見出し画像

専業主婦が取締役になるまでの話

2019年10月1日

専業主婦としてのやりがい

当時ブラック気質なSI業界でワーカーホリック的に働いていた私も、2006年に長女を出産してすっかり子育てに専念していて、ビジネスを考えるなんて縁遠い所にいて、もう働くなんて戻れないなぁなんてぼんやりしつつ、子育ては子育てでやること盛りだくさんで、ベビーマッサージやら手作り離乳食やらベビースイミングやらと、初めて体験する母としての生活を満喫する方が忙しくて、働けない不満みたいなものは当初持たず専業主婦にやりがいも感じてました。
私の性格は自分の置かれた環境を120%満喫するタイプなので、DV気質な男性であろうが理不尽な環境だろうが最初はまずとことんぶつかっていくので非常に人生の満足度は高い方だと思います。

夫が会社を辞める

DV男と対峙する話はまた別の機会に書こうと思うので話を戻します。
ジョイゾーが立ち上がったのは、他でもない夫が会社を辞めたからです。
夫とは同じ会社の別部署で、昔ながらのSIの無駄と保守的な仕事の仕方に120%環境を楽しむ私も嫌気がさして先に辞めていたので、「たとえあなたの転職が失敗しようとも、今の会社は辞めたほうがいい。ダメでも釧路に帰ったらいいよ。私は車の運転好きだから、トラックの運転手とかやるし、結構給料もいいみたいよ。何とかなるよ。」という実に根拠のない自信と、むしろ早よ辞めれ、という暴論で夫を後押しした訳です。

夫の転職

実は起業前に夫は少しの期間、過去お世話になっていたという先輩の会社にジョインしたことがあります。といっても、それぞれが自分の食いぶちも持ってるといった形だったので、オフィスもなかったですし、夫が転職したという意識はあまり持っていませんでした。
夫がやりたいということがあれば応援する、その気持ちだけは持っていて、時々その先輩の会社のお仕事(データ入力)なんかを手伝ったりもしていました。
記憶は曖昧ですが、ECサイトとかでもやってみる?みたいな感じで商品をUPして、キラキラしたblogを書いたりお手伝いをしていたのですが、そのblogをみた先輩の奥さんが「あんな遊びみたいなことして仕事してる気になってる」みたいな発言をしたというのを聞いて、「そんな会社辞めちまえ」と2度目の暴論(暴言?)を吐いたと記憶してます。

夫の起業

2010年。自宅のリビングに机が一つ。それがジョイゾーの始まりです。
子供たち2人が幼稚園に入り、私にも昼間少し時間に余裕がでてたので、2人で平日ゴルフとか行ってたぐうたらな時代の始まりです。
そんなことは彼の「kintoneビジネスを始めた理由」には書かれてませんが、実際に私は特に現状に不満もなかったし2人で共通の趣味ができて良かったな、くらいに思ってました。
少しすると、1人雇うことにしたと近所に3DKの事務所を構えると言い出しました。私は「自宅以外に物置ができて嬉しい」くらいの認識です。
でも、これが本当のジョイゾーの始まりです。
最初の事務所には社員1人アルバイト事務員1人と社長の3人でした。アルバイトも私のママ友です。電話番をしてほしい、という理由で、特別忙しくない暇な時間にその場にいてくれるのを苦と思わないで働いてくれるというありがたいママ友です。この2人は10期目を迎えた今も(暇だった電話番から毎日忙しくなっても)、ジョイゾーを支えてくれる長いメンバーです。本当にありがたい。

さて、「なぜ、琴絵さんが事務員をやらなかったの?」そんな声が聞こえそうですが、夫と同じ会社で仕事って嫌だと思ってたんです。イライラするから。喧嘩が増えるから。だから、自分がやるのは絶対ヤダって思ってました。
きっと彼も同じ気持ちだったでしょう。

専業主婦の社会復帰

2013年に3人目が生まれたのですが、同居している義母が同時に銀座のお店をたたむ(義母は銀座のクラブ「四宮」を経営していました。これもまた別の機会に書きたいと思います)というので、「家に主婦が2人状態」で家事の分担で自由になる時間も私にますます増えました。
それで短い時間のパートに出ることにしました。ちょっとした息抜きのような物です。長年の主婦から社会に復帰するいわば復帰戦でした。
その頃彼がどんな思いでkintoneビジネスを始めたかなんて、当時の私は知りません。

でも、その裏で彼なりに考えていたんですね。さすがは社長です(笑)  

妻と【私】の葛藤

彼のblogにあるように、小さな会社ならがらkintoneビジネスにコミットしたこともあり、kintoneの業界ではそれなりの名が通っているようでしたので、仕事も忙しくなり人手が足りなく、そこで元SEとしての「四宮琴絵」に白羽の矢を立ててくれたのがジョイゾーの社長である「四宮さん」です。
私はパートの仕事も全力で楽しくて、正直その会社を辞めるのは嫌だったのですが、「夫を応援する」という気持ちがやっぱりありましたので、徐々にジョイゾーへシフトしていきました。
kintoneについて、ことシステム39について私の常識は追いつくのが大変でした。「正規化しないってなに?」「設計書ないの?」という基本概念から、「その場で作っていく?」「ヒアリングしながら手を動かす?」というのと、「こんなのあなただからできるんだよ、私にはできない」と特別な人がやる仕事でそれを補助するくらいの立ち位置でした。
しかし、それではいつまでたっても「社長を手伝う奥さん」です。私の中で仕事の面白さ、kintoneの面白さ、自分のスキルがあがるごとに「社長の奥さん」から「琴絵さん」として認められたい!という気持ちが大きくなってきました。
2014年にジョイゾーに正式に社員として入り、同時期に同僚となった山下くん(現在は羽ばたいて、米Kintoneに)の刺激もあり、私は私のビジネス論、スキルアップ、「私としての仕事」をしっかりやりたい!とどんどんと夢中になりました。
夫だけの世界からもっともっと広い世界を見るために沢山の人との繋がりを求め、自分の「やりたいことは何か」を思考するようになりました。
いままで「特にやりたいことはない。現状に120%満足してる」は「何も考えることをしていない」というだけだった、という衝撃的な自分に打ちのめされもしましたが、切磋琢磨する仲間に恵まれ、今日まで走ってくることができました。

夫を支える妻から取締役へ

画像1

ジョイゾーに入ったら、夫という贔屓目を除いても、この人のビジネスに私も追い付きたいと思いました。
そして、「奥さん」じゃなくて、「琴絵さん」としてちゃんと私の仕事で認めてもらおうという気負いでずっと走ってきました。
やっとビジネスをする夫に追いつき、スタートラインにたどり着いたように思います。
ジョイゾーは「家業」ではなく「企業」で、私は「奥さん」ではなく「経営陣」となりました。

プレスリリースをしたのは、私以上に夫の覚悟でもあり、社長の決断であると認識しています。
私の役割は、ジョイゾー開発メンバーを統括し、SIチームとしてのコアマッスルを確立し、事業の揺るぎない根幹を作っていくこと。
そして、このジョイゾーメンバーと世界を相手にするビジネスをする!沢山の人の「Enjoy IT、Enjoy LiFE」を実現する!
このミッションで、ジョイゾーはkintoneのフィールドでこれからも走り続けていきます。  

株式会社ジョイゾー
取締役COO 四宮琴絵

もちろんどこまで行っても私は「夫を応援する妻」ではありますが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?