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デザインで見る髙島屋のこれまで/DESIGN MANIA~百貨店・SCのデザイン~展【感想】

ミュージアム好きな友人に教えてもらった、とあるアプリ。登録された展覧会のフライヤー一覧を見ることができるんです。

チラシミュージアム~美術館・博物館の情報&クーポン|イープラス (eplus.jp)

それを眺めていて気になったのが、『DESIGN MANIA~百貨店・SCのデザイン~』でした。

百貨店と言いますと、私の出身県には髙島屋のような大手の百貨店はありませんでした。だからちょっと緊張してしまう場所なんですね。

大人になってようやく百貨店をうろつけるようになりましたが、私にとって百貨店とは、未だある種の「憧れの場所」です。時代の先端をいくものたち、どこに出しても恥ずかしくないものたち、それらが並ぶ場所というイメージ。

その戦略を学んで、百貨店に詳しくなればもう怖くない!というわけで、今回の展覧会に行ってみました。

それでは、そんな私の印象に残ったポイントを紹介していきたいと思います。


場所は、難波にある髙島屋のビルとは別にある、髙島屋史料館(髙島屋東別館)。この企画展に行かなければ、きっとその存在に気づかなかったであろう建物でした。

威厳を感じさせる立派な建物。
実は戦前に建設されたもの。
字体がカッコいいー!

入館料は無料!展示室へ入ると、パンフレットを手渡されます。

アーカイブス展示と企画展の2部屋に別れていましたが、内容的には地続きに感じました。どちらも髙島屋の歴史を軸とした展示でした。

展示室入り口にある着物の帯の展示

アーカイブス展示

はじめに髙島屋の歴史をすこし。髙島屋は1831(天保2)年に京都で木綿の古着商として創業したのが始まりでした。

その後、呉服太物商となり、明治初頭には外国との取引を始めます。
本格的に外国と貿易を始めたのが1893(明治26)年のことで、そのキッカケは、明治初期の外国人が帛紗ふくさ求めたことだそうです。

日本画家に下絵を依頼してビロード友禅、刺繍など京都の伝統技術を用いて、壁掛、屏風など独自の“美術染織品”を製作し輸出しました。

 解説パネル

当時の外国人がお土産にしたがったものが、扇子や着物ではなくて、帛紗だったのか~!と意外に思いました。なんだか盲点で。彼らはどんなふうに持ち帰った帛紗を使ったのでしょうね?

そんな髙島屋は大阪、東京、京都などに店を構え、万国博覧会への出品や宮内省御用達となるなど、その地位を盤石なものとしていきます。
1923(大正12)年の関東大震災で東京店が全焼したのも乗り越えて、1930(昭和5)年に商号を「株式会社髙島屋」とし、翌年に創業100周年を迎えました。

戦時下では各種イベントが中止されたり、空襲の被害にあったりしたものの、戦後に見事復興を遂げていきます。

髙島屋東別館の模型。
2021(令和3)年8月に国の重要文化財(建造物)に指定されたそうです。


さて、私の目を引いたもののひとつが、別記事でも触れた、ドロシー・エドガース氏の洋服デザイン。

洋装の始まりの時流に合わせ、1936年に日本生まれのアメリカ人であるドロシー・エドガース氏が高島屋夫人服部に就任しました。彼女の手による洋装のデザインが何ともステキ。

※リンク先画像あり→高島屋史料館 企画展「DESIGN MANIA~百貨店・SCのデザイン~」9月7日から開催 | Fashion Commune [ファッションコミューン] (fashion-commune.jp)

90年近く前のものなのに、いま見ても可愛いんです♡


それから、「太陽とかもめ」という作品も目に留まりました。横浜高島屋が1959年に増築オープンしたときに、この作品を原画にした西陣織が増築されたホールに掲げられたんだとか。
のちにその緞帳は、港南台地区センターの体育館へ寄贈されたそうです。

↓の体育室の写真です。青に金がはえて、かもめの力強さがよい!


企画展

全部で4章に別れていました。本展の概要は以下のとおりです。(一部省略)

日本の百貨店は、さまざまな時代の転換期を乗り越えてきました。大正期に本格的百貨店となった高島屋。昭和の初め、大阪と東京に相次いで大型店舗を開店しました。多種多彩な催事を通して新しい情報を次々に提供し、アイデアあふれる広告戦略と商品開発で発展しました。戦中、そして戦後復興期の厳しい時代を経て、高度経済成長期には人々が憧れ夢見る生活を紹介。百貨店はつねに最新の流行を発信する場であり、同時に文化を創造し育む場でもありました。
(中略)
本展は、「広告」「衣服」「生活」「まち」の4つのデザインを軸に、百貨店・SCの過去と現在、そしていま描く未来像をご紹介する展覧会です。

企画展|高島屋史料館 (takashimaya.co.jp)


▶︎広告のデザイン

公式Instagramを見ていただくと、展示の雰囲気がわかるかと思います↓

レトロなポスターやチラシのイラストが郷愁を誘い、心が昭和にタイムスリップする感覚でした。生まれてないけど!

「デザインマニア」という企画展なので、広告やカタログ、写真などの展示物がたくさんあり、見ていて楽しいデザイン展なのはもちろんですが、デザイン以外で勉強になったこともあります。

たとえば、日本橋高島屋の広告の文句。それは「日本初の全館冷房完備」でした(※1932(昭和7)年頃)。広告にも前面に出されていた押しポイントで、それが売りになる時代だったのかとしみじみ。

最新の冷房設備をお客さんに見てもらえるように、冷房設備のところはガラス張りにしていたそうです。

それに関連して展示されていた、新聞広告掲載の岡本一平氏(岡本太郎氏の父)のまんがは面白かったです。

「冷房漫才」と題して、登場人物2人が漫才をしている様を描いた1コマまんが。本物の漫才のようにウマい言い回しでした。

うろ覚えですが、記憶をたどってセリフを書き起こすと、

「僕は昨日髙島屋に行ったんだ」
「私も昨日髙島屋に行ったわ」
「僕はその前日も髙島屋に行ったんだ」
「私も一昨日髙島屋に行ったわ」
「僕はさらにその前の日も行ったんだ」
「私も行ったわよ」
「なんでさっきから僕の真似ばっかりするんだ!」
「真似してないわ、本当よ。」
「いい加減にしてくれないか」
「あらあら、頭に血が上って熱くなっちゃって。髙島屋に行って、冷房で涼しくなりましょう」

私の記憶から引っ張り出した、岡本一平『冷房漫才』広告

みたいなかんじです。
あくまで私の記憶によるものなので正確性には欠けますが、しっかりオチがついていてさすがでした。ウマい洒落には、ぐっと心をつかまれます。

当時の宣伝部員によれば、「日本の百貨店宣伝には愛嬌がない。余りに真面目過ぎて一生懸命過ぎて余裕がない」ので、広告に「ウイツトを出して愛嬌をふりまいて見たい」と漫画の活用を思いついたといいます。

解説パネルより

つまり、私はがっつり宣伝部員の戦略にはまったということですね!


また、1941(昭和)年 京都高島屋の試みとして、「デパート船」というものを行っていたそうです。「竹生島丸」という船をチャーターして、琵琶湖沿岸一帯のお客様に商品を販売したのだとか。
今の感覚だと全く想像がつきませんが、戦前ではそれも有効な戦略のひとつだったんですね。


次は日本橋髙島屋の話になりますが、1950年に象の髙子ちゃんが日本橋髙島屋の屋上やってきました。この子はタイから買い受けた象の子どもで、お手やお座りができたそうです。
その後、屋上で飼育するには大きくなり過ぎてしまい、上野動物園に引き取られたといいます。

そしてこの2年後の1952年、髙島屋といえば!なバラが髙島屋の象徴として取り入れられます。
当時の社長による「美の象徴として愛されるバラの花を高島屋の花にしたい」という発案からでした。

髙島屋のイメージマスコットは「ローズちゃん」。

※インスタは以前の展示のときのものです。

▶︎衣服のデザイン

洋服のデザイン集も見ていて楽しかったですが、やっぱりドロシー・エドガースが私にとっては強すぎました!笑
昔のカタログは時代を感じて、ファッションの歴史資料のように感じました。

▶︎生活のデザイン・まちのデザイン

日本初の本格的郊外型ショッピングセンターは、玉川髙島屋S.C.で、1969年に登場したそうです。(調べたところによると、日本初のショッピングセンター自体はアメリカ占領下の沖縄らしいです。)

玉川髙島屋S.C.は、首都圏郊外の宅地開発&マイカー需要の高まりを見越してできました。
車でアクセスできる郊外のショッピングセンターは今でこそ当たり前になっていますが、それを牽引したのは百貨店だったんですね。

余談ですが、2018年グランドオープンした日本橋髙島屋S.C.の新聞広告にモンスターボールが隠れていて、「これ㈱ポケモンにライセンス料支払ってるのかな・・・」なんて野暮なことを考えていました↓


そして、圧巻だったのは日本橋の鳥観図です。現代の建物のほか、今はもうなくなってしまった建物も描きこまれている圧巻の絵画。1枚の絵の中で今昔を感じ取れるのは面白いですね。

隣に掲示されていた、昔のビルの写真と見比べるのが楽しかったです。

この作品をもとにステンドグラスで再現したものが、東京メトロ日本橋駅B1出口にパブリックアートとして飾られています。


全体的な感想

私の知らない髙島屋の世界を堪能できました。江戸時代から続く歴史があったことも、その時々で人々の目を引くようなサービスや商品などを打ち出していたことも。
そうしたことを、展示室に並べられた様々な広告等を視覚的に楽しみながら学べました。

現代っ子な私の目からすると、ビルの屋上にゾウを連れてくるのは可哀想に見えてしまいましたが、それくらい何か目玉になるものを探して、どうにか実現できないか工夫を凝らしていた姿勢は伝わってきました。

それから少し引いた眼で見たときに、百貨店の歴史とは(都市部中心にはなりますが)生活史・文化史の一部であることを実感します。考えてみれば当たり前のことですが、百貨店とは人々の生活の一部であって、あらゆる点に時代性や世相を読み取ることができます。

ゾウの例でいえば、動物愛護の理念や動物愛護団体の存在(色んな主義主張の団体がありますが)が現代と異なっていることは明白ですし、現代だと下手すればSNSで炎上しかねないわけで。
ゾウとニコニコ写る子どもの写真に、すこしゆるい時代の空気を感じるとともに、たったその1枚の写真が、それが「すこしゆるい」と評価できてしまう時代性をもっているんだと感じました。まだ100年も経っていませんが、時代はどんどん移り変わっているんですね。



珍しくかなり真面目な感想に落ち着いたような?笑
大人の社会科見学にもってこいな展示、無料で入れますので、お近くの方はぜひ一度立ち寄ってみてください!

展示室につながる業務用(?)エレベーターホール。
昔の面影が残るレトロ空間。
フロア表示が時計を模しているのが洒落てますね!

◆展覧会情報

場所 :髙島屋史料館(髙島屋東別館)3F
会期 :2024年9月7日(土)-12月23日(月)
   第Ⅰ部:9月7日(土)-10月28日(月)
   第Ⅱ部:11月9日(土)-12月23日(月)
休館日:火・水曜日
    ※10月31日(木)-11月8日(金)は展示替のため休館
HP  :企画展|高島屋史料館 (takashimaya.co.jp)


◆参考サイト

高島屋の歴史|高島屋史料館 (takashimaya.co.jp)


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