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兵食 陸海軍の食事から、英霊に捧げる「神饌」まで:1 /靖國神社遊就館

 新聞・雑誌には、美術館や博物館の催し物をまとめた案内記事が掲載されている。
 その広告効果はいまだ絶大と思われるが、逆に、こういった記事からあぶれてしまっているなかに、みるべきものが埋もれているケースが、じつはしばしばある。規模の小さな館や、めったに催し物をおこなわない館などが、こうなりやすい。
 靖國神社内のミュージアム「遊就館(ゆうしゅうかん)」で開かれている本展。館や展示の性格ゆえか、メディアで取り上げられる機会は多くないようだが、訪ねてみると、とてもよい展示であった。

 みんなだいすき「食べ物」がテーマ。
 他館でも、食文化を切り口とした企画は多い。普遍性があり、シズル感が喚起されるため、集客の面では安牌といえるのだろう。開催期間が夏休みにかかっていれば、お子さまの自由研究にも最適ときた。
 靖國神社の所蔵品を「食べ物」から捉えようとしたとき、「兵食」というテーマがまず浮かび上がってくる。
 耳慣れない言葉ではあるが、字面のとおり「兵隊さんの食事とは、いかなるものであったか」が、本展で扱われる第一のテーマだ。
 そして、副題が補足するように「陸海軍の食事から、英霊に捧げる『神饌(しんせん)』まで」を含んでもいる。
 じつにこの場所らしいテーマ設定であり、ここでしかできない、ここでこそ観たい企画内容といえよう。
 その場所で催される必然性を感じさせる展示は、よい展示であることが多い。

 展示室へと向かうスロープ沿いの壁には、写真パネルがずらっと並んでいた。
 いずれも、過酷な軍隊生活を感じさせぬほど明るい「兵食」の風景である。
 束の間の休息の時間だけをこうして切り取っていけば、「明るい」風景にもなろう。写真のなかの若者たちは、いま甲子園でプレーしている高校球児を彷彿させるような、精悍な顔つき、あどけない表情をみせていた。
 これらの写真は、靖國神社へ寄贈された英霊の遺品。クレジットの名前には「命(みこと)」という敬称がついており、もとの所有者が、この神社に祀られる存在となっていることが示されていた。

 先に触れたとおり、食文化をテーマとした展示は多いが、それに加えて「食べることすらできなかった」という点を扱おうとするものは、極端に少ないのではないだろうか。解説から引用すると「食するあたわず身罷(みまか)られた」人びとへ思いを馳せようというところが、本展の際立った特徴といえよう。
  「硫黄島からの手紙」で知られる栗林忠道の部隊が最期まで潜んでいた場所で発見された、ごくわずかな食糧。「マレーの虎」山下奉文が、別れ際に部下に手渡した、豪奢なスプーン。
 とりわけ、スロープ沿いに掛けられていた写真の持ち主たち、ひとりひとりを取り上げた一角に、胸が痛んだ。
 思い出の味に故郷の味、大好きな味を「食するあたわず身罷られた」人びと。
 彼らの顔と名前、そして、あまりに早かった享年を知ったうえで、かたわらの直筆の手紙を読み、あるいは遺品を目の当たりにすると……戦争とはいかに理不尽で、むごいものであるか実感されるのであった。

 靖國神社で年に1度おこなわれる例大祭では、彼ら祭神たちに向けてお供えする食べ物——「神饌」が50種類も用意される。そのなかから、他の神社ではみられない特徴的な供物が、本展では紹介されていた。
 瓶入りのウィスキーにビール、サイダー、タバコ……いずれも、兵営の内部に設けられた憩いの場「酒保(しゅほ)」に取りそろえられていた嗜好品だ。
 鯨肉の缶詰や、パンもある。兵食として日常的に提供されていた食材である。
 いずれも、きっと生前に思い出深く、できることなら、たらふく呑み食いしてみたかったであろうもの。それを山と盛りつけ、捧げるのだ。
 桐の三宝の上に、見慣れたビール瓶が載るだけ載っている。そんな光景は、一見するとシュールに映るけれども……故人がいちばん喜ぶであろうものをお供えしたいという真心が、そこには確かに息づいているのであった。
 猛暑を押してでも、8月に観に行きたい展示といえよう。


 ——本展は以上に加えて、陸海軍それぞれの食糧事情や日々の献立、再現メニューの紹介など、たいへん興味深く、また大いに食欲をそそるような展示内容が充実していた。
 この点に関しては、次回に譲るとしたい。(つづく)


靖國神社遊就館



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