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【3】「許す」ことと「諦める」ことは違う。

そもそもブログに書いた内容と大差ないので、こんなに続けるはずじゃなかったし、一記事がこんなに長い予定もしていなかったけど、後日談があるのとまとめもあるので、最後までお付き合い頂けたら嬉しい。

母のことを「許せる」と思って電話した日から、数日が経ったある日のこと。

洗濯物のタオルを干していて、ふと、私が乳がんの手術で入院した時のことを思い出した。

私が病室で寝ていたか何かで、母は待合室でタオルに名前の縫い取りをしていたそう。

そこに、よそのおばさまがいらして、「まめったいことしてるねぇ」と声をかけてきたので、「若い人だからね、帰って来ないように」と答えたのだとか。

その話を聞いた時、私は「ふーん」としか思わなかったのだけど、今になって洗濯物を干していて急に、「あの縫い取りこそ、お母さんの愛情の証だったんだ!」ということに気付いて、胸のあたりがぎゅーっと、ぐーんと、すごい勢いで温かく広がっていくのを、感じた。

母は、元々手先が器用なのと、母の実家で伯母たちが洋裁やら和裁やら習っていたのを、横で見ていて色々覚えた人なので、私たちの着物も浴衣もお人形のお洋服も、冬に着るセーター(痒くなるので市販の物は着れない)や手袋まで、私と妹がある程度の年齢になるまで、ほぼ手づくりだった。

上履きを入れる袋とかにも縫い取りはしてあったし、お泊り会などに持って行く下着とかにも、縫い取りしてあった。

だから、私にとっては「それが当たり前」だと思っていたのだけど、急にその意味に気付いて、びっくりして、嬉しくなって、でも言葉にならない感情もあって、「やっぱり愛されていた(今もね)」と感じることが出来たことが、ものすごい感動の波を連れてきた。

小さい頃に入院した時も、「その度にひと針ひと針、心を込めて縫ってくれたんだろうか」とか、今、私が夫の着圧ソックスをかがる時の苦労と苦悩を考えると、「これ(縫い取りのこと)=無償の愛」なんだと、気付くことが出来た。

母はその日、病院に行くと言っていたので、LINEに長々と「こういう風に気付けた」ということを送りつけたら、母から「自分のタオルの名前(妹の家に行く時に間違えないように、ペンで書いてるらしい)を見る度に、そういうことがあったなと、思い出すよ」と、返事が来た。

今思うと「シンクロニシティ」なのかな、分からないけど、「許す」と決めたら「受け取れる」ことに気付けたし、「受け取れる」と分かったら、どんどん「癒される」方向へ向かうことが、分かった。

まだ始まったばかりの「母とフェアな関係になる」道だけど、一時期「ベクトルが違う」と思っていた母と、嫁いで離れたことで、逆に良い距離を築けるのかも知れないな、と、思ってる。

母は今、「ばあば」として孫を育てているから、過去に私が感じていたこと、怖かったことなんかを、時々話して聞かせてる。

「我慢することはえらいことじゃない」「えらいと褒めたら、我慢したら褒めてもらえると勘違いしてしまう」「我慢と辛抱は違う」「辛抱した先にはご褒美が待っているけれど、我慢の先には何もない」「がんばる目標は、本人が決めること」「本人以外ががんばることを強いるのは、してはいけない」等々……。

あと、たまたまその時話題に出た、「子どもの話は長いし、要領を得ないから意味が分からないこともあるけれど、きちんと話を聞いてあげることは、子どもが自分の話をどうやって話そう? と考えるきっかけにもなる。自分を表現するきっかけになる。今の子どもの語彙が少ないのは、そういう機会が奪われたからだと思ってる」という話は、現在育児中の妹にもシェアした。

妹からは、「反省するところがあった」という返事が来た。

私自身は、生まれる前から子どもを産めないことは決まっていたし、小さい頃からそれは知っていたので、私が経験してきた小さいけど沢山のことを、今、新しい輝く命を育んでいる妹と、その輝く命である甥っ子たちのために、使ってもらえるんだと思ってる。

【4】では、「許す」ことと「諦める」ことは違う、その根源を、考えてみようと思う。

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