ザネリの後悔#1

「あれは、『不慮の事故』だった」


 私は平凡なOL。どこにでもいるような。ブラウンの髪を一つにまとめ、特筆するほどもない顔立ち。多分、漫画なら顔すら与えられない。特技もない。大学を卒業して九州から上京した6年前から一人暮らしをしている。料理は人並み程度、誰かに胸を張って振る舞えるほどではない。恋人もいない。

 しかし、本は好きだ。昔から本を読む時だけは私は私を好きだと言えた。かと言って、文才はなかったけれど。
特に好きなのは、銀河鉄道の夜だ。宮沢賢治作品で知らない人はいない。幼い頃、父が読むのを膝のうえで見ていた。厳しいが、優しい人だった。土木を職にする父からはいつも太陽の匂いがした。
 そんな父は、私が高校生の頃に死んだ。
私のせいだった。私を助けるために父は大雨で氾濫した川に入った。
あれは、「不慮の事故」だった。そう、兄は言った。私を慰めるために言ったのではない、母を思っていったのだ。

 あの頃から、母との関係が崩れた。両親は子どもから見ても仲が良かった。寡黙な父と対照的に明朗とした母。父の足りない言葉を母が補う。そんな二人だ。父を亡くした母は、抜け殻だった。葬式でもお通夜でもその後も泣いた。もう最後の方は涙声ではなく、叫び声だった。その最中、私を恨む目を今にも夢に見る。あの時の母は、誰がどう見てもおかしかった。だから、あの時母が私に言ったことは、仕方のないことだ。

「許してやってくれ」と就職のため家を出る時、兄は言った。父によく似た声は、私をやるせない気持ちにさせるには十分だった。
「わかってる」
一言、そう言った。何に向かってかは、分からない。そう言わなければいけなかったことだけはわかる。

 あれから、私は一度も家に帰らなかった。しかし、今年は帰らなければならない。ことの発端は、一週間前になる。本当は帰るつもりがなかった。一応、盆休みはあるが、何もしないつもりだった。しかし、会社が終わった18時半すぎ、制服のベストに入れた携帯が震えた。珍しいことだ。友人もさして多いわけでもない、会社用の携帯の方が震える頻度が多い。
しかしそれはいまは会社に置いてある。
携帯の表示を見た時、私は思わず顔を歪めた。
番号と2秒睨めっこ。薄いため息を吐き、耳に当てた。
「はい。」                 しばらくして唸るように電話口から声がした。
「……久しぶりだな。」
「うん、そうだね。兄さん。」




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