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番外編:あなたの知らない物語


※ 「屋上」の目次はこちら



「つぎにあったときは、ぜったいはれにするから・・・・・・」
田んぼに挟まれたあぜ道を走っていく、一台の車。
離れていくあなたの方を向きながら、私は両手をぎゅっと握りしめた。
「せかいも、あなたも、わたしがはれにしてみせるから・・・!」




私の住む家の隣の家にあなたがやって来たのは、今から8年前、私が小学校2年生の時の夏休みのことだ。
隣の家といっても、私の故郷は例え夜中に大声で歌おうと誰にも迷惑がかからないような、何文字"ど"を前につけても足りないくらいの田舎だ。
学校までは、田んぼや畑に挟まれた道を子供の足で、片道1時間。
全校児童は十人ちょっとだから、私は全員の顔と名前を覚えていた。
だから、私の家の近くにあるお地蔵様の祠の前に見たことのない男の子が立っているのを見つけた時、私は気になってすぐに話しかけた。
「こんにちは!」
「ひゃっ!」
私が後ろから声をかけると、あなたは飛び跳ねるように振り返った。
私よりも少し年が上くらいの男の子。やっぱり見たことがない。
「見たことない子だね。あなたはだあれ?」
「あ、あう・・・」
「あうくんかー。どこからきたの?」
「ち、ちが・・・」
「ちがけんからかー」
首をぷるぷると横に振っている。どうやら突然話しかけられて、緊張しているようだった。
こういう時は、まず自分のことから話そう。
「わたしはね、あそこのおうちにすんでいるんだよ!」
私は向こうの方に小さく見える、赤褐色の瓦の屋根を指差した。
「ぼ、ぼくは、あっち・・・・・・」
そう言ってあなたは、私の家とちょうど同じくらいの距離の反対側にある紺色の屋根の家を指差す。
「おとなりのおばあちゃんちだ! おひっこししてきたの?」
私が聞くと、あなたは少しずつ話し始めた。
「お、お母さんが、にゅういんすることになって、だからしばらくの間、こっちにいることになったんだ・・・」
「そうなんだ・・・ママにあえないなんてかわいそう」
初対面でいきなり可哀想だとは失礼なものだが、幼い子供の感想というのは、いつもストレートだ。
このときの私はそれを聞いて、この子を元気付けてあげたいという変な正義感に目覚めたのだった。
「じゃあ、このなつ休みは、わたしとたくさんあそぼうよ!」




その日から毎日、私はあなたを笑顔にしたくてあっちこっちへ連れていった。
近くの池までザリガニ釣りへ行ったり、笹の葉で船を作って川に流して競走させたり、おばあちゃん家の蔵の中を探検したり。
だけど、ザリガニを目の前に見せてびっくりさせてしまったり、川沿いを無理やり走らせて水中に落としてしまったり、蔵の中でクモの巣まみれにさせたり、私はあなたをいつも困らせてしまってばかりだった。
人を笑顔にするのがこんなに難しいだなんて。
ある日のこと、私達はあなたの家で、夏休みの課題を一緒に(といっても学年が違うから内容は違うけど)やっていた。
「これがデネブ、アルタイル、ベガ」
不思議な道具を取り出したあなたにそれが何かを私が尋ねると、使い方だけではなく星のことも教えてくれた。
「この三つを合わせて、夏の大三角っていうんだ」
あなたは畳の上に置いた星座早見盤の中の白い点を、一つ一つ指差す。
たくさんの点がありすぎて、正直どの点がどの星なのか私にはわからなかったけど。
「ねぇねぇ、おりひめさまとひこぼしさまは、どのおほしさま?」
「えっと・・・おりひめはベガのことだから・・・」
あなたはそう言って、また一つの点を指差した。
「これがおりひめ。それで、天の川をはさんで、こっちがひこぼし」
私はそれを聞いて、学校で先生がお話してくれた七夕の物語を思い出した。
「きょうは、ふたりがあう日なんだよね!」
「え? おりひめとひこぼしが会うのは、たなばたでしょ?」
「そうだよ。だからきょう!」
私がそう言うと、あなたは不思議そうな顔をした。
「たなばたは7月だから、もう終わってるよ?」
「え? たなばたは8月でしょ?」
「あぁ、ここらでは8月7日が七夕なんだっちゃ」
その時、あなたのおばあちゃんが部屋へ入ってきた。
私の隣の家に一人で住むあなたのおばあちゃんは、おじいさんに先立たれた後も一人で農家を続けている、元気な方だ。
以前から、学校へ行く時は畑で仕事をしているおばあちゃんにあいさつをする間柄だったが、この夏休みあなたに会いに来るようになってからは、たくさん話をするようになった。
「そうなんだ・・・。あ、ばあちゃんそれ何?」
おばあちゃんは重箱を抱えていた。それをちゃぶ台の上に置いて、蓋を開ける。
「おはぎさ作ったんだげど、食うがい?」
「食べる!」「たべる!」


「ばあちゃんのおはぎ、おいしい!」
私達は縁側に移動して、空に大きく湧き上がる入道雲を見ながら、私達はおやつのおはぎを食べていた。
おこぼれをもらいに来たのか、つばめが庭の地面すれすれに飛んでいる。
「前にうちで食べたおはぎはぶつぶつしてたけど、ばあちゃんのおはぎは、やらかいからすき!」
あなたは満面の笑みでおはぎを頬張っていた。
「あんだはこし餡の方好ぎかい。まぁ、こし餡は作るのに手間かかっからね」
あなたをいとも簡単に笑顔にするなんて、おばあちゃんのおはぎはすごい。
「もう一つ食べてもいい!?」
「慌でねえでも大丈夫だがら、よぐ噛んで食いなさい」
あなたは新しいおはぎへ手を伸ばす。
「どうしたらこんなにおいしいおはぎをつくれるの?」
私はおばあちゃんに訊いてみた。
「実は、あんこの中に隠し味さ入れでるのよ。そうだ、今度一緒に作っぺが?」
「うん!」
私も笑顔になった。今の夏空のように、心が晴れやかな気分だ。
「そだ、せっがく今日は七夕だがら、笹の葉でも飾っぺ?」
当時の私はそっちが普通だと思っていたが、東北地方や北海道などの地域では、旧暦に合わせて8月7日を七夕とするらしい。
「わたしたんざくかきたい!」
「ぼくも!」
「んなら今から裏山から取ってくっから、ちょっと待ってでね」
「ばあちゃんありがとう!」
あなたはまた笑顔になった。おばあちゃん、すごい。
おばあちゃんが部屋から出ていった。
私もおばあちゃんのようにあなたを笑顔にしたくて、何かいい方法がないか考える。
その時、畳の上に転がっていた星座早見盤が目に留まった。
「ねぇねぇ、きょうのよる、いっしょにおりひめさまとひこぼしさまを見ようよ!」
「星を見るの? でも、夜はお外に出ちゃだめって言われてるからなあ・・・」
「ないしょにすればだいじょうぶだよ! よるの10じに、おじぞうさんのまえにしゅうごうね!」
私が強引に決めると、
「・・・・・・じつはね」
あなたは小さい声でつぶやいた。
「きのう、母ちゃんのしゅじゅつがぶじに終わったから、あさってうちへ帰るんだ」
「そう、なんだ・・・・・・」
それは、あなたにとって嬉しいことのはずだから、私も喜ぶべきなんだろう。だけど、
「じゃあ、もういっしょにあそべないね・・・・・・」
それはあなたと離れ離れになってしまうことを意味する。
「そんなさみしい顔しないでよ。また、お正月とか、ばあちゃんちに来るときもあると思うから」
「で、でも、1年に1かいしかあえないなんて、そんなのまるで・・・・・・」
私は星座早見盤に目をやった。
それは一年のうちたった一日以外全てを、離れるよう義務付けられた二人。
「だから、この町をはなれる前に、すてきな思い出を作りたいんだ」
あなたは空の方を向いて言った。
「今日の夜、ぜったいに行くよ」




そして、その日の夜。
9時50分にセットしていた目覚まし時計が鳴ると、私は一瞬で目を見開いて、すぐに音を止めた。
「きょうはひとりでねる!」
と言って自分の部屋で一人で寝ていたから、この音がお母さんたちに気付かれていなさそうだ。
私はパジャマから、あらかじめ枕の下に隠しておいた洋服に着替える。
夜に内緒でこっそりと出かけるなんて、とってもドキドキする。
足音を忍ばせて玄関に向かい、音を立てないように玄関の引き戸を開ける。
「・・・・・・」
そして、私は見た。
空を覆い尽くす雲と、降りしきる大雨を。
とてもじゃないが、星が見られる状態ではない。
「こ、こんな雨だもん」
私は玄関の中へ戻って、小さくつぶやく。
「きっと、来てないよね・・・・・・」
いくらなんでも星が一つも見えないのに、こんなに雨が降っているのに、約束した場所へ来るはずがない。

「だから、この町をはなれる前に、すてきな思い出を作りたいんだ」

だけど、あなたの言葉を思い出す。

「今日の夜、ぜったいに行くよ」

もしかしたら、あなたは来るかもしれない。
私は玄関にある懐中電灯と自分の傘をつかんで、再び外へ出た。


「うぅ、くらいなぁ・・・・・・」
田舎の夜というのは、思っている以上に真っ暗だ。
この辺りは街灯すらほとんどないし、今日みたいな天気の日は星明かりすら全く無い。
家の前の道の両側は田んぼになっていて用水路もあるから、こんな暗い時間帯に歩くのは危険だ。
「きてる、かなぁ・・・・・・」
私は声を出して、少しでも怖い気持ち紛らわそうとする。
懐中電灯の僅かな明かりを頼りに、昼に行くときよりも何倍の時間をかけて、ゆっくりと一歩ずつ歩く。
家からお地蔵様の祠までの距離が、果てしなく遠くに思えた。
「きてないと、いいなぁ・・・・・・」
どうか、どうかあなたが、私との約束など無視して、来ていませんように。
何度かぬかるみに足を取られそうになりながら、私はようやくお地蔵様の祠のところへ着いた。
懐中電灯の明かりがようやく祠を照らし出す。
「・・・・・・。」
そして、私は祠の中のお地蔵様に向かってお祈りをしている、あなたの姿を見た。
お地蔵様が入るための祠は人が入るのには狭すぎて、あなたは吹き込んでくる雨で全身がずぶ濡れだった。
暗闇の中でも、体が小刻みに震えているのがわかる。
「・・・・・・お、おまたせ」
私はその背中にむかって恐る恐る声をかけた。
「・・・・・・」
「あ、雨、ふっちゃったね・・・・・・」
「・・・・・・雨がふったら、おりひめとひこぼしは、会えない」
あなたは私に背を向けたまま言った。
「母ちゃんはにゅういんしてるし、夏休みに知らない町へつれて来られるし、たなばたの夜にお星さまは見えないし」
それは私に向かって言っているのか、それとも独り言なのかはわからない。
「ぼくの世界は、ずっと雨がふっているんだ」
その時まだ小さかった私にとって、あなたの苦しみはあまりに大きく、難しすぎて。
「こんな町、来たくなかった。星を見るやくそくなんて、しなけりゃよかった・・・!」
あなたの叫びはあまりに痛々しく、苦しげで。
そして、あなたはようやく私の方を見た。
「世界は、何一つ思い通りになんていかないんだ」
全てを諦めたようなその目に、私は何も言葉をかけることができなかった。




次の日、おばあちゃんから電話がかかってきた。
あなたが風邪をひいてしまったことと、明日この町を離れること。
「あの子もいぎなし寂しそうにしてっから、よがったらお見舞いさ来でねえ」
おばあちゃんはそう言ってくれたけど、私はあなたの最後の叫び声が耳から離れなくて、結局その日は行くことができなかった。
そしてさらに次の日、あなたがこの町を出る日。
おばあちゃんが電話で教えてくれた時間にあなたの家の前へ行くと、見慣れない車が停まっていた。
その頃の私はまだ漢字があまり読めなかったけど、この街のナンバーでないことだけは分かった。
そして、おばあちゃんに手を添えられてあなたが玄関から出てきた。
私は反射的に近くにあった木の裏に隠れる。
「まだいづでもおいでねえ」
おばあちゃんの声が聞こえたけど、あなたの声は聞こえなかった。
そして、車の扉が閉まる音、続いてエンジンがかかる音がする。
あなたがこの町を出ていってしまう。
あなたが行ってしまう前に、もう一回会いたい。
だけど、会ったところで、傷ついているあなたに、私が傷つけてしまったあなたに、何を言えばいいのだろう。
私では、あなたを笑顔にすることができない。
車が発進した音がした。私は木の裏から出て、ここから遠ざかっていく車を見つめる。
「つぎにあったときは、ぜったいはれにするから・・・・・・」
田んぼに挟まれたあぜ道を走っていく、一台の車。
離れていくあなたの方を向きながら、私は両手をぎゅっと握りしめた。
「せかいも、あなたも、わたしがはれにしてみせるから・・・!」






それから、あなたが私の町に戻ってくることは一度もなかった。
あんなに元気だったおばあちゃんが、急な病気で亡くなってしまったからだ。
葬式は身内だけで執り行われ、おばあちゃんの家や土地は売りに出されたので、あなたが私の町へ来る理由はなくなってしまった。
私も家主を失ったお隣の家を黙って通り過ぎるようになり、小学校を卒業し、さらに離れた場所にある中学校まで自転車で通うようになった。
そして中学3年生のとき、私は進学するために田舎を出た。
それはあなたが帰っていった街。
もちろん、それだけで選んだわけじゃない。
もともと家から通える範囲に高校がなかったし、大きな街に憧れもあった。
しかも、親戚がその街に住んでいて、住まわせてもらうことができるということもあった。
でも、それだけで選んだわけでもない。
あなたにまた会えることを、あの日からずっと望んでいた。
広い街のどこかで、もう一度あなたに出会えたら。
そんな奇跡にも等しい、僅かな可能性を胸に抱いていたって、決してバチは当たらないはずだ。

だから、本当に驚いた。

そんな奇跡が、本当に起こるだなんて。

あなたはあの頃よりずっと大きくなっていたけど、私にはひと目でわかった。

「世界は、何一つ思い通りになんていかないんだ」

あの日と同じ、世界の全てを諦めているような表情で、あなたは学校の屋上にいた。
あなたは、私が通う高校の、2つ上の先輩だった。
あなたは私のことを覚えていなかった。
でも、それでもいい。
ここからもう一度、また始めればいい。
私は目を閉じて呼吸を整えると、あなたの方へ向かって歩き出した。
今日もあなたは私が屋上へ来たことなんて気にもせず、屋上で寝転がっている。
今度こそあなたを笑顔にできるよう、あなたの世界を晴らすことができるよう、私ははっきり声を出した。


「世界は、思い通りにいかないから面白いんだと思います」




2020/08/04

気持ち悪い話をします。←
ボクの物語の書き方は、有川ひろ先生のいうところの"ライブ派"、つまりキャラクターが好き勝手に動いているのをカメラで観測しているような立場です。
だから、自我を持った彼らが何を考えているか、どう動くかが作者の手を離れて分からなくなるときもあります。

さて、前回の8話を書いてボクはこの物語は完結したと思いました。
だけど、どうして後輩は先輩のことを気にかけているかわからなかった。
だからボクは彼女にその理由を"訊いてみました"。すると、

「実は私、小さい頃に先輩に会ったことがあるんです」

なんてとんでもないことを言い出したのです!
そこからは、彼女が昔の思い出を話すのをボクは文字にしていき、できあがったのがこの番外編「あなたの知らない物語」です。
物書きではない人にとっては一体何を言っているのかと思うでしょうが、物語を書いているとこういうことがたまに起こります。
それがすごく楽しいんです!

タイトルと文中に出てくる一文は、supercellさんの楽曲「君の知らない物語」へのオマージュです。
それでは次回は現在の時間軸に戻っていよいよ最終話です。
七夕の話を、七夕の日に更新できますように。



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