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スーツにネクタイのころ

夢から覚めた後

前回の記事 - 「音楽」が「音」が「苦」になったとき - でも書いたのだが、結局はバンド生活を諦めることにした。
不思議とすんなり受け入れる事ができた。
ようやく、自分でも意固地になって無理なことをしていたことを、素直に認められるようになっていたのかもしれない。
同じタイミングで当時働いていたアルバイト先(レンタルビデオ店)で社員にならないか、と声をかけてもらえて、ありがたく首を縦に振らせてもらった。

今まではボロボロのバンドTシャツにジーンズ、ブーツで働いていたのが、スーツにネクタイ、革靴だ。
自分は新しい自分になるしかないのだ、という思いもあってか、さほど抵抗感もなくそれらを受け入れる事ができた。

ただ週休2日とはいえ祝祭日は関係なく、それどころか年中無休な店舗だったため盆暮正月など関係なく仕事だった。
閉店時間も終電が終わってからで、そこからレジ締めをし、明日の準備をし、店の中で始発を待って帰宅した。
当時、ようやく使い方を覚えたPhotoshopで店内POPを作ってみたり、仲の良かったアルバイト等と閉店後に新作映画の観賞会なんかしていたこともあり、労働時間的にはブラックも良いところだが、それなりに楽しい日々を送れていた。

またひとつの「終わり」

とはいえ役職的には、やとわれであるが店長。
日々の営業時間内にお店に立つことはもちろん、アルバイトの給料計算やシフトの作成、新作の準備、旧作の管理、そして売上の計算などなどやることは山ほどあった。
毎月の売上は前年比で上がったか下がったかで、社長からの評価も変わる。
この売上を伸ばしつつ店を切り盛りしていくことに、ある日突然「疲れて」しまった。
スーツとネクタイに身を包みはじめて、3年が過ぎた頃だった。

まるでウルトラセブンのセリフではないが、ゴールのないマラソンを延々とやらされているような、虚しさを感じてしまったのだ。

その頃、全国チェーンの同業他社が店の近所にオープンした。
圧倒的な資本力を持つ相手だ。
店構えや品揃えは比べものにならなかった。
敵情視察とその店の前を通った時、ウチの店の常連を何組か見かけた時には、仕方がないにせよ寂しさ、悲しさを感じた。
売上はわかりやすく急降下し、社長が店舗の閉店を決めるのにそう時間はかからなかった。

社長からは、店舗を改装し業種を変えて出直すので引き続き店長をやってほしい、と言われた。
この申し出自体はありがたいものであったが、業種が変わっても、日々の売上を求めてまた別のマラソンが始まることに違いはない。
そう思うと、その申し出をすんなり受け入れることはできなかった。

錆びた4本のワイヤーが奏でるもの

退職することを社長に伝えた日、家に帰ると、部屋の隅に置きっぱなしのベースがふと目についた。
バンド活動を諦めてから、ほぼ触っていないに等しい、ホコリを被ったかつての愛器。
どうしても処分することはできないまま、部屋の片隅に放置されたオブジェとなっていた。

ベースを久々に手に取ってみる。
弦はさびつき、チューニングも滅茶苦茶。
自分でも驚くほどに、弦を押さえる指に力が入らない。
まるで生まれて初めてベースという楽器に触れた時のような感覚だった。
頭ではなんとか覚えているかつて流暢に弾いていたフレーズも、指が不器用なまでにもたついて、不快な音にしかならない。
初心者向けの簡単な運指フレーズでさえ、酷い有様だ。

ふとアメリカのバンド、Bon Joviのヒット曲「Livin' On A Prayer」の歌詞が頭に浮かぶ。

Tommy’s got his six-string in hock
Now he’s holding in
What he used to make it talk
So tough, it’s tough

トミーはギターを質に入れた
かつてはギターで語り掛けていたが
今じゃそれもできない
すごくつらい状況なんだ

https://k3r-jp.com/

突然、自分が何にもない空っぽの人間に思えてきた。
仕事は辞めてしまった。
情熱を傾けた楽器はもうロクに弾くこともできなくなっている
自分にいったい何が残っているというのだろうか?
これから何をすれば良いのだろうか?

いくら考えても堂々巡りで結論が出ないまま、安酒を胃に流し込み、ベッドに入った。

退職してしまった以上、まずはやらなければいけないことを考えた。
失業保険の手続きや保険証の切り替えなどなど…。
まずはひとつひとつ目の前の小さなゴールを目指すことにしよう、と思いながら、夜が明ける頃にようやく眠りに落ちた。


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