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初の個展。一つのゴールを越えて思うこと

1月下旬、イラストレーターとしてスタートしてから約1年半。人生初の個展を経験しました。多くの方にご来場いただき、新たな出会いや再会の機会に恵まれたことを嬉しく思います。

個展の開催、作品の販売はイラスト制作してから「いつか叶えたい」ゴールでしたが、多くの方に支えられてこのゴールが叶えられました。

正直、ゴールを達成した達成感より多くの方と時間を共有できたことに喜びを感じている現在です。

励ましや賞賛の声、また作品に関するあれこれをご質問いただき、心地よいエネルギーとこれまでを振り返る機会をいただき、またお土産や作品のご購入など「いただいてばかりでないか!」という言葉が頭を駆け巡ってます。

個展の期間中、ご来場いただいた多くの方とお話をいただく機会があり、これまでの道のりを振り返る良き機会にもなりました。
改めていただいた質問を振り返りながら、記録として書き綴ろうと思います。

多分、最終的に訴えたいことは、「やればできる!」「可能性を否定しないで」ということ。


いつから絵を描いていたのか?

現在のようにイラストレーター/アーティストを夢見て書き出したのは、ここ1年半くらいだろうと思います。
幼少の頃は漫画を写して映画いてたり、大学や仕事で建築をしていた時にパースのような絵を描いていたり、建築をやめてからの空白期間に現在とは全然異なる絵を描いていたり、人生のところどころで絵を描いていたことはありました。前職に勤めていた頃の10年間は絵を描くことすら頭になかったです。
前職を退職して、初めて「やりたいことがない/わからない」という状況に陥りました。人生で初めて「やりたいことがない/わからない」という状況に陥り、それはそれは苦しい経験でした。そんな中、「線を引くことが好きだったなぁ」とふと思って、建築の立面図を描いてみたり、ひたすら定規で直線を描いたりしてたら、自分がゾーンに入っている感覚に気づきました。
でも、建築をやりたい欲は消化してましたので、建築じゃないなと。

そして、「70歳の自分はどう過ごしていたいか?」とふと考えてみる時がありました。建築やっている姿は想像できない、年金暮らしで預貯金を気にしながら生きるのも嫌だな、死ぬまで収入が見込めるものはなんだろうか?画家?作家?アーティスト?そんなことが頭に浮かんできました。どれもこの時はしっくりこず、「イラストレーター」という言葉が一番実現可能な響きとして残りました。
そこから、「絵を描いていく」という意思が生まれたのが、現在につながる絵を描くキッカケになりました。

もともと絵を描くことが得意だったんですか?

長年建築を学び、仕事もしていたこともあって、建物やモノであればそこそこ描けるだろうと思っていましたが、現実は違いました。
そもそも、絵にしたい画が浮かばない、写真やモノを見て描いても以前のように全然描けない。あまりの下手くそ加減にストレスを感じて何度もペンを置くことが多くありました。そして、「やっぱ才能ないかも」「やっぱ無理かも」と描く度に思っていました。

他にも"できそうなこと"や"やりたくなるんじゃないか?"ということを探して、いろいろ動いてみたものの、どれも違うなと・・・。結局残ったのは「なんか描いていたい」でした。
時間だけはありましたので、もう一度イラストレーターの可能性を夢見て、考えてみました。「イラストレーターになるには、描いたもの・目に見える絵がないとイラストレーターとは言えないよな」「それは、描かなきゃ始まらないよな」「途中で描きやめてたらいつまでも作品にならないよな」と当たり前のことをつらつら考えて、結局「描くこと」「描き切ること」をとりあえずやろう、とそう決意して、練習に集中した感じです。
なので、絵を描くことが得意だとは今も思えないです。
ただ、訓練すれば才能は育めるというのが、やってきた実感としてあります。

落ち込む自分を描いて、落ち込む私
しっくりくるキャラ生まれないかな
なかなか定まらない下書き
体を立体で捉える練習
少しずつ捉える目が養われてくる

いつかイラストレーターになることを考えてたんですか?

前述のように、「イラストレーターになる」というのは、前職を辞めてから出てきたもので、それまでに考えたことはなかったです。ただ、今になっては、"アーティスト"という響きに憧れが思春期の頃からどこかであったような気がしてます。だからか建築家を夢見たこともありました。

大きなきっかけは安居 昭博 著の「サーキュラーエコノミー実践 オランダに探るビジネスモデル」でイラストを提供させていただいたことがきっかけです。
安居氏とはその少し前にお知り合いになり、彼の活動に興味を持っていろいろ活動に同行させていただいてた際に、私が描いていた絵に興味を持ってくださり、採用いただきました。

そこから自分の可能性に半信半疑ではありましたが、「イラストレーターになる」という想いが加速していきました。

どうしたらこんな絵が描けるようになったんですか?

訓練したら、描けるようになりました。
前述したように最初から描けていたわけではありませんし、描きたいものさえわからない、イメージできない状態でした。
ただ「描きたい」「描いていたい」という想いだけがありました。
なので、「描くには・・・」と考えて、最初「塗り絵」のように本やSNSで惹かれた写真や絵をトレースしてました。とりあえず何かを描いてる時間が欲しかったように思います。
一通り描くことに満足してきたら、やっぱりオリジナルなものを描きたくなりました。でも、やっぱりイメージが浮かんでこないし、トレースしない絵は「下手くそ」に感じて、ペンを置いてしまうことがよくありました。
ここでも、やっぱり「描かなければ描けるようにならない」だけを頼りにしました。
イメージが浮かばないので、今度は心が惹かれるイラストレーターさんの絵を集めて研究。顔はこんなのが好き、色はこんなのが好き、体やモノの書き方はこんなものが好き、ストーリー性はこんなものが好き、と好きを集めてひたすらモノマネと組合せをしていきました。
あとは、イラストだけでなく、写真も集めて、勝手に自分で解釈を入れて描いてみたりしてました。
するといつからか憶えてないですが、少しずつアイデアが浮かんでくるようになりました。

それでも、上手くというか、描いてて心地いい絵を描けたわけではありませんでした。そこから描いては「心地よくない」と思った絵と「心地よい」と思った絵の違いを意識して見るようになりました。「心地よい」と思える絵のバランスの比率は?定規を当てて測ったりして、少しずつ調整を重ねていきました。
そうして、徐々に自分でも「心地よい」と思える絵になっていきました。

あとは、段々とイメージが湧いてくるというか、降りてくることが増えましたが、いくら記憶に残そうとしても、少し他のことに気を取られるともうそのイメージは思い出せないことがわかりました。
そこで、今は小さなノートを常に持ち歩く様になりました。車を運転している時に降りてきてしまったら、車を止めてラフスケッチで残すようにしてます。お笑い芸人さんのような「ネタ帳」の様なものと考えてます。

後で、見返してその時点でも描きたければ描き、なんか違うなと思ったらスルーしてます。

こんな才能があったとは知らなかった

友人・知人から一番多くいただいた言葉です。
正直、自分自身も知らなかったですし、数年前は想像すらしてなかったので、当たり前ですね。
もしかしたら記憶の奥底にあったのかもしれないですが。

ただ、今私が思い信念に加わったのは、「才能やセンスは育める」ということ。

先天的な能力はもちろんあるだろうが、これまで夢を叶えてきた人々のストーリーを見聞きしたり、企業勤めをしていた際に見てきた人の成長過程を辿ると、訓練すればある程度技術は上達させていけるし、感性に触れて突然変異を起こす人もいる。

「やればできる、やらなきゃできない」という当たり前のような信念がこれまでの経験で培われ、自分自身で再確認できたように思います。
そして、「才能やセンスを育む」過程を傷つける環境にいないこと。40歳手前にして脈略がない様なことにチャレンジするのだから、心配をしてくれる人もいたし、これまでの経験を活かせという人もいた。それでも応援してくれる人たち。最も身近な妻は「やってみれば」「好きなことすればいいよ」という具合。

可能性を止めるのは自分自身の中に潜む検閲官であり、誰かの声を鵜呑みにする自分自身ですね。

今回の学びと再確認を今後も活かしていきたいと思います。


と、ここまで振り返りをしてスッキリ。
もう一つの顔であるコーチとしても、ゴールに向けた過程の一つを整理できました。

ここで満足ではなく、まだまだ多くの方にイラストを楽しんでいただきたいですし、イラストを通して日本・世界各地に飛んで、友人をつくって行けたらと、そんなことを夢見ています。

ここまでお読みいただいた方、私の自己満足にお付き合いいただきありがとうございました。

やりたいことをやる、なりたい者になるメソッドは数多くあり、その中心は変わらないように思いますが、結局のところ人それぞれ歩み方が異なると思っています。
自分の為に書き残したものではありますが、読んでいただいたあなたに何か役立つ情報であったら嬉しいです。

やりたいことをやる、ありたい自分であれば、不要な干渉が減り、讃えあえる関係性が増え、多様な人や文化と平和のもと今世を楽しく過ごせるんじゃないか?そんなことを願ってお終いにいたします。

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