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住所の文法と語順の原理

(承前)

 住所とは文なのか、あるいは、住所に文法があるのか、と問われるかもしれない。しかし、要素の並びに一定の規則があるのは文法があるということであり、文法に従って並べられたことばは文である。

 そこで日本語と英語の住所の書き方を対照すると、
14)1 W 1st St., New York, NY
 のように小から大へ書く英語に対して、日本語では、
15)北海道札幌市中央区北一条東一丁目
 のように大から小へと書く。これは、ちょうど両言語の、SVO 型と SOV 型という、基本的語順の違いに対応しているようにみえる。

 日本語で住所を大から小へ書くということは、最も小さい要素の位置を特定するための前提を先に出すということである。つまり、北一条東一丁目といっただけでは、日本全国どこにでもありうるので特定できない。それは中央区のであるが、中央区というのも複数の都市にありうる。その中央区は札幌市で、札幌市というのは北海道に在る。

 順に言えば、「北海道」はそのあとに続く要素を特定するものであり、「札幌市」は「北海道」によって特定されると同時に、またそのあとの要素を特定する。「中央区」は「北海道札幌市」によって特定され、また「北一条東一丁目」を特定するという関係にある。

 ここで重要なのは、このような大小関係が、「てにをは」のような助詞の介助を必要とせずに成立することである。一般に、語の関係を明示するものなしに(無標という)成立する構文は、その言語で最も基本的な形式を表していると考えられる。この点、前々回の例文
5)(再掲)オレサマオマエマルカジリ
 のような文も同じである。

 上にみたように、住所の原理とは、大小関係にそって語順をとるということであり、通常の住所の表記においては、客観的な大小関係を表現する。この大小関係とはあるいは広狭関係、あるいは前後関係だともいえる。

 5)のような文でも、文という舞台の上で、「オレサマ」は最も大をなす主役として先頭に立ち、次に脇役である「オマエ」が姿を見せ、最後に「マルカジリ(する)」という演技が実行されるので、やはり大小または前後関係として考えることができる。

 ところで、5)のような文は助詞を加えた形にもできるように、
16)東京は浅草の柴又帝釈天前に在るとらや。
 のように、住所的情報に助詞などをはさんだ文も作ることができる。このとき、要素の間はすべて「〜の」でつなぐこともできるが、上位の要素一つには「東京は」のように「〜は」を使うこともできる。どうして「〜は」がここに入れるのか。

 上で住所の表記は客観的大小関係によって要素を並べるものだと述べたが、実際の発話の場面では客観的情報そのままの伝達を求められることは必ずしも多くない。たとえば、「中央区東一北一ってどこの?」と問われたならば、
17)中央区東一北一は北海道の札幌市です。
 のように答えるのが最も適切だろう。この例では、話題としての大小を尺度とすることによって順序を入れ替えたのであり、客観的情報としては下にあるはずの要素を上に出すために「〜は」を入れたのである。この場合のような「〜は〜の」という使い方を、逆に客観的大小そのままの文にも適用すると、16)のような文になるだろう。

 このように、話題となる物事は住所のように簡単に大小関係を決められるものばかりではないし、尺度によって関係が逆転したりもしうる。そこで、語順と助詞の組み合わせによって、関係性の表現を微妙に調整することができるように、文法が発達してきたのだと考えられよう。

 また、前回挙げた「象は鼻が長い」のようないわゆる二重主語文も、住所の原理が文に通底しているものと考えれば、日本語としてはきわめて基本的な文にすぎず、特に論じることもありはしないものと理解されよう。これが何か特殊なものと思えるとすれば、それは西欧文法が前提として頭に入ってしまい、日本語そのものをそのままに観ることができていないのだろう。

 次回以降は、こうした考えに基いて、日本語のいろいろな文についてみていきたい。

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