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#077|27

どうも、コッチーです。
本日も元気いっぱい綴っていきます。


僕は皆のように器用に生きられない。何をとっても不器用だ。どんくさいやつだ。成功しているようなフリをしつつ、失敗すると目立つ機会には触れないようにして生きてきた。

おかげでチンケなプライドだけは持っているようだ。自己否定と自己陶酔を行ったり来たり。確実に歪んでいる。

周りはどうだ。ちゃんと自立して、仕事して、生計立てて、結婚して、家庭を持って、家建てて、立派な大人だ。反対に僕は正しく社会生活を営めなかった。これこそ社会不適合者だ。他人の成功は喜ぶが、比較して落ち込むのが僕の性格である。

不器用すぎて大切な人たちに何度も迷惑掛けるくらいだったら、いっそのこと死んじまった方が一回の迷惑で済むんじゃないかなんてことも思った。しかし事後はお金をかけて葬儀とかやらないと世間体的にアレだったりするし、親から周りに説明とかさせたりするのも嫌だし、参列する人も香典やら何やらでお金がかかったりする。結局、一回の迷惑では済まないから、実行には移さなかった。どうせ死ぬなら、やっぱり周りには迷惑をかけず勝手に死にたい。生きるのにも死ぬのにもカネが必要だ。一瞬で土になれる魔術みたいなものがあれば使っていたかもしれない。肥料になった方が人間でいるより役に立てそうだ。

今でも、主な原動力は「不安」と「焦り」だ。健全な動機ではないと分かっていながらも、不器用ゆえどうしたら良いのかわからない。

ごくまれに「喜ばせたい」が原動力になることもあるが、こういったときのモチベーションは最強だ。維持できればどんなに幸せか。

「怒り」や「悲しみ」等の緊張感で動くこともあるが、不思議なことにそういうときに限って普段より増して不器用になり身体が上手く使えなくなる。力加減がおかしくなるし、震えてしまう。もちろん頭も働かない。自分の身体なのに満足にコントロールもできないのかともう一人の自分にはよく言われている。

そんなこんなで色々とおかしくなってはいるが、いくら言い訳したところで働かなければ食えない世界線に生きているため、とりあえず出来ることを仕事にして働かせてもらってきた。

労働が嫌いで当たり前の価値観のコミュニティにいると当たりが強くて嫌な気持ちになるが、実は働くこと自体はそんなに嫌いじゃない。働いたことに対して「ありがとう」と言ってもらえると、自分の存在を肯定しても良いような気持ちになれるからだ。

遊びの誘いを断るたびに「でた、また仕事かよ、あーはいはい真面目ですねえ」みたいな空気が伝わってくることが多く、心底傷ついてきたが、僕はそれよりも自己の存在を肯定したい。自分は生きていても良い人であると自分で思ってみたい。今現在、人類の役に立てているとは思えない。

27周目を迎えようとしている現在、僕は何か前進したのだろうか。

少しでも大人になれたのだろうか。今までより増して卑屈になっただけではないか。いじけているだけではないか。少なくとも、これまでの記事で何度も言ってきた通り、間違いなくケチにはなった。もはや何にもお金をかけたくなった。カネのことを考えるとドライブにもキャンプにも行きたくなくなるし、ドラムも叩く気がなくなるし、飯も食いたくなくなる。多分、金銭感覚の何らかが壊れて暴走している。

オーバーホールレベルの結構大掛かりな点検と修復が必要だと思う。今現在の僕に出来るのは、手に入れたお守りを鍵と一緒に吊るしておくことくらいだ。

さすがに27周もしたんだから、そろそろネガティブ要素が少し抜けいってくれるといいなぁと思っている。


以上、コッチーでした。

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