雨の日が特別になる
以下の内容には「言の葉の庭」に関するネタバレが含まれています。
ご注意ください。
「言の葉の庭」を見ました。何度か見たことはあったのですが、急に駆り出されるように見たい!と思ったので見ました。終盤の階段のシーンで泣きました。
短歌って素敵ですよね。いや、短歌が素敵というか、たくさんの複雑な感情をあの短さで簡潔に届けられてしまう、その言葉を操る人間が素敵というか。
正直昔の短歌を言葉だけ聞いて学のない僕からしたら「なんていってんの~?」ってやっぱり難しくてつまらないように感じるのですが、解説してもらえると凄く面白いなって思います。どうしてもわからないとつまらないよね。逆にわかると、今も昔も感じることや悩みは一緒なんだな、と感じられて面白かったりします。
という訳で言の葉の庭には短歌が出てくるわけですね。
ヤバくない?感性
まだ一緒にいたいな、と思ったときに、雨が降ったらな、なんて思えたことある?俺はない。この時間がずっと続けばいいのに、時が止まればいいのに、って思ったりすることはあっても、それを、「雨が降ればいいのに」で表現できるこの、ズルさ。(ズルさ?w)
でもまあ自分の場合はまだ一緒にいたいなとか思っても、悲しくなっちゃうのは嫌だからどっちかっていうと明るく晴れてて欲しいなと思うかも。まあ俺のことはどうでもいいんだけど。
そしてこれに返した歌もあると。
オシャレすぎるだろ。柿本人麻呂、万バズできるよ。カッコよすぎるだろ。
現代に柿本人麻呂がいたら恋愛無双できるよ。惚れちゃうよ女の子皆。昔のままの顔とかだったとしても受け入れちゃうよ。「現代転生した歌人、気付いたら女の子に好意を寄せられて困ってます」発売しちゃうね。
こんなことが言える人間になりたいです。
あと個人的に言の葉の庭で刺さったセリフは『あんたは一生ずっとそうやって大事な言葉は絶対に言わないで自分は関係ないって顔してずっと一人で生きてくんだ』です。
これは前にちょっと僕が書きたいと思ってた内容に通ずることがある気がしました。
それは、自分の想いだとか、意見っていうのを人に伝えるのが苦手っていうことです。昔から、周りの気持ちや意見を気にします。それが僕の性格なのか、それとも優しいねと褒められ育ったからなのかはわかりませんが。先生や父、母にも「自分の意見を言っていいんだよ」という風に言われたことがあります。
多分、人から拒否・否定をされるのが怖がっているんだと思います。意見の衝突があると喧嘩が起きてしまったりして、仲が悪くなったり、自分の発した言葉でそういうことが起きるのが昔から嫌なんだと思います。
悪い意味で責任感が強いのはあると思います。僕のせいで、って思いがち。だからこそ責任が必要なことはなるべくしたくないし、どうしても責任が伴う行動をやらなくてはいけないときには「ちゃんとやらなきゃ」って思って空回りすることも多々あります。
そういう意味では、自分の意見を言わずに相手の意見をのむっていうのは凄く楽なことだと思います。でもそれって他の視点で見たとしたらどうなのか。意見の衝突があった方がその人との関係性は深まるかもしれない、もちろん悪くなるかもしれませんがそれは僕の伝え方、言葉次第だと思います。
自分のことをあまり話さない僕は、他人から見ると、「全然仲良くなろうという気を感じない」と思われてしまうのかもしれません。
でもそれが僕にとって心地よい距離間で、話を聞いてほしいなら話は聞くけど、僕の話はしない。話したくないことだから。っていう感じ。
確かに、ここ何年かで「聞かれること」に抵抗ができているような気がします。
ありきたりな表現でいうと、自分の意見を言うのは僕にとって裸になっているような状態だと思います。凄く無防備で、どこからでも攻撃ができてしまうようなそんな状態。それが嫌だから自分のことを話したくないのかなと思います。
うーん、そう思うと「自分の意見を言えるようになりたい」というのには時間がいりそうですね。自分の意見とか話をするのに少しずつ慣れる必要がありそうですね。
まあそれがこの日記ということで、練習にいいんじゃないでしょうか。
さて、友人に、日記の中に内容に沿った一発ギャグコーナーを作れと言われました。ムチャクチャ言いますね。お前は。ということで本日のギャグはこちらです。
自分の意見は人に言っては、いけん!(いかん!)
いや、それじゃダメじゃん。