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Theme 5: リモート(全3話 その1)

remote

医師/精神分析家(慶應義塾大学環境情報学部)
岡田暁宜(おかだ・あきよし)さんが綴るワンテーマ・エッセイ
《ぼくたちコロナ世代》避密ライフのこころの秘密
外出「自粛」につながる 次なるテーマ…


1/3 子どもの頃の「リモート体験」が懐かしい


 コロナライフにおいて浸透した言葉のひとつに“リモート”があると思います。リモートとは「遠隔」という意味で、物理的に離れた状態を指しています。「離れた人とつながって」何かをする体験を、リモート体験と呼ぶことができるでしょう。

 私が思い出す最初の「リモート体験」は、出産のために家を離れていた母親と電話で話した体験だったと思います。それは母親の不在における一瞬の再会の体験で、寂しさのなかに嬉しさを感じました。
 また、幼い頃は祖父が自宅と同じ敷地で開業していて、自宅と医院が同じ電話番号だったことで、患者や家族から自宅に電話があると、その都度、医院へ指示をしていました。今から思えば、祖父は電話を用いてリモートで仕事をしていたといえるでしょう。
 子どもの頃のリモート体験のなかで私が楽しかったのは、小学生のときに友だちとトランシーバーを用いて遊んだ体験です。相手のことが直接見えなくても、相手が見ているものをリモートで知ることによって、「大きな空間のなかで相手と一緒に」作業ができた気がします。
 幼い頃には、テレビは直接テレビに触れてチャンネルを回すのが普通でしたが、中学生になった頃に、リモコン(リモートコントローラー)が登場し、テレビから離れてチャンネルを変えられるようになりました。当時は「リモコン」という装置が画期的で、テレビにしてもエアコンにしても、わざわざ自分が移動する必要がなくなり、私たちの生活はとても楽になりました。

 子どもの頃の“リモート”状況は、「目に見えないものによって人と人がつながることができる」楽しい状況でした。そのスタートは、それまでの直接近接を前提とする生活とは異なる新しい快適な生活の始まりだったのです。

(Theme 5:リモート 次回につづく)


リモートで思い浮かべる”リモートワーク”ですが
もっと昔から、ずっと昔からリモートというもの?その姿?は
私たちのもとにあったのですね!
”リモート”状況は、その全てが手元で見えないながらの
想像する楽しさがそこにあったということですね
直接ふれることができない、ちょっとした距離が
人の想像力をかきたてたり
その先に思いやる楽しさを持つこともできたりするのかもしれません
みなさんにとっての「リモート」とは何のことでしょうか?
そしてその「リモート」はどんなものでしょうね?
”楽ちん”で 楽しいものでしょうか?

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