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いつか障害のあるひとが当たり前に暮らす日!私の描く未来予想図

かつて福祉が措置から契約に変わろうとしていた時代、
「福祉がサービスになるなんて…」
という声が、内外から上がりました。

あれから20年以上が経ちました、

どうも、なぜか幼少期から
障害のある人たちの世界にどっぷり浸かって生きてきた女、こぶたです。

何者なんだろう…、
と期待させておきながら、なんのキャリアもないただの主婦で申し訳ありません。



この20年の変化

あれから20年。
福祉は施しではなく、契約に基づき利用するという感覚が
随分浸透してきたように思います。

数々の震災や災害に見舞われ、多くの人が支援や援助を必要とする時代に突入したことも
人々の意識の変化、街の様相の変化への追い風となったのかもしれません。

街はバリアフリー化の促進と同時にユニバーサルデザインが組み込まれていき
障害ある人々も気軽に街に出れるように変化しました。

生きることだけに必死だったひとたちが
徐々に街に出るようになり、オシャレをするようになり、
人前に自分自身をさらけ出せるようになりはじめました。

2008年、北京パラリンピックの時のことです。
私は携帯電話を握りしめていました。

日本代表入りした彼氏を応援するために現地に飛んだ友人から、
車椅子バスケットボールの速報が入るのを待っていました。

1クオータ終わるごとにメールで送られる試合結果を
mixiに上げて、みなで一喜一憂していました。

なぜなら夜のNHKのダイジェスト放送しか当時はなかったからです。
それでもダイジェストが放送されるようになっただけ良かったのです。
だれも障害者スポーツをスポーツとは捉えていませんでした。
注目する人はほとんどいませんでした。

その友人とよく、
「いつか、車椅子バスケットボール選手が、パラアスリートたちが
ヒーローになる時代が来ればいいよね!
パラリンピアンもオリンピアンみたいに、テレビに出てインタビューを受けたり
バラエティに出演する時代がきたら素敵だよね!
でもそしたらみんなが障害のある人の魅力に気づいちゃうから困るよ私たち笑」
なんて言い合ったものです。

それが実現し驚いたのが、2020 東京オリンピックパラリンピックでしたが
その時もう私と彼女は疎遠となり、共に喜びを分かち合うことはできませんでした。


その少し前、ほんの一時、仲良くしていただいていた障害のある男性がいました。
彼はいつかパラリンピックでメダルを取って障害者と健常者の垣根を越えたいと語っていました。

夏の終わりのある日、買い物帰りに
子どもの迎えまでの時間を潰すために停まったコンビニの駐車場、
カーナビのテレビの中に彼はいました。
ヒーローインタビューを受けるのは、まさにあの時の彼でした。

一体何が起こったのか?


私が短大生だった2000年代のはじめ、
ある教授がこういいました。

「措置から契約の流れは、権利を得たと同時に障害者切り捨て策の始まりとも言えます。自立を促進し、いずれ政府は障害者福祉に掛かる社会保障費を削減して行く狙いがあるのでしょう。」

与えることは奪うこと。
ですがそれは、障害者自身が望んだ道だったのです。

波に乗れる人は良いでしょう。庇護の対象とされてきた人々が今、次々と社会包摂されていくのです。

社会で活躍する障害者はこれからどんどん増加していきます。

少子高齢化の加速に伴う、支える人より支えられる人の増加。
核家族化の増加により家庭の扶養能力が減少したことによってもたらされた、
公助へのニーズの増加、
多くの人が支援を必要とする時代への突入。

社会全体が、この人口オーナス期に合わせた形に変わらざるを得ない今、
これまで扶助を受けたり社会的役割を免除されていた人々の
社会への回帰欲求に白羽の矢が立ちました。

(※オーナス期: 働く人よりも支えられる人が多くなる時代のこと)

控えの選手だった人々、老若男女問わず社会役割の免除がなくなり
「自分たちでやれるように社会の側を変えていくから、自分たちで生活できるようにしていってね!」
と、肩を叩かれたわけです。

奇しくもそれは当事者も望んでいたこと。
双方の合致により、東京オリンピックバラリンピックやSDGs、
インターネットやSNSの発展の煽りを受け
今、【障害者バブル】とも言われる現象を巻き起こしています。


未来予想図


障害のある人も働いてもらおうという流れが加速している今、
職場環境が障害のある人を受け入れ、障害のある人が身近になることにより
これまで障害ある人と障害のない人の間にあった見えない薄い膜が取り払われ
ぐっと理解は進み、同時に摩擦も増えるでしょう。

違いのある人同士が共に生きるためのルールが必要になり、
みながそれぞれに応じた合理的配慮を得る権利を持つことでしょう。

子どもたちは幼い頃から多様であることを当たり前に理解し、
Eテレには車椅子のかまきりや、メカ車椅子に乗る魚屋のお父さん。
「あの子はこうだよ。」「こんな人もいるよ。こんな時に困ってしまうよ。」
という解説番組。

ずっと柔軟な子どもたちはいつか、当たり前のように
障害のある人の魅力にも気づき、いつかパートナーとして選ぶ未来があるでしょう。

雇用が進み、理解か進むことで
障害のある人の世界では、これまでよりも恋愛や結婚、育児を選択する人のパーセンテージが
増えるのではないでしょうか?



ただ、戦争や貧困、災害や
世界のトップが変わるなどにより
多様性を受け入れるだけの余力や余裕が無い世に突入した時、
世界が均衡を失った時、扶助の手を離れた障害ある人たちが放り出されてしまうようなことがあってはならないと

“今”が続くことを祈り、願いながら私は、
いつか障害ある人たちとその生殖家族が社会において市民権を得、
社会包摂されるための道のりに
淡々と土を運び踏み固めているのでした。

私にできること

ずっと障害のある人のそばで生きてきました。
そして視界の端にその風景を見、その温度や音や感触を感じて生きてきました。

そしてある日、手を取り、身を投じました。

現在私は、任意団体ウィルチェアファミリーを仲間と立ち上げ
車椅子ユーザーとそのパートナーや子どもたちを取り巻く課題を社会課題と捉え、
問題解決のために情報発信や解決の糸口を探る活動を小さな小さな足掻きの中で行っています。

某恋愛漫画へのエピソード提供や、モノづくりコンテストでのアイデア賞をいただくことができました。
そして今、座って育児できるベビーベッドの実現のためのアクションや
脊髄損傷男性へのセクシュアリティの啓発を行う活動を行っています。

車椅子ユーザーをはじめ、障害のある人たちの中には
工夫をしながら育児をしている現状があります。

工夫しなければ子どもたちを育てられないから、工夫のための情報を必死に探す。
それが今のフェーズですが

そこから1歩踏み出して、障害を持ちながら育児をする人もいるんたよということ、
その人たちにも育児のための道具やハード環境が必要で、
それは子どもたちの利益に直結するんだよということ。
それらを広く社会に伝え、アクションを起こしていきたいと思っています。

それが社会の利益になると、ただただ信じて。

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