コロナ受難4「安部政権はアートを軽視してはならない。」
想像の世界と現実の世界を繋ぐ方法がある。それがアートだ。
あらゆる人のあらゆる状況にある人の想像の世界を形にする技術がある。それがアートだ。
絵画を見ると想像の世界を鑑賞することができる。それはとても素晴らしいことだ。
人は人と人が繋がることで間を試行錯誤する人間となる。
人が人間でいること。
それすなわち社会だ。
社会は、ひいては政府は、人と人の間を試行錯誤できる最後まで人間格でなければならない。
政府はコロナに苦しむ人の最後まで試行錯誤できる人間格であり続けられるのか?
最後は放棄していないか?
最後の人に、最後の最後で人間であれるように手を差し伸べることはできているのか?
国は人の為にある。
政治家の為にあるものでも、上級国民の為にあるものでもない。
全ての国民の為にある。
もし、最後の人に手を差し伸べることを放棄する政府であるなら国民はその政府を捨てるだろう。
人はそもそも人と繋がるのは煩わしいものだ。
最後の時くらい他人のことは忘れて人として過ごしたいだろうと思う。
人が人と繋がるにはメディアが必要。
そこにあるのは理屈ではない。
笑いや喜びや悲しみといった魂を揺さぶる人との触れ合いだ。
煩わしさを忘れて人は揺さぶりに飛びつく。
揺さぶりを編み出すのがアートだ。
コロナで自粛する人へのアプローチする技術を開発するのはアーティストの仕事だ。
美術はそもそも技術だ。
アーティストは表現の技術を編み出し、人と人を繋いできた。
メディアが人を人として繋ぎ止めてきた。
コロナ受難の今、ギリギリの所で人間格を維持している人たちがいる。
彼らがギリギリの所で戦いながらなんとか人間格を維持できるようにするのは政府にできる芸当ではない。
これは歌や絵や紙などによる深い愛。
いわゆる芸によって可能なことだ。
人類は空間を経て人と繋がる方法を様々に模索し創造してきた。
そこで編み出されたのは、
音。声、言葉、音楽。ラジオ。
光。絵、文字、写真、絵画。文学。
音と光を融合。テレビ、動画だ。
我々の身の回りにあるメディアは全て何気ない音や光と人の関わりから編み出されている。それがアートであることを忘れてはならない。
アートは人類に欠かすことのできない技術。
人と人を繋ぎ止めておくために、人が人間であるため、アートは軽視してはならない。
安部政権はまだアートを軽視しているのか?
コラボしておいて気付かないのか?
人の苦しみの本当の奥底に手を伸ばしたことはないのか?
人が苦しみの最果てにいる時に笑いを与えるものは何か?
人が悲しみのどん底にいる時に微笑みを与えるものは何か?
それが人の原動力になっていることに気が付かなければならない。
安倍政権にはアート界の有識者がいる。
側にいるアート界の有識者は、日頃からごまをすることに必死だ。
ごまをすってきた日頃の成果を糧にして生きがいに生きている。
ごますりの成果を一瞬で無駄にするようなことは彼らにはできない。
彼らには、アートの重要性を想像し、納得できるだけの材料を揃え、何者にも屈しないようなマグマのような熱量を持ち、論法を編みだし、政治家達に鋭く、激しく説く気はない。中途半端にやる気を出しても日頃からそのような脳ではないので説けないのだろう。
アートには人への愛や想いを伝える力がある。
政府はアーティストを全面的に支援し、政府主導で大々的にアートを動かし、
国民に想いを伝えるべきではないのか?
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