ラジオドラマ原稿『一緒に暮らすこと』(オトナの恋愛ラジオドラマ・イシダカクテル_2023年8月15日オンエア分)
波の音。
女「波の音を聞きながら料理ができるなんて素敵ね」
波の音。
女「波の音を聞きながら、あなたが仕事から帰ってくるのを待つの」
男「僕にもこのキッチンを使わせてほしい。週末は僕のものだ」
女「じゃあ、コーヒーを飲みながらベランダで待ってればいいのね、美味しいトーストが焼き上がるのを」
男「おいおい、目玉焼きだって焼けるさ」
二人「ふふふ」
波の音。
2年前の僕らの会話は、波にさらわれていった。
僕らは海のそばの小さな白い家を借りようとしていた。
ベランダとキッチンとリビングが広くて寝室は少し狭い、小さな白い家だった。
女「ねえ、あのお家、まだ貸家のままよ」
パソコンのキーボードを打つ音。
男「……」
女「少し駅からも離れてたもんね」
男「…うん?」
女「早く一緒に暮らしたいなあ」
男「ん?いまも一緒に暮らしてるじゃないか」
女「…そうね」
波の音。
女「ねえ、見て不動産屋さんのYouTubeにも上がってる」
男「ちょっとごめん、いま大事な資料を作ってるんだ」
YouTubeを止めると波の音も止まる。
そしてまたキーボードをタッチする音。
1年前の僕らの会話は、キーボードの音にかき消された。
あの頃の僕には駅が遠かったし、もうひと部屋必要だとも思っていた。
けれど気付いたときには、いちばん必要だったはずの彼女が、
僕の部屋からいなくなっていた。
音楽。時間経過。
不動産「お客さ〜ん」
男「はい」
不動産「すみません、いま会社の方から連絡がありまして、あの物件もう入居者がいるそうです」
男「え?」
不動産「ちょっと前までは貸家だったんですが、別の不動産屋で…」
男「そうですか」
不動産「すみません、近くの別の家で」
男「大丈夫です」
不動産「そうですか、では引き返しますね」
男「大丈夫です。駅まで歩くんでここで」
不動産「遠いですよ」
波の音。
その波の音は、2年前に聞いたものと少しも変わっていなかった。
そして小さな白い家も。
僕はやっとわかった。彼女の言っていた「一緒に暮らす」という意味も。
浜辺の方から回って小さな家のベランダを見ると、
果たしてそこに、彼女がひとりコーヒーを飲んでいた。
男「ひさしぶり」
女「元気だった?」
男「借りようと思ったんだが、先約がいたようだ」
女「そうだ、トーストを焼いてもらえない?キッチンは広くて使いやすいわ」
男「ああ、目玉焼きだって焼けるさ」
波の音。
そしてジューっという目玉焼きを焼く音。
僕はその小さな白い家のキッチンで、波の音を聞きながら目玉焼きを焼いた」
おしまい。