに。

…っていう話をすると「安心しました~」と返ってくる。

佐々木正美先生の「子どもへのまなざし」でも

「甘やかしてわがままになることはない!」と明言されている。

少し前は、この佐々木先生の言葉を「え、本当に…?」「そうは言っても…」と斜めに見ていたけど、いまは心から納得している言葉。

そもそも、わたしは子どもを育てるのは親だけの責任じゃなくて

社会の責任だと思っている。

※躾っていう言葉に違和感があるので「子どもを育てる」にしました。

 でも、調べてみたら「躾」っていう漢字は”身体を美しく飾る”という成り立ちで、素敵な漢字だった。

以前研修で「家庭は大人も子どももリラックスする場所だから、躾をするのに1番難しい」という話を聞いた。

社会的ルールやマナー=社会性(躾)を学べるのって社会=外の場なんだろう。

そう考えると、やっぱり子どもは親だけでなく社会(保育園・学校・お店・公園・ご近所さんなどなど…)が育てるものだと思う。

わたしも、そんな社会の1つとして、子どもを育てるおばちゃんになりたいと思い、街中で泣いている赤ちゃんに微笑んでみたり、ショッピングモールでひっくり返っている親子になるべく温かい視線を送ってみたりしている。

めちゃくちゃ微力(笑)

数年前、ヘトヘトの状態で、新幹線に乗ったとき

斜め前にお父さん、お母さん、子ども2人(幼児)が座っていて

子どもは席に立って遊んだり、ケンカしたり、泣いたり…を1時間くりかえしていた。

でも、ご両親が子どもに声はかけることはなかった。


あのときは、自分が疲れて寝たいのに、うるさくて寝れない~!とイライラして何もできなかったなぁ。…なんてことも思い出した。

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