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“できない”が存在するからこそ、“できる”に価値が生まれる

どうもこぶたです。
ようやく秋めいてきて過ごしやすいいい気候だな、公園が捗るわ。
と喜んだ2日後、一気に冬の気配を感じるようになりました。

私の大好きな季節、わずか2日で終了の事実に泣いてます。

どうぞ皆さま、お風邪など召されませんように。


ハイスペな彼女、社会不適合な私


私よりはるかにハイスペックな女性が、
「私には得意がない」と言った。

私から見れば、
私には到底できないことを卒なくこなす彼女は
とても輝いた存在で、とても素晴らしい人に見えている。

その時はじめて、できない人がいるから、
できることに価値が生まれるのだと
気づいた。

彼女は私にはできない多くの才能を持っている。

でもそれは私がその才能を持っていないからこそ
“素敵”と思えるのかもしれない。

私ができないからこそ
彼女に「素敵だね」と伝えられるなら、
私はできなくてもいいし
できないからこそ見える世界を、
素敵な才能溢れる人たちに
「素敵だね」と伝えて、還元していく役割を持つことができるじゃない?!

それを相手が喜んでくれた時にはじめて、私にも価値が生まれる。

私はこれまでの人生の多くの時間を、社会に適合できずに生きてきた。
そしてきっとこれからも、社会に適合できずに生きていく。
それはどんなに頑張っても努力しても、足掻いても
できるようにはならない、私の持つ性質。

それは時に阻害され、虐げられ
悲しみを生み、孤独でもあるけれど
こうして私から見えるものを伝えることで
誰かが少し笑ってくれるなら、少しでも岸に近づけるなら、
私は孤独な位置でも良いのだと
自分を認めることが出来る。

折り紙と憧れの話

折り紙が苦手な子がいた。
いくら頑張っても、ピッタリ紙を合わせることが出来ず、
折り方の本も理解するのが難しい。
だけど彼は人にやさしく、物を大切にする子どもだった。

折り紙が得意な子がいた。
その子は折り紙がとても得意で、なんでも折れてしまう。

だけど折り紙が得意なその子は、人との付き合い方や距離のとり方がわからなくて、トラブルばかりを起こしていた。

いつも折り紙が苦手な子は、器用に折り紙を折るその子をかっこいいなと思っていたけれど
近づこうとする度に、叩かれたりものを取られたりを繰り返していた。

ある時、折り紙が得意な子は折り紙が苦手な子に
何の気なしに、折り紙の恐竜を渡した。
折ったもののやり場に困ったから、たまたまそこにいた彼に手渡しただけだった。

いくらでもそんなものをおるのは容易かったから、そこに価値を感じることは無かった。

だけど折り紙が苦手な子は、その恐竜をとても喜び、大切にした。
その事に折り紙が得意な子はとても驚いた。

だってこんな簡単なものをあげただけで
こんなに喜ばれたことなんて、
これまでなかったのだもの。

こんなに人に喜ばれたこと、それは彼にとっての価値だった。

彼はこれまで叱られてばかりで、
人に喜ばれたり感謝される経験が少なかった。

次第に2人はぶつかりながらも仲良くなり、
折り紙が苦手な子は折り紙を教わり、
折り紙が得意な子は周りの人を叩いたりすることが
少しづつ減っていった。

できること、できないことは互いに違う。
違い合うから価値が生まれ、その価値に気づける。

私はそれをただ眺め、うんうんと話を聞いていた。

成長意欲

子どもたちと過ごす中で気づくのは、成長意欲の強さ。

特に彼らのそれは、お友だちや兄弟間の中でより強く増す。

弟にできるのに僕はできないと恥ずかしいから頑張るだとか、
お友だちはできてるから、僕もやってみようだとか

もしかしたら「同じくらいの足の速さの子同士で走らせた方が、
記録が伸びる」みたいな話も同じかもしれない。

息子は保育園の頃、いつもおしぼりをぐちゃっと丸めてケースに詰めてきていた。
それがある日、キレイに整えられて入れてあった。

私は
「どうしたの?先生にしてもらったの?」
と問うと、息子は自分がしたという。
「たためるの?」
と聞くと嬉しそうに
「〇〇くんが教えてくれたの。こうやるんだよって」

手先が不器用な彼にはまだ早いかと
教えていなかったのだけれど、
彼はお友だちに教わり、それを獲得した。

翌日、私がそのお友だちに
「おしぼり、教えてくれてありがとう。できるようにしてくれたんだね。素敵だね。」
と伝えると
彼は顔を真っ赤にしながら頷いていた。

ないとあるの狭間で

人には価値がある。
できることとできないことがそれぞれちがっているから、
憧れを抱き、意欲が湧く。

できないこととできることがあるから
感謝をされ、徳を積んだことに癒しや喜びを得ることが出来る。

だとしたら、
できないことも

価値を作るとても大切な要素なんじゃないだろうか。

秋が無くなってしまったことに嘆く私は
より強く秋の大切さに気づけたし、
自分が何を着ていいかもわからないのに
はてさて、子どもたちに何を着せれば良いのかな?
と、天気予報と通販サイトを交互に眺めるのだった。



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