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2019年7月26日

気がつけば人生初の精神科受診から早いもので5年が経つんですね。
あっという間だったような、とてつも長い時間だったような。

ゆうメンタルクリニック新宿院

まだ広い地下に移転する前のコンパクトなクリニックでしたが、夕方になると立って待つほど待合室は混雑していました。
初診の男性医師に現状を話すと、「状況から考えて適応障害で間違いないだろう。この後心理テストを受験していただき最終的に判断します」と言われ、一旦定番のバウムテストとうつ状態の心理テストを受けつつ、採血検査でした。
流石に5年も前のことなのでどのくらいかかったのかは覚えてなかったんですが、そんなに時間がかかった印象はありませんでした。
全ての検査が終わり、少し混み合う待合室で待機していると。

「適応障害で診断書を書くので、一旦薬を飲んでまずは休みましょう」

まさか、自分が?

と言うのが正直な感想でした。
大学時代も福祉学専攻でセルフケアにもきちんと取り組んでいたつもりでいました。
ましてや、隣の係で沢山の精神障害者の対応を見ていました。
自分がそんなことになるなんて、という軽い絶望と同時に安心したのも事実でした。

なぜなら週明けからも大手を振って休むことができる。
面倒な電話対応も、サービス決定も、ケース対応もぜーんぶ忘れて休める!
最近はどうなっているのか分かりませんが、当時ゆうメンタルでは初診での診断書作成は難しいとアナウンスされていましたので、むしろ願ったり叶ったりでした。

薬がめっちゃ効く。

主にアルプラゾラムとメイラックスが処方されました。
考え方としてはメイラックスで安定を目標に、アルプラゾラムで速やかに体調の回復を第一にという感じでした。

飲み始めてみたところ、一番最初に感じたのは肩こりが治りました。
当時5年選手のゴリゴリの肩こり持ちでした。
マッサージにいけど、鍼をしようと、ジムに行って運動しても全く効果が長続きしませんでした。

その肩こりがスーッと消えていくのです。
どれだけ気を張って生きてきたのか俺と思いつつ、まずは体を休めることに専念することとしました。

日中は昼過ぎまでベッドで過ごし、ご飯を食べスポーツクラブに通うというこの4ヶ月間では考えられないような健康的な生活を送っていましたが、ずーっとそうしてもいられません・・・。

やって来た、産業医面談

公務員には2つの療養期間というのが存在している。

これ、結構誤解されているのと公務員独自の文化なので産業医面談の前に少し補足しておきたいのですが、公務員が私傷病で休まざるを得ない場合まずは療養休暇を取得することになります。
療養休暇というのはいわゆる休職とは厳密には異なり、夏季休暇や有給休暇の様に「休暇」としての毛色が強い制度となっております。
そのため、給与も全額出ますし籍もあくまで元々の所属に残っているままで復帰する際にも原則は元に戻るという前提の元制度が設計されています。
これはメリットでも有り、逆を言えばデメリットでもあります。
特に、僕のように職場でオーバーワーク気味だった人からすれば、元の環境に戻ったら結局元のようなオーバーワークをせざるを得ず、また体調を崩してしまいかねないわけです。

それについては、産業医面談の前に主治医からも言われていました。
いわゆる、環境調整の必要性があるというアドバイスですね。
ストレス性疾病には多く取られる改善方法だと思うのですが、まさかこの原則に振り回されることになるとは思いもしませんでした。

90日の療養休暇で復帰を目指すのなら、元の職場に戻ってもらう。

1回目の産業医面談でいきなり産業医と、保健師から突きつけられた現実。
まあ、そりゃそうか・・・。と諦めも有りました。というのも、組合の役員もしていたのでこの手のトラブルと相談は割と少なくなかったのです。
ただ、当時の僕としては年齢が若かったのもありますし正直公務員という仕事に疑問や違和感も持ち始めており、民間企業への転職という手段を選択しようかとかなり迷っていました。
だからこそ、休暇の期間で復帰したかったですし休職になるとその後不利になるなあと思っていたので、何とか違う部署での復帰は調整できないのかというやり取りを何度かしました。

産業医面談は基本的に、月1回は療養取得の義務的なものとして受けなければいけませんでした。
8月で突きつけられた現実。
9月になっても揺らがない現実。
そうこうしているうちにやってくる90日の日数。
主治医からは、復帰の条件に環境調整を盛り込むことは可能だがどうでしょうかと言われていましたが、産業医からはそれでは復帰を認めないというホコタテみたいな状況で9月は平行線が続いてしまいました。

新しい環境へ。

これは直接病気の話とは関係がないので詳しくは割愛しますが、9月の頭から民間への転職活動も本格的に取り組んでいました。
というのも、自分の努力でどうしようもない範囲で対処できないことが降り掛かってくる今の環境よりも、頑張ったことが正当に評価される環境で働きたいと思ったからです。

ですが、公務員から民間への転職は今でこそ市場も迎合傾向にありますが当時はかなり異質な扱いを受けていました。
確かに、公務員は大学生のなりたい職業では常に上位でしたし、一度入ったら安泰というイメージ先行でした。
まあ、その後のコロナ禍でそれは完全に崩壊するのですが。ね。

そんな中でも、1社だけ1次面接から熱烈にオファーしてくれる会社がありました。
今まで頑張ってきたことを正当に評価していただき、これから一緒に事業を大きくしていきたいんだと言う想いに惹かれ、入社を決意。
2020年1月入社で無事内定をいただいたのが、2019年10月の半ば。
ギリギリでした。

復帰、退職報告、そして退職へ。

90日が経過し、いよいよ復帰。
まさかの受け持ち地区変更があったり、一切の業務調整がなく残業しないと終わらないくらいの業務量。

でもいいんです!俺辞めるし!笑
って心のなかではその1点で何とか仕事には行っていました。
とはいえ、突然やめられない仕事であるのも事実。デッドラインを決めてここまでには報告しなければと決めていた日がやってきました。

係長はすんなり受け入れ、課長と面談。
課長からは、「復帰したばかりだし、そんな辞めることないでしょ」と言われていたものの、次の仕事が決まっていることを伝えたところ。
「あ、そ。でも辞める日までは有給消化しないでね。書類は人事の人が持ってくるから。」と豹変しました笑

そーいうところだぞーwと思いつつも、これで前に進める。
と思っていましたが、まあ細かい嫌がらせみたいなのはあった気もします。
もう正直報告後2ヶ月間の勤務はよく覚えていません。
それくらいあっという間でした。

最終日にも残業指示があったのにはドン引きしてましたし、ささやかな花束貰ったのですがあまりにも花束が苦痛すぎてそのまま帰り道ゲイバーで飲みながら捨ててもらったのは覚えています。

長くなりましたので、一区切りしましょうか!

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