見出し画像

上野と漂流教室

 俺は「漂流教室」という曲に特別な思い入れがある。この曲は銀杏BOYZの峯田が震災で友達を亡くした時に書いた曲で、歌詞も「告別式では泣かなかった」からはじまる。俺もそこまでとは行かずとも小学校からの悪友、上野のせいでそれに近い経験をしたことがある。これはそんな上野の話。
 上野と俺はとても対照的で、俺が陰気でコミュニケーション能力が低いのに対し、上野はいわゆる陽キャで仲の良い友達もいわゆるウェイウェイ系の人が多い。おそらく小学校から仲良くなかったら深い仲にはならなかったと思う。その上、俺よりはるかに要領がいい。勉強も俺より全部ちょっと上で、特に英語はかなり得意。さらに身長が180㎝ぐらい。ただそれをものともしないほど信じられんぐらいブサイク。可愛げを極限まで0にした赤ちゃんのような顔。ヘッダー画像右のやつです。
 それでもそんな上野と話が合うのは物事の見方が俺と似ているところなのかなと思う。バカなもしも話とか、他人の勝手なことの勝手な想像とか、そんな感じの話を帰り道にだらだら喋ってた。対照的なのになんか仲良い、上野はそんなやつやった。
 上野とは小学校からの仲。上野が小3の時に引っ越してきた家が俺の家と近く、同じバスで通学していたことからあいつと仲良くなった。うちにも毎週ハイペースで遊びに来てたし、なんなら夏休みはほぼ毎日いた。うちに来てWiiの珍スポーツやらマリオやらいろいろした。毎日くるもんやからうちの家族も認識していて上野ともども遊びに行ったりしたし、逆に上野の家族にもよく遊びに連れて行ってもらった。それで上野の親父と俺の親父も仲良くなった。
 俺と仲良くなったせいで上野はラグビーを始めさせられることになる。その時点でラグビーが大嫌いだった俺は同じくラグビーの被害者が増えたことがとても嬉しかった。上野も俺に引っ張られてすぐラグビーを嫌いになった。もともと小学校のラグビーチームなんてラグビー大好き少年しかいないので俺はかなり浮いていたし、軽くいじめられていた。そんな中、俺と同じマインドのやつが来たので気持ち的にも楽になった。二人で嫌な練習メニューを一回でもサボれる「くつひも結んでます作戦」を編み出したし、試合にも出たくなかったので監督に「お前ら出たかったら態度で示せ」と言われた時はあえて近くの屋台で買ってきた紙コップ入りのフライドポテトを食べながらベンチにいたりした。クソガキすぎる。
 中学に入っても二人ともラグビー部に強制的に入れられて同じような生活を続けることになる。そして、俺の親は上野が英語が得意なことを知ってるので、小さい頃から上野が通っている英会話に俺も通うことになった。そんな感じでクラスこそ離れたものの、基本的に中学の時も毎日一緒にいた。英会話も部活もサボる時はだいたい一緒にサボった。こいつのせいで俺は努力を知らないと言っても過言ではない。中3のとき俺が骨折した時はサボりに関して置いてけぼりにしてしまった。上野は俺の骨折した左腕のことを「期間限定部活サボりホーダイパス」と呼んでいた。わざと骨折したわけじゃないねん。文化祭の時、「俺が文化祭準備なので休みます」を使いすぎてることに割とマジで怒ってた。「みんながそれ使えんくなるやんけ」らしい。もっともや。
 高校に入ってもラグビー部に二人とも強制的に入部させられた。高校にもなると小学校からやっていたくつひも作戦もできなくなったし、やる気ない感じ出したら顧問にシャレならんぐらい怒鳴られるのが見えていたので無理して耐え忍んでいた。上野と違って体格も細く大きくなかった俺はあいつと部内でも活躍度も差があったし何よりつらさをより感じるようになった。
 そんな中、英会話の先生の伝手で夏休みの間ニュージーランドに二人で短期留学することになった。留学自体にはまったくワクワクしなかったが、それも部活スキップ留学として捉えて喜んだ。何より合宿に行かなくて済むメリットがデカすぎた。ニュージーランドでは同じ外国人学校に通った。そこで日本語が通じないことをいいことにデカい声でクラスにいた中国人や韓国人にあだ名をつけて呼んでいた。今覚えてるのは信楽焼とさんまさん。信楽焼はタヌキの置物に似てる中国人の女子。さんまさんは韓国人の女子。全部見た目由来のあだ名。ひどすぎ。特にさんまさんがひどい。さんまさんの由来は、その子と俺が話の流れで、当時流行っていたSnowの顔を交換するフィルターで自撮りしたときに、俺の輪郭と髪型にその子の顔が付いている様があまりにもさんまさんだったことから来ている。撮ってすぐ「さんまさんやん」と言って盛り上がってしまったので絶対バレてた。良くなさすぎるし俺は同じミスをずっと繰り返してる。結局、留学なのにリリースしたてのポケモンGOをしたりサブウェイに行ったりするばっかりで勉強はろくにしなかった。その上、俺より上野の方がはるかに英語力があるので英語が必要な場面でも大体上野が色々してくれてた。いい思い出。親すまん。
 留学から帰って程なくして上野に彼女ができた。思い返せば留学中もずっと海外用Wi-FiでLINEしてた。彼女ができるのは大いに結構だが問題はその態度。彼女ができた日に英会話があって、その行く途中に寄った大宮のマクドでその報告をされた。どんな感じで話してたか忘れたけどおめでとうとは言ったと思う。そこまでは良かった。英会話の教室に着いて、何を思ったのか上野は英会話の先生に英語で彼女ができた話をしだした。無茶苦茶。散々英語で自慢した挙句、話のオチが「He jealous me.(こいつ俺に嫉妬してるんすよ〜)」だった。反論したかったけど反論するだけの英語力が俺になく、ぐぬぬとしか言えなかった。色々負けすぎやろ。帰り道、二人でチャリを漕いでる時も「お前もせいぜい頑張れよ」的なことを言われた。よっぽどチャリごと蹴ってやろうかと思った。
 その年の暮れに俺が部活を突発的に辞めた。本当に衝動的に、親に報告する前に顧問にもう辞めますと言いに行ったので上野にもあまり相談せずに勝手に話を進めた。他人のことを気にする余裕がないぐらいラグビーに追い込まれてたので当時は気づけなかったが、今から考えたらずっと一緒にサボりをやってきた上野からしたらそんなこと裏切り行為にあたるはず。それでも上野は良くやったと認めてくれたし、俺を英雄扱いした。上野は俺がぶち開けた穴からぬるっと部活を辞めれると思ってたらしい。言えた口じゃないが甘いな。上野はその後しばらくして軽くやめようとするも結局顧問に無理やり戻されて引退までラグビーをすることになる。ざまぁ見ろ。
 高2と高3では二人とも国際クラスの文系ということで同じクラスになった。40人中男子が7人だけのクラスだったので上野とずっとしてたような話をみんなで話すようになった。そして関係性も相変わらずで、高2の時の修学旅行でも早めに寝て電話に気づけなかった俺と井上に全部終わって部屋に帰ってから「いま女子の部屋に遊び行っててん」とわざわざLINEを送ってきたり散々やりよった。今思い出しても腹立ってきた。その日、悔しすぎて夜中の変な時間から寝れなくなった俺と井上で夜通しこの世中のAVの話をするハメになった。あれはあれで楽しかったけど。次の日おれも上野と一緒に女子の部屋行ったらその日だけ検挙されてめっちゃ怒られた。ふざけんなよマジで。
 高3の時、上野の親父が亡くなった。上野の親父は上野に見た目も中身もそっくりでなかなかの荒くれ者。青果の卸売の会社の社長で朝働いて他の時間はずっと家にいる生活をしてる人やった。その上かなりの大酒飲みで有名。γ-GTPという酒を飲みすぎたら上がる肝臓の数値がある。その数値が50超えたらやばい、3桁で即入院のところ、上野の親父は5000やった。病院のベストレコードらしい(ちなみにうちの親父は2000)。流石に健康に問題があったらしくまだ50代やったのに亡くなった。俺も上野の親父にはお世話になっていたので悲しかったけど、なにより上野本人。上野の両親は中学の時に離婚していたので上野が喪主をやっていた。高3で喪主をやることになったあいつのことを考えるとどう接していいかわからなかった。自分ができることが見当たらなかったのでとりあえず訃報を聞いてすぐは本人に軽くLINEを送ったり、葬儀に出す花を俺からクラスのみんなに呼びかけたりした。告別式の時、参列したクラスのみんなのところに上野が来て話すタイミングがあった。色々思考を巡らした結果いたわるのではなく、逆にいつもの調子で喋ろうと思って、来てたお坊さんを軽く批判してイジった。「あいつなんの説法もせんと帰ったやんけ!ぼったくりちゃうけ!」みたいな感じでいうと、上野は「明日はその上もう二人サブの坊さん増えるらしいねん!最悪や!」と言っていた。上野やからこそこれで良かった。上野はやっぱり強かった。
 高校の卒業式、クラス一人一人が前に出て喋る時に、上野が、親父の葬儀に俺が募って花を出したことへの感謝をみんなの前で話してくれた。俺はというとなんかエピソードトークみたいなんをしてクラスを盛り上げてた気がする。学校のお笑いをサボらないでお馴染みの俺やけど、その時ぐらい上野みたいに友達への感謝を言えば良かった。そういう時面白に逃げる俺は気持ちの面でやっぱり弱い。
 クラスの男子で計画した卒業旅行は上野だけパスポートを無くしてキャンセルになった。上野はパスポートがないせいで2つ旅行が飛んだらしい。マジでそういうルーズさはある。

ハワイのダイヤモンドヘッドでの写真

 大学になってキャンパスが変わったことで上野とは疎遠になった。久しぶりに上野の名前を聞いたのは悪い報せやった。大学に入ってすぐ5月とかに上野がバイクに乗ってる時に全速力で大型トラックに激突する事故を起こす。事故の次の日の夜にそれを聞かされた。最初に聞いた時はどうせ生きてるやろうと思っていた。冗談抜きで常日頃から「俺なんかビルとかから落ちても死ぬ気せぇへんねん」と言っていた上野のことやし。でも次の次の日の夜ぐらいにまだ意識不明で集中治療室にいると聞かされた時、さすがに嫌な予感がした。流石の上野ももうヤバいのかとよぎった。色んな意味であんなに強いのになぁと思いながら一人洗面所で歯磨きしながらぼーっと考えていた。その時に聞いた曲が銀杏BOYZの「漂流教室」。まだ決まってはないもののあの上野がまだ目を覚まさないとなるとそこでもう死んだと思ってた。それであいつを思って漂流教室を聞いた。その時は泣けなかった。生きてたやつが死ぬことのリアリティが俺の中であまりにもなかったから。その時初めてなんか峯田が歌詞で言ってることが本当にわかった気がした。その時点で自分にできることは何もないしちょっと本堂に手を合わせに行ったりはした。
 結局上野は生き返った。脅威の回復力で復活してありえない速さですぐ一般病棟に移ったらしい。やっぱり上野は強い。その話を聞いてから漂流教室を聞いて初めて泣いた。上野が生きてて良かったという思いと、俺の中で上野の死が現実ではなく、めちゃくちゃ悲しくてリアリティのあるもしも話として飛び込んできたことで涙が出たのだと思う。
 程なくして井上など高校のクラスメイト数人で見舞いに行った。生き返ったとはいえ上野が負った事故の後遺症は大きかった。脚に深い傷があって歩きづらそうにしてたし、なにより脳を損傷した影響で表情筋が動かなくなっていた。表情筋も治るかわからないらしかった。高校まであんなにバカな話で笑い合った上野が今や笑うことができなくなったという事実をそこで突きつけられた。そもそも会うのも久しぶりやし、今後治るかもわからない後遺症を抱えた上野にどう接するか悩んだ。色々思考を巡らした結果、関係ねぇと思い会ってすぐに「死にぞこなったな!しぶといな!」と言った。上野は「頑丈やからな!」と言っていた。表情筋が動かないせいで上手く喋れないながらも上野はそう返した。俺らはずっとそういう関係性。いいか悪いかはわからん。少なくとも傍目に見て気分のいいものではないかもしれない。でも俺が重篤なピンチになった時もあいつはそうやって茶化してくれるはず。俺もそうしてほしい。
 結局表情筋はしばらくして治った。治るんかい。なんやねんマジで。良かったな。その後問題なく普通に大学も通えるようになったし、一人暮らしもはじめた。聞くところによると事故は勝手に上野が突っ込んだことで加害者側判定らしく少額やけど賠償も払ったらしい。死にかけて加害者とか上野らしいな。そして2022年の9月からは元気にワーホリでオーストラリアに行ってるらしい。どんな人生やねん。上野は間違いなく俺の人生で出会った人間の中で一番強い。上野なんてどうせ大物になるやろう。あんな強いやつそうおらん。物理的にも精神的にも。
 しばらく上野には会ってない。そしてあんまり今は会いたくない。漂流教室よろしく一生の友達だと思っているからこそ。俺は今の上野に見せられるだけの人生を送れていない。あまりにも弱い。久しく会ってないしどうせなら大成功して最強になってから上野にもう一回会いたい。せっかく死に損なって生きとるからめちゃくちゃ成功した姿をあいつに見せつけてやろう。それが俺があいつにできる最大限な気がする。芸人になってめちゃくちゃ売れたら絶対あいつにまず自慢する。年収とかもベラベラ話すし、サインも書いてやってもいい。何より芸能人と付き合ったりとかして上野に見せびらかしに行こう。それで英会話の先生に「He jealous me.」と言ってやろう。何年越しになるか、達成されるかわからんけど見とけよ上野。お前より絶対に強くなったるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?