また逢える
これは今でも忘れられない、不思議な体験談。
成人式を迎える年の正月に、親友が交通事故で亡くなった。
それはあまりにも突然の出来事で、告別式は現実を受け止められない人たちが何人も泣き崩れてしまうような状況だった。
親友の家族からのお願いで、僕たちは成人式に来ていく格好で参加していた。だから、多分この様子は異様だったと思う。
「結局、俺たちは満足に“さよなら”を言えなかった…」
告別式の帰り、仲間内でそんなことを言っていたのを覚えている。
親友の両親のご厚意で、僕たちは親友の四十九日の法要にも参加させてもらうことになった。
「次に集まるまでに、心の整理くらいはつけてやらねぇと、死んだあいつが悲しむやろ。」
だから、みんなそれぞれが次に会うまでにはちゃんと「さよなら」を言えるようにして、「お前が生きられない未来をしっかりと生きて、ちゃんと報告するから」と言えるようにしようとなった。
田舎から埼玉県のアパートに戻り、再び大学生活が始まってから数日が経った夜にそれは起きた。
夜寝ていたら、
ピンポーン
とインターフォンがなった。1Kの部屋ではインターフォンはかなりうるさい。どんなに熟睡していても目が覚めてしまう。
必死で目を覚まして時計を見たら、
深夜2時40分
※ちなみにこのときに見た時間は今もはっきり覚えている
(何だよ、こんな夜に…)
必死で起き上がり、フラフラしながらインターフォンに出た
「…はい」
「俺だよ、遊びに来た」
その声はつい先日、交通事故で死んだ親友の声だった。
(あいつが何でこんな時間に?)
高校を卒業してから、近くに住んでいることは知っていたけれど、お互いに異なる学校生活があって会うことはなかった。
というか、いつでも会えると思っていたから、会うことができなくなったんだ。
玄関のドアを開けると確かにこの前死んだ親友が立っていた。でも何故かそのときは親友が会いに来てくれたことが嬉しくて忘れていた。
「入って良いか?」
彼はいつものような表情で話す。
「良いよ。入れよ」
そう言って僕は親友を自宅に入れた。
そして、テレビをつけて、冷蔵庫から飲み物を出してテレビを観ながら、高校時代の思い出話や他愛も無い話をして、いつものように笑った。
それは本当にいつもと変わらない僕たちの会話だった。そしていつもと変わらない光景だったはず。唯一違ったのは、テーブルの横に敷いてある布団には僕自身が寝ていたこと。僕は布団に寝ている自分を横目で確かめながら、親友と他愛も無い話で笑っていたのだ。
「それじゃあ、そろそろ帰るわ」
親友がそう言って立ちあがろうとした。
「そうか、じゃあ近くまで送るわ」
そう言いながら、僕は親友を連れて玄関のドアを開けて、外に出た。
そしてどうやったのかは覚えていない。でもいつの間にか僕は親友と田舎の私鉄の駅前に立っていた。
「ここらで良いよ。またな」
親友がそう言って背中を向けて、手を振りながら歩き出した。その時に思い出した。
「またなって、、、お前、この前死んだよな?もう逢えないじゃねぇか?」
親友にまつわる受け入れ難い事実を思い出したことで、強い不安と悲しみが押し寄せてきた。そんな僕のことを察したのか、親友は振り返って静かな笑顔を見せて、
「また逢えるから、いつでも」
と言った。その言葉にとても癒され、安心した。だから、僕は彼の姿が見えなくなるまで見守って、そして自宅に帰った。
自宅に帰った頃には物凄く疲れていた。そして布団に寝ている自分に向かって倒れ込んだ。そこからは覚えていないけれど、翌朝は高熱による苦しさで目が覚めた。たぶん人生初の幽体離脱だったのか?
不思議な体験をした後に親友の四十九日の法要に参加した。
会場は前回と違うお寺だった。そのお寺の最寄駅を確認したときに、僕は震えた。その駅は親友を見送った場所だったからだ。そのお寺は告別式をしたお寺とは異なる。
そのことを親友の両親に聞いたら、告別式の後、四十九日の法要を行うお寺には一族の墓があり、親友の遺骨が安置されていたという。
その話を聞いて驚いたけれど、それ以上に僕が体験した話を聞いて親友の両親や兄弟が涙を拭っていたのが印象に残った。
「また逢えるから」
僕は親友の言葉を信じている。
追伸、僕のこの体験談を親友の共通の仲間に話したことがある。そうしたら、仲間たちが皆、四十九日の法要までの間に、親友が逢いにきた夢を見たと言っていた。
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