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ロンドン遠吠え通信 Vol.2

「ライティングの授業で考えたこと」
引き続き、「ロンドン遠吠え通信」(メールマガジン「Voidchicken nuggets」に連載。2014〜15)より、Vol.2をどうぞ。




ロンドン留学中の筆者がキュレーションにおける文化的差異について考えてみている連載です。第二回はライティングの授業で考えたことについて書きます。

プレスリリースの、テキストと画像の分量が、日本とは逆かもしれない。ライティングの一環として行われた「プレスリリースの書き方」という授業で、ゲスト講師のコリン・ミラード(注1)が配布したサンプルの中、写真があるのは約半数。そしてあっても一つのプレスリリースに写真は1点だけでした。

「あの~、写真ってなくてもいいんですか?」と聞くと、「もちろんなくて構いません」とスッキリしたお答え。そして「スペルミスがないように気をつけることの方がよっぽど大事です」と付け加えた。つまり、写真のことを考える暇があったら、ってことですね。

プレスリリースを書いたことのない方は「ふーん」という感じでしょうが、日本の美術館で働いていた頃、プレスリリース(展覧会報道資料)は基本的に写真(画像)中心に組み立てられていたと思います。テキストも大事ではあるのですが、長くならないように、難しくならないようにと強く言われていましたし、自分でも「そりゃそうだ~」と納得していました。ですから「基本テキストだけ」で書けと言われるのは、私にとっては文字通り天と地がひっくり返るコペルニクス的転回なわけです。というわけでみなさん、プレスリリースは日本では写真主体でテキストは添え物程度、欧米では逆、ということを覚えておいてくださいねー!

…という簡単な話ではないんですよね、たぶん。

そういえばライティングの別の回、「展覧会レビューの書き方」のゲスト講師、ブライアン・ディロン(注2)が、宿題のレビューに写真を添えた学生に対し、「君たちは、レビューの写真を掲載するかどうか判断したりできないし、掲載するとしても写真を選べる立場になることはないよ」と言っていました。しかもけっこう強い言い方でした(Never─絶対ない)。一方、日本では記事に写真があることが好まれますから、レビューの著者が自分で撮ってきたり作家と相談したりなんかして自ら写真を提供するというのは、もちろんオーケーです。

これらのことから少なくとも、画像情報の位置づけは日本と相当違っているのではないかと推測することができます。あえて平たく言ってみるなら、視覚情報を信頼する文化VS言語による情報を信頼する文化? もっと平たく言えば、「見ないとわからない」文化VS「見てもわからない(言葉で説明されなければ)」文化? もっともっとぐっと平たく言えば、感覚を大切にする文化VS論理を大切にする文化、とか!? いや、ちょっとジェネラリゼーションの度が過ぎました。ごめんなさいませ。

ただプレスリリースの形式の違いは確かに目の前に存在します。この違いは、オーディエンスとのコミュニケーションのありようの違いでしょうし、そう考えると展覧会の作り方にも、そして作品自体の捉え方・考え方にも関わってくるはずなのです。

さて、画像中心でプレスリリースを書くのと、テキスト中心で書くのとでは、もちろん後者のほうが大変なことは、お分かりですね。そんなわけで私は涙に暮れながら未知なる領域と格闘中です。格闘していますが、まったく勝てる気がしません。どうなることやらです…。それではまた次回!(2014年4月11日)

(注1)Coline Milliard: Artnetの記者、またFriezeをはじめ多くの現代美術誌に寄稿するアートライター。私が通うRCAキュレーティングコースの卒業生でもある。
(注2)Brian Dillon: ライター、批評家、Cabinet誌エディター。RCAクリティカルライティングコースの先生。クラスメートのうち何人かはもともと彼のファンだったようで、みんな授業中目がキラキラだった。



初出:メルマガ VOID Chicken Nuggets 2014.04月11日号
https://mlvoidchicken.tumblr.com/post/83613986007/2014%E5%B9%B44%E6%9C%8811%E6%97%A5%E9%87%91-%E5%8D%88%E5%89%8D2%E6%99%8208%E5%88%86


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