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「引き算」の現実と「足し算」の夢

――着想・取材・発信の「舞台裏」――

by 細川暁子
(中日新聞編集局生活部記者)

 
 記事を書くことだけが記者の仕事ではない。記者には、原稿を“書いてもらう”編集者としての仕事もある。
 一月から、フリーアナウンサーの笠井信輔さんに、中日新聞と系列の東京新聞で連載を執筆してもらっている。タイトルは「がんがつなぐ足し算の縁」。笠井さんはフジテレビを退職してフリーになった直後の2019年に血液のがん「悪性リンパ腫」のステージ4と診断され、現在は完全寛解の状態だ。闘病の記録や、がんになって気づいたこと、出会った人たちについて書いていただいている。
 
 笠井さんには二週間に一度、寄稿をしてもらっているが、当初から読者との「双方向性」の紙面づくりを目指してきた。
 原稿を載せるだけの一方通行の発信ではなく、読者の声を取り入れ、読者と笠井さんがつながることをコンセプトにしている。笠井さんの原稿の下には、「つながる縁」というコーナーを設け、闘病中の患者や家族からの投稿を募っている。これは、笠井さんのインスタやブログに多くの人がコメントを書き込んでいることにヒントを得た。
 これまでに集まった読者の投稿は、150件超。便せんにびっしりと闘病記録や家族への思いを書いて送ってくれる人が多い。掲載できる投稿は一部だが、投稿はすべて笠井さんに読んでもらっている。「笠井さんに話を聞いてほしい」「笠井さんが読んでくれるかもしれない」――読者がそう思ってくれるから、投稿が、情報が、集まってくる。インスタにコメントを書き込む人の心理と同じだろう。

(写真: 講演会の模様を伝える中日新聞紙面。時にユーモアを交えながら闘病体験を伝える笠井さん、参加者との活発なやりとりで縁を深めた。)


 読者離れが進む新聞が生き残るためには、一方的に情報を押しつけるような垂直の関係ではなく、読者と同じ目線で新聞を作る水平の関係が不可欠だ。以前から、常々そう思ってきた。SNSで誰もが発信できる時代だからこそ、「自分の声を聞いてもらえる場」としての新聞づくりが求められていると思う。

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 「実際に、読者の方たちにお会いしたい」――笠井さんから講演会を開きたいとの打診をいただき、先月、中日新聞本社で開催した。通常、新聞社が講演会を開く場合は、イベントを取り仕切る事業部が主催するものだが、今回は私が所属する編集局生活部の記者たちが準備した。同僚たちとオンラインのWEBセミナーを開いたことはあったが、リアルでの講演会を開くのは初めてだった。水平の関係を築くうえで、「記者と読者がつながる場を作りたい」との思いは以前からあった(準備は予想以上に大変だったが……)。

 150人の定員に対し、応募は350人。抽選制となった講演会も、紙面と同様に双方向性を打ち出した。笠井さんの講演は1時間、残り30分は参加者に発言してもらう時間を設けた。闘病中の人、家族を亡くした人……最初は緊張気味だった参加者たちが、次々と手を挙げ、時間は予定の倍の1時間に延びた。コロナの影響で、通常なら病院内で開かれる、がん患者や家族などの集いは減っている。リアルに集まれる場が切実に求められていると感じた。

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 講演会への参加を願いながら、亡くなった人もいた。
 匿名希望・顔出しNGの、そのがん患者の男性(当時38歳)に出会ったのは三月。男性の母親が、闘病中の息子について投稿を送ってきてくれたことがきっかけだった。母親の投稿には、読者から励ましの手紙が届き、それを紹介すると今度は、男性本人から感謝の手紙が届いた。

(写真: 講演会前に亡くなったがん患者の男性。亡くなる約1カ月前、折り紙で姪へのプレゼントを作っていた。)

 「みなさんに勇気づけられた」「新聞の力を実感した」――男性はそう言ってくれ、笠井さんの講演会を生きる目標に定めていた。だが、五月に緩和病棟に入院。「最後は穏やかに過ごしたい」と、副作用の強い抗がん剤治療をやめた。「覚悟してきたのに。もう少しだけ生きたい。今になって欲が出てきた」――号泣しながら、電話越しに、私に話した日もあった。講演会の約三週間前の七月上旬に、男性は他界した。
 私は、もしも亡くなった場合、必ず記事を書くことを男性と約束していた。講演会には、男性の母親と彼女が来てくれた。講演会についての記事は8月2日の中日新聞に掲載され、そのなかで、亡くなった男性について書いた。

 先日、読者から、男性の母親への励ましの手紙が会社に届いた。失った人、失ったもの。引き算だけでなく、足し算の縁があるから、人は生きていける。「がんがつなぐ足し算の縁」。連載のタイトル通り、「筆者/記者+読者」だけでなく、「読者+読者」のつながりが、新聞を通じて広がっていく。


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