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福の島・福島にあそぶ③ 人も自然も。歴史をめぐる旅のしめくくり


江戸時代からおよそ400年続く大内宿への訪問を目的とした、福島への旅。前々回は、道中で立ち寄った会津田島の祇園祭で、太々御神楽だいだいおかぐらを見学した思い出を。前回は、大内宿への訪問記を記してきました。

今回は、その帰りに奇岩で有名な観光名所・塔のへつりに立ち寄ったお話と、これまで書ききれなかった旅の所感を書いていこうと思います。

▶塔のへつりに立ち寄る

そもそも「塔のへつり﹅﹅﹅」ってなんなの?とお思いの方もいらっしゃると思いますので、まずはこちらをご覧ください↓(太文字は引用者によるもの)

塔のへつりは、自然の力が作り出した独特の地形と四季折々の美しい風景で知られています。百万年もの歳月をかけて、浸食と風化を繰り返し、見事な景観が造られました。1943年に国の天然記念物に指定され、その価値が広く認められています。
「へつり」とは福島県会津地方の方言で「川に迫った険しい断崖」という意味があり、その名の通り、高さ約70メートル、幅約100メートルの断崖が連なり、奇岩怪石が塔のようにそびえ立つ景観は圧巻です。

塔のへつり | 百万年の歳月が生んだ奇岩と四季の美 (photonavi-shimogo.jp)

「へつり」という言葉になじみがないなと思っていたら、方言だったのですね。ちなみに漢字は「岪」という1文字で「へつり」と読みます。

こちらが案内看板。8つの奇岩にそれぞれ名前がついていました。
対岸から。
緑に埋もれていますが、水流に削られた跡が残る大きな岩が見えています。


100万年というと想像もつかない時間ですが、実際に奇岩群を見てみると、自然の力によって悠久の時を経て作り上げられたことが直観的に分かります。

調べたところ、これらの奇岩群の高さはおよそ70メートル、幅はおよそ100メートルにわたるそうです。数字だけ聞いても、これだけの岩を水の流れで削り取っていくのに、気の遠くなるような時間がかかることは想像に難くありません。

岩の手前を流れるのは阿賀川です。川底は見えませんでした。
つり橋の向こうには、生い茂る木々の緑の「動」と、どっしりと構える白い岩の「静」

つり橋を渡って奇岩側に行ってみます。写真だと橋はかなり堅牢そうに見えますが、渡ると揺れるので、苦手な方はご注意を。

岩壁に刻まれた水の流れを感じ取ることができます。
ポコポコと穴の開いた岩


ところで、つり橋を渡ってすぐ近くにある階段を上ると、虚空蔵菩薩が収められているほらがあります。訪問時の時刻が午後を回っていたためか、影が落ちて物々しい雰囲気があったので、外から手を合わせるにとどめました。

※階段の幅が一定ではないので、昇降の際はお気を付けください。

虚空蔵菩薩堂。大内宿に続きここにも高松宮殿下の文字がありました。



これは個人的な話ですが、私がこの頃読み進めている松平定信『宇下人言』にも、塔のへつり訪問の文字がありまして、歴史上の人物と同じ場所を愛でるということも感慨深く思いました。
(松平定信への愛は以前の記事で語っていますので、よろしければ→

▶福島の旅を通底していたのは、「歴史」だった


さて、3記事にわたった福島に遊ぶシリーズ。振り返ってみれば、第1話の会津田島の祇園祭は800年以上、第2話の大内宿はおよそ400年、そして最後に訪れた塔のへつりは100万年という、それぞれ人間の寿命を遥かに超えた歴史を感じ取る旅だったことに気づきます。

人為であろうと自然の産物であろうと、歴史というものには一朝一夕にはできるものではない、積み重ねられてきた重みを感じます。その重みは人為のものであれば、連綿と繋いできた何人もの人たちの存在があるからこそですし、自然のものであれば、人類誕生以前からの時間の経過と、それが破壊されることもなく保存され続けてきたという幸運の上で成り立っているのだと感じさせられます。
それらを守り続けてきた存在には、頭が上がりません。


都会の生活に慣れ親しんだ典型的な現代社会人である私は、長い歴史が積み重なった土地を巡ってみて、感動もあり畏怖の気持ちもあり、なんだかアクが抜けるような、素朴な人間の原点に少しだけ戻れたような気持ちにもなれました。

普段の生活では見えないけれど、日本のどこかで歴史を守っている人たちがいること。それを自分の目で見ることができたこと、そしてそんな‘異邦人’のような私をそっと内に入れてくれたこと。そのどれもが温かくて、胸いっぱいの旅でした。


◆塔のへつり
◇地図


◇営業時間
見学自由
※冬期間、つり橋は通行止め。

◇関連HP(塔のへつり)


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