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第1話:「世界は、思い通りにいかないから面白いんだと思います」


※ 「屋上」の目次はこちら



「世界は、思い通りにいかないから面白いんだと思います」


放課後の屋上。
いつものように屋上で寝転がっていた俺に向かって女はそう言った。
いや、正確に言えば女だと思われる声がした、だろう。
なぜなら俺は屋上の扉が開く音がして以降、目をつぶって無視を決め込んでいるので、その声の主の姿を確認していないから。
そいつは先週のある日、突然屋上に現れると、それから毎日来るようになった。
別に屋上が自分だけの場所だなんて思わないのであいつを邪険に追い払うことはしなかったが、無駄な人付き合いを嫌う俺は、
「どうしていつも屋上にいるんですか?」
「昼間に空を見上げても、お星さまは見えませんよ?」
「っていうか私の言ってること、聞こえてます?」
何度も話しかけてくるあいつに対して無反応を貫いていた。
無視され続けたら普通の人間なら諦めそうなものだが、それでも毎日あいつは屋上へ来て、なぜか俺に話しかける。
そして何日目かの今日、あいつの放った言葉が最初の
「世界は、思い通りにいかないから面白いんだと思います」だ。
一体どういうつもりなのかわからないが。
かといって別に知りたいとも思わないが。

「何もかもが自分の思った通りになる世界なんて、つまらなくないですか?」

だから理由を知りたいだなんて思っていないというのに。
俺は表情を何一つ変えず、今日もまぶたを開けることすらしないまま聞き流す。
けれど、あいつは独演を続けた。
「人ってたくさんのものを欲しがるじゃないですか」
俺の体の近くで足音が聞こえる。どうやら歩きながら話しているようだ。
「愛、お金、名声、地位、物、寿命、宝石、子孫、経験―――。言い出したらきりがないですよね」
よくも一気に言えるなと思うくらい、あいつは一息で欲望の対象を羅列した。
「人はそれらを手に入れようとします。時にはお金で。時には努力で。時には犯罪で」
さらっと物騒なことをいう奴だ。
「そして上手くいけば、人は欲望の対象をを手に入れることができます。でも、」
あいつは一旦言葉を止めた。それと同時に足音も俺の頭の近くで止まる。
「もし欲望の対象を簡単に手に入れることができたとしたら、それは果たして幸福なのでしょうか?」
・・・・・・今日のあいつの話はいつもより長い。これじゃ昼寝もできやしないじゃないか。
俺は表面上は無関心を装ったまま、耳だけあいつの言葉に傾ける。
「簡単に莫大な財産を手に入れられたら、簡単に出世することができたら、簡単に人の愛を手に入れることができたら―――」
そこであいつは再び言葉を止めた。俺は話の続きを待ったが、いくら経っても何も聞こえない。
屋上が、遥か遠くの方から運動部らしき声がかすかに聞こえるだけの、静かな空間へと戻る。
・・・・・・もしかしたら屋上からいなくなったんだろうか?
静かになったのでようやく眠りにつくことができそうだが、中途半端なところで演説が終わったので夢見が悪い。
俺はずっと閉じていた目を開いた。すると、
「やっと、こっちを見てくれましたね」
見上げた空に、あいつがいた。俺が動くまであいつずっと頭上で見下ろしていたのか。俺は心の中で舌打ちをする。
ずっと声だけ聞こえていた、あいつの姿。いたずらっぽい勝ち気な表情でにやついている。
制服のリボンの色を見ると、1年生のようだ。俺に2つ下の学年の知り合いはいない。
一度目が合ったのに逸らしたらなんだか負けた気がするので、俺はそのままあいつに尋ねた。
「楽して金稼いだり、偉くなったり、人気者になれるなんて夢みたいな話じゃねぇか。それの何がいけないんだ?」
俺の言葉に、あいつは柔らかくほほ笑んだ。わりと可愛い。
「案外、ちゃんと話を聞いてくれていたんですね」
訂正。性格は全然可愛くない。
「楽して手に入れたら、価値が急激に失われると思いませんか?」
「バイトして稼いだ1万円だろうが、そこらで拾った1万円だろうが、どっちも同じ1万円だろ」
「そういうことではなくてですね―――」
あいつは肩につくくらいの黒い横髪を耳にかけながら眉をひそめ、まるで幼子に語りかけるような口調で言う。
俺の方が2つ年上だというのに。
「例えば恋人にプレゼントを贈る時、自分でアルバイトして稼いだお金を使うのと、拾ったお金を使うのでは価値は同じでしょうか?」
淀みないトーンで話すあいつの説明は、不思議と先生の授業なんかよりもすんなり俺の中に入ってきた。
「他の例をあげましょう。ここに魔法の惚れ薬があるとして、それを使って誰かに好きになってもらうことに意味はあるのでしょうか?」
なんとなくあいつの言いたいことが見えてきた気がする。
「・・・・・・それは、虚しいな」
「ですね」
あいつはまたふんわりとほほ笑む。
「私、思うんです。本当に大切なのは世界が自分の思い通りになるかどうかではなく、叶えたい思いに至るまでの過程なんじゃないかと」
「・・・・・・なるほどな」
そして俺は再び目を閉じた。話の結論は出たことだし、これ以上あいつと関わる理由もないだろう。おやすみ。
俺が目を閉じたのに気付いたのだろう、あいつは少しだけ声を張り上げる。
「つまり、私が何を言いたかったというとですね―――」
なんだろう、先程の言葉が結論ではなかったのだろうか。俺が疑問に思った直後、あいつは言った。

「例え先輩のことが簡単に思い通りにならなくても、私は頑張りますから」

軽い足音がだんだん小さくなって遠ざかっていく。しばらくして離れたところから、屋上の重い扉がバタンと閉まる音がした。
再び訪れた静寂。しかし、
「・・・・・・どういうことだよ、全く」
これじゃ昼寝もできやしないじゃねぇか。
俺は寝ることを諦めて、空に浮く雲を見つめた。




2020/06/12

この話を初めて書いたのは、2011年。
あの頃の自分からだいぶ変わったから、今はもう同じ文章は書けない。
全10話で完結するので、これからも続きを見てくれると嬉しいです。

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