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ここに至るまでの数年間のあれこれ

悲しみの果てに

数年前、自分にとって大きな出来事があった。

10数年飼っていた愛犬が心臓を患い、呆気なく虹の橋を渡ってしまった。
楽しい時もそうでない時も一緒だった、相棒のような存在。自分には子供はいないが、ある意味では妻と自分にとって子供以上の存在だった。
手術は成功し、一安心して眠りについたのも束の間、病院から連絡があり腎不全を併発したとのこと。祈る気持ちで自分たちを鼓舞するように車の中で大音量でかけたVan Halenのアルバム「1984」。
それなのに手術室のベッドの上で彼の命の灯が消えていくの目の当たりにしてただただ涙するしか出来なかった(余談だがそんな経緯もあってVan Halenのあのアルバムは長らく「聴けない」音楽のトップに君臨する事になる)。ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、などと後悔に次ぐ後悔の念が重度のペットロスを引き起こした。

ほぼ同じくして妻が仕事先の人間関係が原因でうつ病を患った。
どんどん彼女からの顔からは感情が消えていき、睡眠もままならず、朝が来るのを恐れ、仕事に行くことを恐れた。
今ちょうど繁忙期で心身ともにまいっているんだろう、とタカをくくっていた自分に冷や水を浴びせたのが、彼女から「後で見ておいて」といわれたiPadのメモが、自分に宛てた遺書であることがわかった瞬間。
事の重大さをイヤというほど思い知らされた。
自分だけでなく彼女の友人も交えて時間をかけて説得し、今の会社を退職する事になった。

そうこうしているうちに、自分も後に続くかのように適応障害と診断される心の病にかかってしまった。
自分が価値のない無力な人間に思えた。
喜怒哀楽の感情のレベルがググッと下がってしまって、不安感と虚無感に常に襲われるような感覚が続いた。
幸いにも理解ある上司に相談した結果、傷病手当を受給しながら、休職することとなった。かつて熱狂していた音楽にも映画にも小説にも心が動かなくなり、自分はこのまま出涸らしのような心のまま死んでいくのだろうか?とすら感じることなく、日々を過ごしていた。

個人的にも家族にとっても、暗く重たい空気が支配する時期だった。

ひかり

しかしながら物事はうまくバランスを取るようにできているらしい。

幸いにも家の目の前にメンタルクリニックが開業した。先生の治療方針となかなか相性も良く現在もそこに通院している。
妻のうつ病は家庭菜園で土いじりをすることで徐々に癒えていった。クワを振り、土を耕し、成長を見守って育てた野菜を収穫し…といった中で、徐々に心が前向きになっていったのだと思う。
さらには…ペットロスはペットでしか治せない、というのは金言で、ひょんなことからジャックラッセルテリアの子犬を飼うことになった。
彼の明るさ、温かさ、存在は自分と家族の重く暗い心の病をかなり軽くしてくれた。
やがて季節も巡り、気がつけば2年ちかくが過ぎていた。

そしてここ最近

そんなことが少しづつではあるが、心に溜まった澱のようなものを取り除いていってくれたと思う。

他愛のないことで笑うことができるようになった。
音楽も映画も、前に比べれば積極的に楽しめるようになった。
天気のいい日に、散歩を楽しめるようになった。

もちろん、未だに心が不安で押しつぶされそうになり、頭と身体が動くことを拒否してしまうこともある。
いま現在は休職期間を終えて復職しているが、ほぼ100%リモートワークという作業形態に救われている部分がかなりあると思う。
これがかつてのような毎日電車に1時間以上揺られての通勤であったら、はたして今の会社に居続けることができただろうか。
いや、無理だろうな、と正直思う。

そういう意味では、今の自分の環境はラッキーなのかもしれない。


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