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Theme 1: マスク(全7話 その5)

医師/精神分析家(慶應義塾大学環境情報学部)
岡田暁宜(おかだ・あきよし)さんが綴るエッセイ
《ぼくたちコロナ世代》避密ライフのこころの秘密

最初のテーマ「マスク話」をまだまだ続きます!
(全7話) 
これまではこちら その1と2 その3と4

5/7 マスク顔を見る、見られる

 マスクをつけるという行為には、仮面のように顔を隠すことと、自分の個性を見せることの二つの力動があるわけですが、マスクをつけている人「を見る」側にもさまざまな力動があるように思います。
 マスクをしている顔は“マスク顔”と呼ぶことができるでしょう。コロナライフにおいては、誰もが家の外で“マスク顔”をしています。電車や街中などの屋外で不特定多数の“マスク顔”の人々をみていると、「それぞれの」マスク顔というよりも、「マスク姿の人びと」を漠然と見ているだけのように感じることがあります。みんなが同じマスク姿であることによる集団的なマスク効果なのかもしれません。また、誰もが家の外でマスク姿をしていると、マスクはまるで、全日本コロナ感染防止対策チームのユニフォームのようにも見えます。


 マスクをするということには、既に述べたように「顔を隠す」という意味がありますが、実際には、鼻と口を含む顔の約下半分を隠しているだけであり、いわゆる覆面のように、顔のすべてを隠しているわけではありません。よって目を中心とした顔の約上半分で相手と関わることになります。
 職場や学校などで、互いのことを知っている関係であれば、たとえマスク顔であっても、相手が誰であるかは容易にわかるでしょう。つまり、既に人間関係がある場合には、マスクで顔を隠してもマスクの下の顔をほんとうには隠すことはできないように思います。
 しかしあまり面識のない人との交流において、マスクの下の顔が気になることがあります。人間には外見と内面がありますが、患者の心のなかの世界を考える精神科臨床が身についているからなのかもしれません。いずれにしてもマスクの下の顔が気になるのは、「いま、話している相手は、どのような人なのか」ということをいろいろと空想しながら交流しているからなのでしょう。


 “マスク顔”という言葉から、私は、医療現場でしばしば耳にする「マスク美人」や「マスク美男子」という言葉を思い出します。相手の顔の上半分が見えて下半分が見えないという状況では、「見る人」が「見えない相手の顔」を投影的に空想するのではないかと思います。その一部を隠すことによって、隠されたものを相手に空想させる。そのことで、隠されたものの“秘密”性を高めて、より魅力的なものにするように思います。
 北山修の提唱した《見るなの禁止》のことを思い出します。「見えないと、見たくなる」という本能的欲求が、人間にはあるように思います。新春に販売される福袋などは、この心理を利用しているように思います。また、見えないと見たくなるという力動の起源は、子どもの頃に両親の寝室で何が起きているのかを空想する「原光景」空想であるように思います。
 ということは、先に触れた「伊達マスク」や「マスク依存症」の人々は、マスクで顔を隠すことで、素顔(素の自分)を隠しているのかもしれませんが、マスクで顔を隠すことで、他者にとっての魅力的な対象になろうとしているのかもしれません。マスクで顔を隠すことには、性愛的な力動があるように思います。方や、マスク顔を見る人が「マスクをする人」や「マスクそのもの」を性愛の対象にする場合には、ある種の偏愛となり“マスクフェチ”と呼べるのかもしれません。

(Thema 1: マスク つづく)


顔の半分だけ覆うマスクにより
隠されている下半分への興味をそそることもあるのですね。

みんながマスクを着けている様子が
「全日本コロナ感染防止対策チームのユニフォーム」のように見えるのは
とても面白いですね。
今後、感染への心配が少なくなっていくとユニフォームを着けている人が少しずつ減っていき、着け続ける人々が同チームに所属しているような連帯感を感じたりするかもしれませんね。

今は日本全体で同ユニフォームのように見えているのが
実際は
「風邪引きさんチーム」「花粉症さんチーム」「マスク依存症さんチーム」
などなどチームが分かれていく時代に戻るのでしょうか。

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