小説「カフェ”木陰の散歩”にて」(18)

 ディストピア小説「すばらしい新世界」(オルダス・ハクスリー著)を題材にした会話を小説として書いています。前回の(17)に続き、ケンジら男性3人による自由恋愛についての会話が進みます。

☆ ☆ ☆

 一休みのあと、ケンジは早速話し始めた。
「それでは続けましょう。自由恋愛の話からちょっと逸れましたかねえ。自由恋愛は、双方が愛情を持った先に行為がある、つまり愛情表現としてのセックス、ということをイメージしていますが」
 そこでフユキさんがちょっと考えて、発言した。
「はい、それはいいのですが、だんだん小説の世界と関係が無い話になりそうですが、それでもいいですよね」
「いいのではないですか。小説の中の世界での自由恋愛は、支配者が別な意図をもった結果としておきたこと、というのをもう確認していますし」
「僕も賛成です。まあ、もしうまく小説と繋がればよし、そうならなければそれでもよし。まずは続けましょうよ」と、ユウタさん。
「はい、ちょっと念押しというか。世の中には地位、立場が異なる二人の性行為に対して、上位のものが合意を装うとか仕向けるとか、まあ言ってみれば合意ではなく実際は強要するようなことが起きていますが、話はそれではありません。あくまで両者は愛し合い、合意している。それと、いわゆる社会とか道徳、倫理とかとの関係の話です」
「はい、わかりました。とにかく進めましょう」
「休憩前に、自由恋愛とは、配偶者、婚約者以外の者の、当人同士の自由意志に基づく性行為、と確認しました」
「独身者だけの集団を前提とすれば、その中で愛し合う人ができて、お互いの自由意志に基づく性行為は、自然な流れですよね」
「ただ、人の心の中は覗けないので、愛し合っているということ自体が微妙だったりすることもあります」
「というと?」
「まあ、結婚を前提に付き合っている相手ならかまわないけど、そうでない場合は許さないとか…」
「オレの娘に手を出して、ってお父さんが怒鳴り込むような話ですか?そんなの、今時あるのかな」とユウタさんは首を傾げた。
「いずれにしても、本当の意味で愛し合っている二人なら、社会は静かに見守るべきですよね、ということだと思います」
「ケンジさんは、結婚するかもわからない若い男女の自由恋愛を好ましく思わない、いわゆる我々の世代の古い価値観は否定したいということですよね」
「はい、そうかもしれません」
「でも、やっぱりこの愛し合っているというのも、なかなか微妙ですよね。パートナーが頻繁に替わっても、いや好きになった、いや冷めてしまった、と言われればそうだし。それが実はもともと騙すつもりだったとしても、その区別はつかないですよね」
「まあねえ。そういうのも含めていい相手を探すということなのかなあ。お互いいろいろためしてみて、最後にいい人を選ぶみたいな」
「モノだったらそれができるんですけどねえ。ヒトだとそうは簡単にはいかないですけど。だいたい、一人相手を見つけるのでも大変という話もある」
「モテモテ男とか女とか、そんなのいない?時代が変わったのかなあ。なんでもこの一言で片付けてしまうのも問題だけど、そう思うことが多くあるよ」
「ケンジさんは、独身者のうちというか若いうちは、いろいろな人を好きになり、まさに青春を謳歌してもらいたいな、と言いたいのだと思いますよ、ユウタさん」
「はい」
「あえて蛇足でいうと、そのかわり妊娠リスクは本当に気をつけてね、ということかな」
「はい」
「さて、独身者の話はこのくらにして、次に進めます。今度は、既婚者の話をしたいです」
「さっきは独身者だけの集団を前提とした話だったけど、そこに既婚者が入るということですね」
「いえ、まず既婚者だけに話を絞りたいと思うのですが」
「というと、どういうことですか」
「つまり、既婚の男女による配偶者以外との恋愛、自由恋愛の話ですが」
「独身者が入ると、その先に離婚、結婚みたいな話が絡むだろうけど、そうではないということですかね」
「まあ、そう決めつけているわけではないのですが、そういう感じでしょうかね。結婚は維持しつつ、配偶者とは別の相手との恋愛というか。自分の妻、夫以外の人を好きになったりすることはあるだろうし、一方で別れるつもりなども無くて……」
「小説の世界では結婚が無いから、こういう心配は無用なんですね。配偶者に気兼ねなし」とユウタさん。
「そうだなあ。結婚していないというのは、もっと自由だったということかなあ」とケンジはちょっと声をひそめてつぶやいた。
「はい、奥さんはいらっしゃらないので、まずはお話したいことを続けてください」とフユキさんはケンジを促した。

さて、まだまだ会話は続くようです。

(19)に続く

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