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『日本書紀』は正しい?創作?木簡の専門家の「飛鳥の発掘から見た日本書紀」に参加して

こんにちは。文来(ブンク)です。

コロナの影響でずっと中止になっていた「令和あすか塾」に行って来ました。

13時30分からなので、昼食は明日香駅の近所で取ろうと思ったら、その店は臨時かコロナの影響かわかりませんが休みでした。

仕方なく石舞台で昼食とりました。

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無料の駐車場は一杯でした。

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でも奈良ナンバーが多く大阪や京都ナンバーがないのはコロナのせいでしょうね。

講義は「飛鳥の発掘から見た日本書紀」の題で橿原考古学研究所の鶴見先生でした。

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木簡の専門家らしく、木簡が日本書紀の正しさを証明する例の説明が主でした。

最古の木簡は630年頃で、天武、持統の律令制完成後が大半との事でした。
「評」の字と「郡」の字で日本書紀の記述の正しかった事が証明されたそうです。

結論として6〜7世紀の日本書紀の記述は正しいとの事です。

また、小墾田宮は、雷丘のすぐ東方の遺跡より、「小治田宮」と書いた土器が出土し証明されたと説明すると、桜井市の自分の家の近所に小墾田宮の伝承があると主張する人が印象的でした。

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