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運命の人を見つける方法

愛とは人間の本能であり、信念の塊であり、ロマンだ。しかし、その理想を求めすぎては見つからず、求めなければ見つからない。そんな矛盾に満ちた特質に、私たちは戸惑い、試され、努力を必要とする。この人こそ運命の人だと、どうすれば分かるだろうか?

人生の豊かさを語る上で色々な物差しは存在する。どんな仕事をして、いくら稼いでいるか?趣味や旅行で、どれだけ新しい体験を積んだか?寝れる時間や食事の楽しみはどうだろう。特に幸福度を左右する要素として人間関係。つまり、人生を誰と過ごすか?これは幸せに直結する課題と捉えて間違いない。

もちろん、ひとりで十分に幸せな一生を送ることも出来る。熱心に働いたり、夢中になれる趣味を貫くことで有意義な人生の恩恵は手に入る。そんな人にとって恋愛は面倒で手間がかかり、その割にリターンが少ない。不確定な要素も多い…。その事については後ほど詳しく触れていくが、前提として、幸せな独身生活も山ほどある。そして、逆に不幸せな結婚も山ほどある。というのが現実味のある見方であろう。

この一見すると当たり前のことが、見過ごされる理由のひとつに、愛の力で人は変えられるという期待がある。愛さえあれば自分色に染められる。応えてくれる。成長してくれるというドラマチックな筋書き。この記事では悲観的に“その期待”を否定しておこう。

人は人のために、変わらない。

そんなドライな現実を直視するとき、私たちに残された希望の光は適切な人を、あらかじめ選ぶこと。つまり、運命の人を見つけることである。

それには独身であっては得ることの出来ない数多くの恩恵がある。例えば子供や家族はパートナー無しで作ることが出来ない。歳を取れば身体機能は衰え、いずれ親は死に、孤独になる。遊び相手や話し相手、お互いに困難を支え合う相手は夫婦がもたらす精神的な支柱であろう。懸命に世話をした子供の成長にも、底知れぬ充実感と感動が備わっている。特に女であれば、卵巣の機能上、男よりも早い意思決定が求められ、呑気なパートナー探しは出来ない。対して男は積極的に、アプローチを仕掛けなければならない。どんな草食系であろうとも、木の実が落ちてくるのをいつまでも待ってはいられないのだ。

これから私は(男女に差のない)運命の人の見つけ方を話する。ひとりの独身が運命の人を求め、発見し、恋に落ちる恋愛の入口について。その中では個人的な失敗談を含め、選択のパラドクスやマッチングアプリ、ロマンにも触れていく。きっとこの記事にたどり着いたということは長い間、独身で生きてきたのか、これまで出会ってきたパートナーに違和感を覚え、少なからず納得はしていないのだろう。

自分は重い腰を上げ、気力と体力を注ぎ込み、期待と落胆を繰り返しながら、理想と不安に揺れているのに、周りは幸せそうなパートナーをいとも簡単に見つけ、幸せな結婚生活を送り始める。もしも今、そのような途方に暮れているのであれば、それはあなただけじゃないことを忘れないで欲しい。それは自然なことです。現代が生み出した社会の構造と古代から変わることのない人間の仕組みがそうさせているのです。これからその話をしよう。

選択肢のパラドクス

少し前のことだが、とても興味深い経験をした。それは暑い夏の日で、アイスクリームでも食べようと近くの露店まで歩いて行き、カウンター越しに注文した。選べるアイスはチョコレート、ストロベリー、バニラ。
あまり選択肢がないことは気にもせず、迷うことなく、ストロベリーを選んだ。チョコやバニラよりも爽やかでフルーティーな味わいを求めていたからである。味は期待通りで、特別なものは何もなかったが、自分の下した選択には、かなり満足していた。このストロベリーは美味い。


一週間後、またアイスが食べたくなった。今度は別の店に行ってみよう。店内に入るとアイスの種類が30種類に増えていた。目には羨望の輝きが増す。選択肢が増えるということは、自分の好む味をより詳細に、正確に選ぶことができるということ。よりお好みのものを楽しむことができ、うまくいけば完璧な味わいと出会うかもしれない。

しかし、皮肉なことに今回の選択は前回のように単純ではなくなった。選択肢が30通りもあるのに、本当に自分が好きなものを知らなかったのである。すべての選択肢を慎重に分析し、比較し、検討しなければならなくなった。

結局のところ、味を選ぶだけで色々と話を聞き、目利きを利かせ、頭を抱えて悩んだ挙句に、無難なストロベリーを注文した。最終的な味の方はやはり期待通りで、特筆すべき部分は何もない。最初のアイスと全く同じだ。

しかし今回は、自分の選択に満足はできなかった。他に色とりどりの味たちが選ばれるのを待っていたにもかかわらず、早合点で無難なものを選択し、食べながらも29種類の笑顔たちが脳裏をチラつく。チャンスの損失は計り知れず、その日、一日は台無しになってしまった。

一体、心の中で何が起きたのだろう?

Y軸は幸福度、X軸は選択肢の量を表している。選択肢がほとんど、あるいは全く無いとき、私たちは不幸になる可能性が最も高くなる。その理由は完璧に理にかなったものだ。例えば働きたいのに仕事がない。または、残念な一か所しか募集していないとき、そんな状況で明るい気分にはなれない。より自分にフィットした最適な選択肢を選ぶことができないから、むしろ絶望的な気分になる。

しかし、幸運な事に選択肢が増えてくるとその中から選ぶことができるようになる。必然的に幸せも増える。これも理解できる。やりたくない、相性の良くない職場で働く必要がない上に、自分に合ったものを選ぶことができる。ゆえに、選択肢があるということは、明らかに良いことだ。

しかし、興味深いのは、選択肢がさらに増えた場合、幸せは相対的に増え続けるのではなく、逆に減少を始める。つまり、選択肢が多すぎる。ということは最終的には、ないのと同じくらい惨めな結果となる。

本来、より多くの選択肢は、自分の望むものを的確に得ることができる最大のチャンスなはずなのに、幸せにするより、むしろ不幸を招いてしまった。すこし奇妙に聞こえるかもしれないが「多いことで貧しくなり、少ないことで豊かに」なっている。選択肢のパラドクスだ。

その主な原因は、人の抱く期待値にある。より多くの選択肢が期待値を跳ね上げ、非現実的な理想像を作りあげる。そして、たいていの場合、それは誤った期待(満足できるものは何もないという破滅的なレベル)にまで達し、自分の下した選択で満足や幸せを感じることは出来なくなる。

初めてアイスクリーム屋さんに行った時、完璧な味に出会えるなど、期待していなかった。なぜなら選択肢は明らかに限定的でシンプルだった。だからストロベリーで納得も、満足も出来た。そして幸せを感じたのだ。

しかし、二軒目では、数多くの選択肢が用意されており、これから食す味への期待は高まるばかり。だからこそ、二件目では選択に失敗したと感じたのだ。一件目と味はほとんど変わらないにも関わらず。

もうお判りでしょうが、同じ問題は恋愛でも同様に引き起こされる。

マッチングアプリ

ペアーズ、タップル、Omiai、Tinder。数百を超えるアプリ業者が理想の出会いを作るためサービスを提供しており、若者の半数以上は利用経験者。それが現代の出会い方。スマホのロックを解除して、アプリを開き、次から次へと候補者をスワイプ出来る。人間が商品の商品のように並び、選択肢は次から次へと現れる。

数十年前、このような開けた可能性は存在しなかった。小さな教室、小さな会社、小さなコミュニティに限定されていたので、微妙だろうが、いまいちだろうが、それが当然のこと。しかし今は、基本的に全世界とアクセスできる。

釣り堀にはたくさんの魚がいるのに、なぜ完璧じゃないヤツにエサを与える必要が?もし次の一投で大物が釣れたら?そんな期待が頭をもたげ、リリースにつぐリリース。保留につぐ保留。後悔をしないよう、慎重に先延ばし。

当然です。運命の人は生涯に渡って、自分の幸せに多大な影響を与える。アイツはどうだ。コイツはあれだ。結局のところ、何も選択しない人が、何人か現れる。ためらい症候群。分析マヒ。恋愛評論家。たくさんの選択肢が与えられているのに、何が一番いいのかわからない。

さらに問題は悪化していく。異性に対する関係性の薄さと関心の低さに直面するのです。リアルでのつながりも、人間関係の背景もない見知らぬ他人に、どれだけの思いやりを注げるでしょうか?しかも、スワイプすればいくらでも代わりの効く候補者です。同じようなメッセージを何度も繰り返し、突然、返事が返って来なくなるなんて当たり前。やっと出会っても微妙なハズレばかりの感覚。敬意の無い対応や適当に扱われるくらいなら、まだ良いものの。中には妻帯者を持つ浮気者が混ざっていたり、暇つぶしのサクラに一等地の飲食店へ連れていかれるのも稀に起こる。

運命の人はどこに行ってしまったか。

私はマッチングアプリが間違っていると言っているのではない。間違った期待が運命の人を遠ざける。いや、さらに厳密に言えば間違った人を探し続けてしまうのだ。

コスト&メリット

アイスに悩むよりも、パートナーを選ぶときの変数は飛躍する。味の他に値段や材料、カロリーの値などアイスを構成している変数は少ない。しかし、相手が人間となれば比較対象は有形・無形を含め千差万別。身長や体重などの外見に加えて、親切さや誠実さなど内面のハッキリしない変数も加えられる。比較する変数が多ければ多いほど、それだけの分析コストが必要となり、次第に圧倒されこととる。

誰が最大の安心を与えてくれるのか?
誰が最大のリターンを見込めるのか?
誰が最大の成長を励ましてくれるのか?

運命の人を探して、全ての候補者を分析することに多大な時間を費やす。なぜなら、別の方が良いかもしれない。だから、もう少し他をチェックしなければいけません。

欠かすことの出来ない前提条件に気付き始め、課題はさらに増える。
選ぶと同時に選ばれる必要があるのだ。こちらが好感を持っていたとしても、相手の反応が悪ければ分析に加えて戦略も必要になる。これは、かなりクリエイティブな戦略だ。花をあげれば喜ぶ、ボディータッチを増やせば落とせる。そんなテンプレ的な戦略が相手に見透かされれば評価がガタ落ち。マニュアル野郎、あざとさに引く。

自分の感情を相手の気持ちに合わせるという荒唐無稽な芸術の術がこの段階で必要となる。選択とは落とせる人を見極める総合的な戦略もコストの内には含まれる。

やがて、膨大な分析の結果、最悪の決断を静かに下します。

運命の人なんかいない。

その結論は、シビアながらも合理的です。ひとりで有意義な時間を過ごせる人にとって、そのコストは十分なメリットを享受する活動でしょうか?確実なリターンを期待できるのでしょうか?選ぶことは不幸の源泉です。

完璧な人は幻

人間の分析において常に明らかなことはトレードオフが本当の評価を与えてくれるというものです。

例えば、新しい車を買うことにしたとする。A車の外観が放つ高級感には特別なものがある。対してB車は平凡な見た目だが、収納スペースや家族で乗れる利便性を持っている。B車を選ぶのなら高級感は犠牲となる。しかし、みんなを連れてキャンプや釣りに出掛けることが出来る。A車なら自己顕示欲や存在感、安全性を手に出来る。

これが両立することの出来ない関係、トレードオフ。

人間も同じで、この人のあの部分は好きだけど、あの部分は嫌いだ。あの考えは素敵だけど、あの考えは気に入らない。長所があって、短所もある。1 つの視点が、すべての面で明らかに優れているなど幻です。「あの人の全てが好き」「全部が魅力的」「言うこと、なすこと全てキュンなの♥」一見すると万物の愛のようで、微笑ましい限りですが、この世にそんなパートナーはいませんし、いてはいけません。それは神棚に飾った神か女神にすべきであって、人間に対してすることではありません。

全てが嫌いだという嫌悪と同様に、全てが好きだとい好意も、いずれ沈みゆく船だと言える。波風のある海上で船は、最低限度を海中に沈め、必要な部分を見ることによって上手く運航しているのをご存じだろう。完全に沈みきった船は沈没船だ。浮かびきった船はいずれ倒れて沈没する。多くの船は船底に赤い塗料を塗っており、あえて沈めることでエネルギーロスを防ぎながら安全に旅をしているのだ。

自分にとって、どんな資質が重要であるか。

それを知ることが運命を手繰り寄せる最も重要なガイドラインとなる。相手を分析する以前に、自分の赤い境界線を知ること。私たちは相手を見ているようで、実際には自分の中を覗き込む。相手に抱く好感や嫌悪感は、自分の価値観が反応し、生み出されている。

だから、自分が望むものに明確な優先順位をつけておけば、過去のパートナーを基準に相手を選ぶ必要はない。酔っぱらった勢いでとか、隣にいるからとか、好きになってくれたからとか、消極的な選択の結果は自然と遠ざかる。

思いやりや、優しさは人によって価値観が異なるものだ。見た目の基準を重要視する人もいれば、セックスの頻度や連絡の量で愛を感じる人もいる。

このような明確な優先順位を持つことで、ためらい症候群から抜け出る眼力を養うことになる。ここまで、選択肢の多さが、いかに有害であるか話をしてきた。しかし、特定の状況化であれば、過剰な選択はそれほど有害なものにはならない。

特にクセのある、非常に強い好みを持っている人にとっては。

彼らがTシャツを買いに行くとき何時間も迷う必要があるか?買いたいものが分かっているので他のものには目もくれない。当然、お気に入りのシャツを買ったことで不幸になることもあり得ありませんし、見逃すこともありません。お店の営業時間内にベストな選択を下します。

立入禁止

たくさんの人との出会いには無限の可能性が秘められている一方、人生を台無しにする出会いも、もちろん含まれる。ただそれは、未来において分かることであり、出会った瞬間に全てが見通せることは、ほとんど無い。

優先順位のないパートナー探しとは、鍵の付いていない豪邸のようなもので、侵入を容易く許し、時間とエネルギー、時にはとても大切なものを盗まれながら、次の侵入者もドアを開けて入ってくる。大切な家が汚され、犯され、踏みにじられる。その可能性を防ぐため、私たちは運命の人を探しているのだろう。だから優先順位の鍵は必要なのだ。ガバガバでなくキツキツの。さもなければ、さらに悲劇的なことに、侵入者によって運命の人を締め出してしまうことになる。多くの離婚経験は「結婚式のその当日まで、これでいいのか迷っていた」という。迷うなら先に進んではいけない。その人が運命の人であれば、あなたは必ず分かるようになっている。

不適切な侵入者の為に運命の人がはじき出されるのを想像して欲しい。自分にとっても、運命の人にとっても悲劇的な、一生悔いの残る決別となるだろう。恋愛関係には後戻りのできない境界線が存在し、踏み越えた責任は必ず本人が負わねばならない。泥沼になるか、調停になるか、合意するか知らないが、最もシンプルな解決策がここある。

運命の人を見つけるまでは、独身でいることだ。

幸せな独身生活

相手を分析することにばかり目を向け、自分のことを見過ごしてきたかもしれない。しかし、自分を愛した人だけが、他人を愛せる資格を持っている。自分を知るために、独身でいることは多大な利益をもたらしてくれる。自由な時間は多く、社会的な責任は少ない。自分を知るだけ、相手を理解出来る。自分らしさを開放でき、間違った人をたくさん知れる。

これまでに、まず自分が何を求めているか、どんな資質が重要か、それを知らなければ問題の種になることを学んだ。他の問題は何だろうか?自信がなく行動が足りない、趣味や仕事を優先している、相手が求めてくるのを期待している、外見やコミュニケーション上の問題もあるだろう。しかし、ここで忘れないで欲しいポイントがある。

人の魅力は受け手によって変わる。

だから、どうか自分の問題に集中して欲しい。決して間違っても相手の理想のタイプになろうとしてはいけない。特に性格上の癖を変えようとしても、数か月後には本来の自分へ戻ってしまう。無意味だ。仮にそれでパートナーを手に入れてどうする?この先50年間、役者として生きるのだろうか?仮面をかぶりながら「本当の自分は違う」と言い出せずに、努力を続けたところで、相手は感謝も感動もしない。あなただってパートナーがある日を境に、例えばセックスや結婚後に化けの皮を被っていたことに良い気分はしないだろう。

マッチングアプリを使用して、私が実際に失敗した事例がある。どのマッチングにおいてもプロフィールは重要な要素を占めている。特に男性側は重要だ。女性はプロフィールを入念にチェックしている。そこで私はある奇策を思い付いた。女友達に自分のプロフィールを代筆してもらうのだ。もちろん、きちんとパーソナライズはしてもらった。そして、書き上がった原稿を確認して、私は驚愕したのだ。これまで触れたことのなかった切り口、気にもしなかったアピールポイント、角がなく柔らかな表現。まさにそれは私が女性のプロフィールを眺めるソレ「女性が推すポイント」になっていたのだ。私はこれなら上手くいくと握りこぶしを天高く握りしめた。
私の視点ではなくターゲットの視点で描かれたプロフィールに、ターゲットは必ず反応する。
そんな期待を抱いたのだ。そして、その期待は見事に的中した。1日で複数のヒットを獲得し、寂しかったメッセージボックスも潤いを取り戻した。

私は入口戦略の成功を確信した。

実際に相手と会うまでは…

作られたプロフィールで寄ってきた相手は、私の期待する女性とはかけはなれたものだった。中には出会って10分で私を置いて帰る女性もいた、パフェを2杯食べて、離婚した旦那の愚痴と結婚の難しさを語る女性もいた。私の関心のない話を夢中になってする女性もいたし、逆に何もしゃべらない人もいた。

原因はマッチングアプリにあるのではない。豪華に着飾られたプロフィールが、合わない人の気持ちを引き寄せてしまうのだ。

だからこそ、ありのままの自分を探究しよう。そして、プロフィールを書くのならテンプレートでも、代筆でもなく、時間をかけて自分の言葉で完成させよう。そのユニークさを求めている人は必ずいる。驚くほどマッチングした人が。

そこで見つけた、その人の目にはあなたの短所も欠点も、独自の魅力として映る。運命は常に不意打ち。そして、心はそれを見逃さない。そのサインとはいつも不可思議で、奇妙な囁き声をつぶやいたかと思えば、雷鳴とどろく嵐のように内側をザワつかせる。動け!動け!と声がする。そんな人と出会うまで、趣味やひとりの時間を有意義に出来るよう頑張ろう。

諦めずに探し続けよう。いるか、いないか証拠がなくても、探さなければ何も変わらない。自分自身も、そして運命の人も必ずいると信じて。

それが短期的にも、長期的にも幸せな独身生活となる。

まとめ

愛とは人間の本能であり、信念の塊であり、ロマンだ。しかし、その理想を求めすぎては見つからず、求めなければ見つからない。そんな矛盾に満ちた特質に、私たちは戸惑い、試され、努力を必要とする。自分の選択を信じて愛すか。次の選択に進むしかないのである。時々それは、間違った選択をするかもしれない、厄介な問題を引き起こしたり、期待しない結果をもたらすこともあるだろう。しかし、その都度、なにが大切かを思い出し、決して曖昧な妥協を許さず、迷っているならNOを、運命を感じているなら、相手の目を見て心の底から、愛を伝える。それが出来るだけで、どれだけ幸福か。2種類のアイスをふたりで味わえるのが、どれだけ幸福か。奇妙な部分も受け入れてくれるのが、どれだけ幸福か。まさに愛とは命がけ。それだけの価値を運命の人は持っている。

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