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知識は出会い

 インドアの僕が旅に出た。初めてのひとり旅だった。

新潟駅へ

 とにかくどこか遠くへ行きたくなったのは、仕事のストレス、週五のテレワーク、インドア派からの脱却、一体なぜだったのか理由は定かではないが、それだけ僕の心と身体を動かした何かがあったのは事実だろう。

 旅の目的地を新潟にしたのは、買ったばかりのダウンが着れる程よい寒さと、東京からは見ることができない日本海があること。あとは、同じ北陸の金沢とは違って、何か見たことも聞いたこともないものがある気がしたからだ。

 土曜日の夕方ごろ東京駅に着き、新幹線のチケット売り場に向かう。

「あのー新潟駅に行きたいんですけど...」
「今からだと18時12分発のMaxときがあります。」
「じゃあそれで、これって自由席でも座れますかね?」
「始発なんで座れると思いますよ。」
「じゃあ、帰りの分もお願いします。」
「わかりました、往復でご用意しますね。ここまで乗ってきた乗車券を出してください。」

 使い込んだPASMOを渡すと駅員さんが何かを打ち込む。勝手に自由席は安いと思いこんでいたので、目の前に22420円が表示された時は一瞬旅行をやめようかと思った。渡された乗車券で改札を抜けてホームに着く。新潟駅行きのMaxときは二階建ての新幹線だったので、階段を上って自由席に座った。すぐに発車のメロディが鳴り、Maxときが動き出す。心臓の鼓動が早くなった。新幹線の窓越しに見る外の世界は真っ暗で、初めての一人旅に不安と期待を抱く自分の姿だけが映っていた。

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と無意識にスマホに打ち込んでたいたことに気づき我に返る。あぁいつから自分はせっかくの休日を、Googleに聞かないと楽しむことができない人間になってしまたんだろうと、ひどくうんざりした。今晩泊まる宿だけを予約してスマホを閉じ、持ってきた本を開く。2時間後にはあっさり新潟駅に着いていた。

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日本海へ

 朝から日本海の日の出を見ようと思っていたが、目が覚めた時には窓の隙間から、ぼんやり日が差していた。
 ゆっくりと起き上がり、大浴場に向かう。昨日の夜は久しぶりにサウナに入ったが、1回目の外気浴中に視界がグルグル回って吐きそうになったので、朝は軽くお湯に浸かって出る事にした。

 9時ごろチェックアウトをして、海を眺めながら食べる用の朝ごはんに、温かいお茶とお気に入りの赤飯おにぎりをセブンで買う。おにぎりのパッケージの裏面に 新潟工場 と書かれているのが、それだけで何か嬉しかった。ホテルから日本海がある方に40分ほどひたすら歩くと、松の木の防砂林が見えてきて、少しづつ海に近づいているのを感じた。
 日本海まであと数百メートル、何もない閑散とした道を歩き続けていると、左手に神社が現れた。手前に大きな看板が立っている。

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 そこは本当に何もない道だった。40年前なんてもっとひらけた場所だったと思う。今自分が歩いている道が、日本人なら誰でも知っているあの事件の場所だなんて思いもしなかった。急に心細くなって、やっとの思いで着いた日本海を見ても、特に何も感じられなかった。赤飯おにぎりは気持ちお米が甘いような気がした。

 海岸沿いを少し歩いたところに水族館があることはわかっていたので、とりあえずそこを目指して歩いた。道には誰もいなかったので、堺正章の「さらば恋人」を大音量で流して口ずさんでみる。今振り返るとめちゃくちゃ恥ずかしいやつだ。
 しばらくすると背後からランナー近づいてきた。もちろん僕は気づくことができず、すれ違うギリギリで音量を下げて歌うのをやめたが、間違いなく聞かれていたと思う。やっぱりめちゃくちゃ恥ずかしいやつだった。

 新潟市水族館マリンピア日本海は子供を連れた家族で賑わっていて、自分も祖父に葛西臨海水族園に何度も連れて行ってもらったことを思い出す。と同時に、別に水族館はわざわざ一人旅で新潟に来てまで行く場所じゃないなと思い、チケットを買うのはやめた。

 では、どこへ行こうかと考えた時に、そういえば行きの新幹線で調べたおすすめスポットに、綺麗な棚田があったとことを思い出す。そうだ、あそこに行こう。Googleマップで経路を調べると今からなら15時過ぎには到着できそうだ。今日中に東京に帰れるかな?ドキドキしながら水族館の前にちょうど止まっていたので新潟駅行きのバスに飛び乗った。結局ブラウザに助けられた。

星峠の棚田へ

 新潟駅から在来線で3時間、そこからタクシーで15分、星峠の棚田と呼ばれる場所はそこにあるらしい。電車まで30分ほど時間があったので、彼女へのお土産にピーナッツ入りの柿の種とお昼ご飯用のおにぎりを買う。ここの鮭いくらおにぎりがとっても美味しくて、本当にお米が甘かった。

 新潟駅からDJ松永の地元、長岡駅まで1時間と16分、ここで次の電車を26分待つ。長岡駅から次の乗り換えがある六日町駅まで58分、ここからほくほく線という電車に乗り換えるのだが、この乗り換え時間が4分しかなく、これに乗れないと次の電車が来るまで54分待つ事になる。ダッシュでほくほく線のホームに向かう。どうやら間に合ったようだ。
 2両編成のワンマン電車がぐんぐんと山の中へと進んでいく。トンネルに入って5分以上暗闇から抜けなかったときは、これが話題の無限列車なんじゃないかと思うくらい心細かった。今日中に東京に帰れなかったらどうしようと不安にもなったが、20分ちょっとすると星峠の棚田に一番近い、まつだい駅に着いた。無人駅だったが、駅舎には見慣れた緑色のコンビニや案内施設があり、割と人もいた。

 駅のロータリーには一台だけシルバーのタクシーが止まっていて、運転席には火野正平と竹中直人を足して二で割ったような少しコワモテの男性が座っていた。怖気付いた僕はタクシーの周りをうろちょろと3往復くらいして、1度駅舎に戻り周辺の地図を確認し、またタクシーに戻って後方のドアをノックする。(何を言っているかわからないと思うが、僕は地図を確認するまで棚田のことを稲田だと思っていた。稲田までお願いしますと運転手さんに頼むところだった。)この運転手さんとの出会いが僕の旅を素敵な思い出にしてくた。

「どこまで行きます?」
「えーと、棚田が見たくて」
「どこの棚田ですか?」
「星峠?の棚田で、またここまで戻って来て欲しいんですよね。」
「わかりました。」
(星峠の棚田とわかっているのになぜかハスってしまった。)
車はエンジンをかけて、山道に向かって走り出す。
「星峠、往復」
トランシバーでどこかに連絡したようだ。とうとう目的地に着くんだと思い、ドキドキがワクワクに変わっていくのを感じた。

山道3分を走っていると、
「どうして棚田なんか見たいんですか?」
運転手さんが話しかけてくれた。
「えーと、なんか自然が見てみたくなって、あと小さいころ田植えはしたことあるんですけど、普段食べてるものがどんな場所でどんな風に作られてるのか知りたくて」
そう伝えると、運転手さんがこの地域やお米についての話を僕にしてくれた。

・自分も農家をしていて、機械ではなく、手作業でお米や野菜を作っていること。
・今年は強い夕立で稲が折れてしまい、機械での刈り取りが出来ない農家さんもいたこと。
・手作業で作るお米は美味しくて、東京の親戚にも送ると喜んでもらえるが、ありがとうの一言か缶ビールが1ケース送られて終わってしまうこと。
・家にお米のストックが1年分以上あるので、毎年新米ができると食べない古米を捨ててしまうのが心苦しいこと。
・この地域では春に山菜、雪の影響で少し遅れて5月にタケノコが採れること、タケノコのアク抜きは一緒に鷹の爪を入れると上手にできるので、毎年唐辛子も育てていること。
・野菜は一晩で大きくなるから、お米の方がどちらかといえば育てやすいこと。

 運転手さんのお話はどれも初めて聞くことや、実際に手作業でお米を作っている方だから知っていることで、インターネットで調べても出てこない生の声を聞けたのが、それだけでも旅に来た意味があったと思った。
「機械化が進んでも、なんでも便利になるわけじゃないんだよな。」
という運転手さんの言葉が普段システムを作っている僕の胸に刺さる。山道を車で登り、少しづつ会話が弾んでくると、

「よかったね、あなた独り占めだよ」

運転手さんが星峠の棚田に着いたことを教えてくれた。外は少し雨が降っていたので、傘をさしてタクシーの外に出ると目の前には一面の棚田が広がっていた。少し曇ってはいたが、幸運にも綺麗な虹がかかっていた。

雨音の中しばらくずっとひとりで星峠の棚田を眺めていた。

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五感で棚田や自然の美しさを感じたあと、タクシーに戻る。

「どうでした?」
「すごく綺麗で、自然が感じられて本当に来てよかったです。」
「実は今のここを管理してる方々がみなさん高齢になってきて、もう今の状態を維持できないんじゃないかって話にもなっているんです。だから、隣の集落から、自分たちが手伝うよって言って来てくださる農家の方もいるんですよ。」

 僕は観光のまとめサイトを見てここにたどりついたが、ここは普通の集落で観光地ではないのだ。ここで昔からお米を育てている方々の日々の努力と助け合いの気持ちこそが、結果としてこの一瞬の美しさを生んでいたのだと気づき、心からお礼が言いたくなる。

 帰りのタクシーの車内でも、運転手さんは僕に色々な話をしてくれた。

「自分は農家だけでなくてタクシーでも働いている。けどこれで仕事を辞めてずっと家にいたら、ひょっとすると誰とも話さずに1日が終わるかもしれない、それはなんか悲しいよね。」
「いつ死ぬかわからないから、もらえる額は減るかもしれないけど、65歳になったら年金をもらうんだ。だってそれで受け取れるのを遅くして死んじゃったらね、国に取られちゃうだろ?」
「この地域の家の屋根は三種類あって、瓦の屋根と、雪が自然に落ちる屋根と、屋根を温めて雪を溶かす屋根があるんだよ。けど屋根から落ちた雪は同じところに溜まるから、またそれを雪かきしなきゃいけないんだよね。」
「今は雪かき機を使って雪を飛ばすんだけど、これが車が買えるくらい高いくてさ、でももうこれを使っちゃうとスコップには戻れないね笑。」
「ガスも電気も止まった災害の時にどうやってお米を炊くかわかります?ジップロックにお米と水を1:1で入れてお湯の中に入れて2、30分すると炊けちゃうんだよ。」

 運転手さんの話を聴き入っているうちに、気づけばタクシーはまつだい駅に戻ってきていた。
「今日は本当にありがとうございました。お米の炊き方は友達に教えますね!」
「気をつけてくださいね。またいつか。」
「はい、また来ます。」

 初めて会った運転手さんのその「また」の一言がとても嬉しかった。あなたのおかげで僕の旅はとても有意義なものになりました。明日からの仕事も頑張ろう。

越後湯沢駅へ

 東京駅行きの新幹線に乗るため、まつだい駅からほくほく線に乗って今度は越後湯沢駅に向かう。外はもう暗くなっていたが、ほくほく線には飛行機のように読書灯がついていたので、その明かりをつけて本を読むことにした。途中駅で電車が止まる。テニスのバックを持った人たちが10人ほど乗りこんできた。どうやらソフトテニスの大会があったみたいで、ホームには大きな横断幕を持った人たちが立っていて、手を振って見送っている。ほくほくした気持ちとはまさに今のことを言うのだろう。
ちなみにほくほく線という名前は住民のアンケートによって選ばれたそうで、「温かいイメージで親しみやすく、呼びやすい」というそのネーミングは本当にぴったりだと思う。田園都市線や山手線も、どろんこ線とかまんまる線とかにしたらいいのに。

 20分ほどで到着した越後湯沢駅のロータリーには足湯があったが、出たあとの寒さが気になったのでやめ、弟に頼まれた日本酒をお土産店で探す。中には500円で楽しめる試飲コーナがあり、コインを入れてスイッチを押すとドリンクバーの要領でお猪口に日本酒が注がれる仕組みになっている。お酒が苦手な僕は、小さなお猪口で3杯だけ飲んで、すぐにその3倍以上の水を飲んだ。
 別に書くほどのことではないのだが、久しぶりにお酒を飲んだので、なんか卑猥な気持ちになったし、今なら誰でも僕のことを持ち帰れますよーと思わず誰かに言いたくなった。透明なお酒って怖い。ゆっくり選んでいたら新幹線の時間になってしまったので、飲みやすいなと思った日本酒を売店で購入し、急いで新幹線に飛び乗った。さようなら新潟。

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おわりに

 もし、ここまで読んでくださった方がいるのならとても嬉しい。最後になぜ今回ひとり旅をしたのか本当の理由を考察したので、それで〆たいと思う。

 1つ目の理由はおそらく、オードリーの若林さんのエッセイを読んだことだ。彼のラジオも投稿しているnoteも読んでいるのだが、いつも「わかるわー」「そんな表現があったか〜」「ダセェな!自分も心当たりあるけど」とまるで自分のために書かれているではないかと錯覚してしまい、いつも引き込まれてしまう。彼の文章が人を惹きつけるのは、恥ずかしい経験や人にはダサいと思われて言いたくないようなこともそのまま言葉にしていて、あぁ自分もこんなことあるし、もっと人に言えないようなこともあるけど、それすら笑いや共感に変えていく文章はさすが芸人さんだなと思ってしまうのだ。
 きっと共感とは「みんなが感じていること」ではなく「普段は誰にも言わないし、思いつかないけど、言われると誰でも簡単に理解できてしまうこと」なのだと思う。

 2つ目の理由は、「人間の想像力は移動距離に比例する」という言葉を聞いたからだ。コロナ渦で移動が制限され、テレワークをしていると、ただでさえ平凡な毎日の繰り返しが、より変化のないものになっている。目にするものも、耳に入る情報も、不安を煽る広告やワイドショーも僕は見るたびに嫌な気持ちになり、そんなどうでもいいことに嫌気がさす暇な自分をさらに嫌悪するという負の循環に陥っていた。だから、そんな家から、東京から飛び出したくなったのだと思う。
 けれど、新潟に行ったからといて、東京と状況は何も変わらなかった。消毒液は至る所にあるし、街や電車には新しい生活様式を訴えるポスターや、持続可能な環境に優しい社会を目指す広告がいたるところにあった。マスクだってみんなしている。

 でもだからこそ、あのタクシーの農家さんとの出会いは、僕の想像力や思いやりを豊かにしてくれた。あの数十分の会話には東京の自宅にいては気づく事も知ることも出来ない情報や話が山程あった。まさに血が通っていたのだ。

 昔彼女と横並びの狭いカウンターで焼き鳥を食べていたいた時に言われたことを思い出す。

「知識は出会いって言葉が好き、だって本当にその通りだと思うから」

僕らは知らないことを意思決定の選択肢にはできない。
食べたことがないものは、好きな食べ物にも嫌いな食べ物にもならないし、経験したことがないことに共感することは難しい。

だから時には空気を入れ替えて換気をしようと思う。
空気は読むものではなく、取り込むためにあるものだから。

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